人物評・楽曲評・エピソード


来生たかお大百科

あ行

明石家さんま(お笑いタレント)

自身が主演した日本テレビ系『恋も2度目なら』の番組スポットにおいて、「セカンド・ラブ」の冒頭を口ずさんでいる。また、フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』で「ORACIÓN -祈り-」のBメロ(ふとした仕草にも〜)は「お化けが出て来そうで怖い」と発言している。なお「まどろみミステリー」が使用されたカルピス「カピーホワイト」のTVCFの1つに出演している。

新井正人(シンガーソングライター)

来生が1992年に設立した株式会社ベイシックに作曲家として所属していた*1

IKKO(ヘアメイクアーティスト)

美容室で住み込みで修行をしていた頃、恩師から叱られる度に泣いていたが、本曲の「現在を嘆いても 胸を痛めても ほんの夢の途中」という歌詞が心に響いたという*2

石井竜也(ミュージシャン)

ニューミュージックのカヴァーをすると「何故、石井が?」という反応をされるが、本当に良いメロディーがあり、琴線に触れる楽曲を歌うのは勉強且つ自身の新たな一面の発見になり、また、来生作品も含め、歌詞が今と違って、例えばどん底の状態を歌う場合は本当にどん底に描いており、自作品よりも余程、過激だと述べている*3


井上陽水(シンガーソングライター)

井上がアンドレ・カンドレの名で音楽喫茶「青い森」にゲスト出演した際、来生はその可笑しな名前に最初は外国人だと思ったという*4。また、長身でがっしりとした体躯、樫の木のようなアフロヘアーにサングラス、Tシャツにベルボトムという出で立ちは胡散臭く感じたが、時に激しく時に優しくギターを抱えるように弾いていて、特にポール・ マッカートニーの「Monkberry Moon Delight/モンクベリー・ムーン・デライト」を歌う姿は印象的だったという*5

また、その頃に井上からサポートを頼まれた来生は、まだ習い立てのピアノでギターと合わせるのは難しく、よくミスタッチをしていたが*6、井上の自作曲に対して「僕だったらここのメロディーはこう進行させるのに。こう直すのに」と感じていたという*7。共にザ・ビートルズの影響を受けていたが、井上が日本的な感性で受け止め、マイナーでシンプルな曲作りをしていたのに対し、来生はメジャーで凝った曲作りをしたかったと述べている*8

1972年に「あさま山荘事件」が発生した際、当時井上が所属していたホリプロダクションの会議室で13時からライヴの練習をする約束があったが、事件の行く末が気になった来生は行きたくなかったという*9。ところが、丁度家を出ようとしようとした時に井上からリハーサルの中止を伝える電話が掛かって来た*10。来生は、自身と同様に井上もずっと事件のテレビ中継を観ていたかったのではないかと語っている*11

井上は、来生が歌手デビューをしたもののヒットに結び付かなかった頃、プロデューサーの多賀英典を「来生が売れたら多賀さんは天才だ」とからかったという*12。その影響で、多賀はセカンドアルバム『ジグザグ』のロサンゼルス録音を敢行したという*13。その一方で、来生の歌手デビューの際に組まれた『週刊少年マガジン』の特集記事に「生きていたんだね,来生くん」と題したコメントを寄せており、来生のデビューアルバム『浅い夢』を聴いた感想として、1曲目(浅い夢)から来生の人柄に触れ、また、姉弟の調和に驚きを、レコーディングスタッフには熱意を、そして何より「生きていたのがとてもうれしく感じられた」と述べている。

後年、ステージで共演した際は、来生が「シルエット・ロマンス」を歌っているテレビ番組を目にし、詞の良さ、曲の良さ、真摯な姿勢が相俟って思わず涙ぐんだ事を告げつつ、「パチンコの合間にこんな良い曲を作ってるらしいんですよ」と観客に述べてからかった*14。後年、年齢的に先輩や友達が亡くなった話を聞くようになってから改めて聴くと、また感じ方が違うと述べている*15

1985年の上半期、既に30曲程を作った旨を語った所、井上に作り過ぎと言われた(井上は3曲だけだった)*16。来生は井上に楽曲提供をしたいと思っており、「夜の底へ」は元々井上の為に作られ*17、「真昼のくらやみ」や「スローナイト」等、井上をイメージした楽曲は存在するが*18、井上から「良い歌詞が書けたら持って行く」と伝えられたまま*19、実現には至っていない。

歌手デビュー20周年に寄せたメッセージ「20年後の響き」では、来生の代表曲を挙げながら「彼の寡黙で静かな印象と相俟って、私の耳に格別の美しさとなって響いて聴こえてくる」と述べている*20

電話が苦手な来生は、井上からの長電話に何とか対処しているという*21。また、井上は来生に対し、年に4、5回くらいメールを送ると述べている*22

忌野清志郎(ロックミュージシャン)

音楽喫茶の「青い森」で出会った忌野は、仲が良い人物に井上陽水や古井戸と共に来生の名を挙げており、当時は来生が組んでいたバンド「ビコーズ」のメンバーの元を泊り歩いた事もあったという*23。また、来生はコンサートのMCで、亡くなった忌野の事を話題にする機会がある。来生は、シャイな忌野がステージで「愛し合ってるかい」と叫ぶ姿を見て、その意味合いは男女の性的な事柄ではなく、ジョン・レノンが唱えた人類愛のようなメッセージであろうと語っている*24

上田正樹(ソウルシンガー)

上田が出会った人の中で来生程シャイな人物は居らず、無口で繊細そうで近寄り難い感じがするが、何かほっとさせ、来生の温かさに触れると家で寛いでいる気分になると述べている*25

大江千里(シンガーソングライター)

曲作りにおいて自身は、サビでインパクトを与える為に転調させる等、色々と技を入れて整えて行くが、来生のメロディーはとても自然で、「何でこんなに耳に残るんだろう」と思う事があると述べている*26

大橋純子(歌手)

初めて来生の存在を知った時に「何て優しい歌を歌う人」という印象を受け、「シルエット・ロマンス」の提供で対面した際に、ほっとした心の隙間に染み入って来るメロディーと声、初めに感じていた温かさ、優しさを少しも失っていない事に驚かされ、来生のメロディーは、忘れてはいるけれど決して失くしてはいけないものを気付かせてくれると語っている*27


大原みりん(エッセイスト)

来生作品を気に入った大原が友人に作者名を尋ねた際に「来過ぎた顔」と聞き取ってしまい、出過ぎた奴の顔だろうか、近視眼的にものを見る奴のことだろうかと謎が深まり、さっぱり理解出来なかったという*28

岡田有希子(歌手)

好きな歌手の1人として来生の名を挙げており*29、楽曲提供も希望していたらしい。彼女の私物を紹介した写真には来生のオリジナルアルバム遊歩道』のカセットテープが写っている*30。また、1番好きな楽曲を問われた際は、歌詞を理由に「ふたり一緒に」を挙げている*31

小椋佳(シンガーソングライター)

デビュー当時の来生は、銀行員とシンガー・ソング・ライターの顔を持つ、日本では珍しいレコーディング・アーティストの小椋の活動形式を理想と考えていた*32。結局、その願いは叶わなかった来生だが、振り返ってみれば、それは小椋だからこそ実現出来た形式であり、自分勝手な図々しい考えだったと述べている*33。また、音楽的には「シクラメンのかほり」等の楽曲に刺激を受けたという*34

『週刊少年マガジン』で組まれた「カラー特別企画 陽水・小椋佳につづく彗星 ニューシンガーソングライター 来生たかお大誕生」という巻頭特集に来生と共に映っており、来生のデビューコンサートも観覧している記述がある。この頃の来生は余りにも寡黙だった為、付き添いとして一緒にラジオ出演(1976年か*35)した事もあったという*36

まだゆっくり話をした事がない来生は、30代後半に嵌まった哲学について、50歳にして再入学した大学で哲学を学び直した小椋と語り合ってみたいと述べている*37

来生が『小椋佳トリビュートコンサート 夢歌詩、あるところに』に出演した際、すっかり白髪になった来生に驚いた小椋は、自身は髪の量が減った為、「髪があるだけ良いです。やっかみです」と会場を沸かせた*38

小椋は、デビューから間もない頃の来生に対し、新曲を聴く度に、メロディーが乗りそうもない現代詞にいとも簡単に軽快な旋律を付けてしまう驚きを感じ、また、人柄さえも滲み出るような甘い歌声は作曲家だけに留まらず、新しい時代のシンガーソングライターの冠に相応しい魅力と期待が、自分にとって未知の存在として拡がって行くと評している*39。また、歌手デビュー20周年に寄せたメッセージにおいては、互いに長く活動して来た恩恵は「いい歌」を生み出す事によって恩返しが出来、「気取らず気張らず阿らず、これからも、自分らしいメロディーを創りつづけて行きましょう」と結んでいる*40

尾崎亜美(シンガーソングライター)

同じ1976年にデビューした尾崎亜美は、同年、FM東京主催の音楽賞「FM東京リスナーズグランプリ(ライオン・リスナーズ・グランプリ)」で初めて対面し、遠目では「吉本新喜劇」の花紀京に雰囲気が似ていおり、まさかこの人が歌を歌うとは思えなかったが、その声の良さに吃驚し、凄く素敵でずっと注目していたと語っている*41。また、デビュー当時、まだ馴れていなかった来生は、尾崎に「本当に音程が良いよね」と言って貰った事が嬉しかったと述べている*42

ORANGE RANGE(ロックバンド)

互いの所属事務所が同じビル内にある事が縁で、来生の歌手デビュー40周年記念アルバム『夢のあとさき』にメンバーのHIROKI、RYO、YAMATOがコーラスで参加し*43、その後、ORANGE RANGEの結成15周年記念アルバム『縁盤』では来生がピアノで参加している。RYOは、来生の懐に飛び込んで行った感じだと述べ、音数が少ないシンプルなピアノでオリジナル版の「キズナ」よりも優しくなったので、「参加してくれる人によってこんな風に変わるんだな」と感じて貰えたら嬉しいと語っている *44。YAMATOは、原曲の沖縄っぽさもしっかり醸し出されたと述べている *45。また、NAOTOは、同アルバムの共演者の中で3番目に緊張した相手と語っている(1番目は母校である沖縄市立山内中学校の吹奏楽部、2番目はリスペクトするYMOのメンバーである高橋幸宏)*46


か行

片山陽加(女優/元AKB48メンバー)

母親の影響で昭和の楽曲をよく聴くようになり、特に「シルエット・ロマンス」の恋する女性の気持ちを歌った歌詞にビビッと来たという*47

河合奈保子(歌手)

来生作品は、心が落ち着き、すうっと吸い込まれるような素敵な楽曲ばかりで、中でも一番好きなのは「浅い夢」だという。来生のコンサートで弾き語りで聴いた際は、感激の余り思わず涙が出たと述べている*48

河野道生(ミュージシャン)

1984年から1988年までドラマーとして「スタートル」に参加。バックミュージシャンとして掛け持ちの仕事をこなしつつ、これでは良い音楽が出来ないという思い出していた頃、キティレコードから誘いがあり、来生のコンサートツアーのメンバーになったという。初めは地味な印象の来生に興味を持てなかったが、約4年間、長いツアーに参加した事で、音楽的に「なるほど」と感じるようになり、凄く良い楽曲を作っていて、歌も凄く良いと思うようになったという*49

河本直樹(歌手)

来生のファンで、来生のコンサートで出会った音楽プロデューサーの酒井政利に見込まれ、「恋せども 愛せども」でメジャーデビューした。


ギルバート・オサリヴァン(シンガーソングライター)

来生の歌手デビュー20周年に際し、メッセージを寄せている。来生と語り合い、その楽曲を聴いている内に、真面目で内省的である一方、レコーディングやステージでは非常にオープンで素直なスタイルである事に気付き、「作品は元より、その人柄が観客やレコード・リスナーを惹き付け続けるだろう」と述べている*50

オサリヴァンのベスト盤CD-BOX『CARICATURE:THE BOX』(2004.01.01)のブックレットには、競作シングル「What A Way(To Show I Love You)/出会えてよかった」のジャケット写真(オサリヴァン版)が掲載されており、来生たかおに関する「a very famous and well-known aritist」「a Big fan of Gilbert」との記載も見受けられる。なお、同ベスト盤に「What A Way(To Show I Love You)/出会えてよかった」の音源は収録されていない。

オサリヴァンの手による「Can't Think Straight/ぼくときみのラヴ・ソング」をデュエットした際、英語で歌うのは無理だという来生に、ポップスの場合は必ずしも歌詞の内容を明確にする必要はなく、日本語で構わないと応え、2ヶ国語で2つのストーリーを歌う相互作用が上手く行ったと語っている*51

来生が観覧に来ている来日公演において、来生が初めて聴いて衝撃を受けたという「No Matter How I Try/さよならがいえない」を歌う際は、「たかおのお気に入り」「次の曲は客席にいるたかおに捧げます」等と説明をしてから歌う事がある*52

倉橋ルイ子(歌手)

収録曲の全てが来生作品のアルバム『RUIKO SINGS TAKAO KISUGITHANKS』をリリースしている。それ以前は同年齢や少し年下の女性の心情を歌って来たが、上記アルバムでは、想像出来ない大人の女性の心理が新鮮で楽しく、自分自身も大人になったような気分になったと語っている*53。また、男性の立場からの歌詞だった為、何処までも女性の歌になっていると言われたが、来生えつこは女性が男性の言葉で歌うのは面白く、弟の歌を聴き慣れている所為か、新鮮だったと述べている*54

また、倉橋は来生の昔の楽曲を聴き、いつの時代も良いものは一緒と感じ、来生作品を知らない人に教えるべきとの思いから、来生作品と洋楽とを6:4の割合で構成したコンサートを開いた事がある*55

クリス松村(タレント)

来生は大好きなアーティストの1人で、毎年夏が近付くと、初めて買ったオリジナルアルバムOrdinary』と共に『ROMANTIC CINEMATIC』を繰り返し聴くという。これ等のアルバムを収録順に歌うコンサートを観たいと語っている*56。また、1987年に行われた『郵便貯金ミックスダブルステニス’87』全国大会のエキシビションマッチに参加した来生と対面した際、緊張で話せなかったが、歌のイメージにぴったりだった事に安心したという*57

郷ひろみ(歌手)

女であれ、男であれ」を提供された時に初めて来生に会い、「とても普通の人だな」と感じたという。普通の生き方で色々な事を見聞きし、それが身体を伝わり、数々のメロディーが生まれるのだと感じ、「逆に凄い」と述べている。

香坂みゆき(女優)

アルバムの1曲として楽曲提供を受けた際、デモテープで来生自身の歌を聴き、自分が歌った場合との落差を感じてしまったという(※但し、該当する提供曲は見当たらない)*58。なお、同じ事務所に所属していた水越恵子に来生の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」を勧めた事で、水越は来生を意識し出したと述べている*59。また、夫の清水圭と共に足を運んだ『40th Anniversary 来生たかお Symphonic Concert 2015-2016 夢のあとさき』の東京公演が初観覧だったという*60


小堺一機(お笑いタレント)

来生ファンを公言している。失恋で落ち込んでいる時、友人から勧められて聴いたデビューアルバム『浅い夢』がきっかけとなり、セカンドアルバム『ジグザグ』は自ら入手したという。第1弾オリジナルシングルである「浅い夢」や『ジグザグ』収録の「甘い食卓」「マダムとの散歩」に対し、「映像的で、洋画のような内容の歌詞で、当時こんな感じの歌は他に無かった」との感想を述べている。「Goodbye Day」を初めて聴いたのも上記の友人を通じてだったという*61。来生の全てのアルバムを他のアーティストのものとは別に保管しており*62、コンサート会場に祝いの花を贈った事もある(来生も小堺の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』に花を贈っている)。

2人の初対面は1979年、日本テレビ系『NTV紅白歌のベストテン』の楽屋で、デビューから間もない来生が話題曲のゲストとして出演した際、当時、同番組の前説を務めていた小堺がファンである事を伝え、スターに囲まれながら楽屋で緊張していた来生は「救われた気分だった」と回顧している*63

朝日放送系ドラマ『見知らぬ恋人』(1979.10.05〜1980.03.07)で初めてドラマにレギュラー出演した際、その主題歌が「あなただけGood Night」だった事に縁を感じて嬉しかったという*64。また、その頃、来生えつこから雑誌編集部の反対を押し切る形で対談企画の話が舞い込み、ほぼ無名だった小堺はマネージャー共々驚いたが、この事が縁で楽曲提供に繋がって行った*65。来生えつこは、小堺が昔の有名な楽曲をカヴァーしている舞台は安心して観ていたが、オリジナルである提供曲を歌うとなると心配で、案の定、『小堺クンのおすましでSHOW』で初めて聴いた際は下手だと思ったが、その後のレコーディング版等からは上手くなって来たと述べている*66

『小堺クンのおすましでSHOW FINAL おすましBeyond(のむこうがわ)』(2017.03.09-12/東京都・新国立劇場)では、来生えつこからの手紙が読み上げられ、初対面は東京の下北沢のライヴハウスだった事、テレビで観ていた通り可愛くて真面目だと感じた事、居酒屋で呑んでいた所を週刊誌にスクープされた事、結婚披露パーティーで物真似をして貰った事等が語られた。小堺は、来生えつこのイメージについて、お洒落なカフェバー等ではなく居酒屋で酒を注いでくれるような女性だった事が判り、江戸っ子で素敵な方だと思ったという*67

1984年頃、小堺は学園祭で来生の楽曲をピアノで弾き語りする事になり、その練習で手一杯だった為、フジテレビ系『ライオンのいただきます』の司会進行役の話が舞い込んでも、承諾の判断を所属事務所に丸投げしてしまったという*68

来生の歌手デビュー10周年企画コンサート『来生たかお 10th ANNIVERSARY ELEVEN NIGHT THEATER』にゲスト出演した際、来生に何気なく肩を叩かれた小堺は「もう一生お風呂に入りません」とコメントしている*69。また、来生の歌手デビュー20周年に際しては「失恋と結婚の両方でお世話になった」とのメッセージを寄せている。

小堺によれば、来生は勝手にステージに上がって来た女性客に「私、あなたの妻です」と迫られた事があったらしい*70。来生も、静岡県浜松市でコンサートを行った際(1985年以前?)、ピアノの後ろで観客の女性が一緒に歌っていた事があったと回顧している*71

小西康陽(音楽家)

「小沢健二の声は来生たかおにそっくりだ」と発言している*72

小林倫博(シンガーソングライター)

来生のファンを自認する小林は、来生の声やふさふさの髪の毛が羨ましく、来生えつこの歌詞も好きだったと語っている*73。また、自らの提案でジョイントコンサートを行い*74、持ち歌を交換したり、コーラスを付け合ったりしていたという*75。1977年、来生、佐野元春、林哲司と共に作家事務所を設立する話があり、パンフレットまで作っていたが、佐野や来生が売っ子になってしまった為、実現はしなかったらしい*76

ジョイントコンサートで小林が1人で歌っていた際、ステージの袖からスモークが流れ込み、スタッフの心憎い演出と思いつつ袖を見ると、来生が煙草を吸っていたという*77。小林によれば、来生は自分のコンサートでも袖で煙草を吸っており*78、コンサートのMCにおいて、喫煙が可能の楽屋ではアンコールの再登場前に一服している旨を明かしており、実際、『来生たかお Special 2days Concert Acoustic Tracks』ではその姿が撮影されている(WOWOWで放送されたのみで映像ソフトTAKAO KISUGI ACOUSTIC TRACKS』には未収録)。

紺野紗衣(ピアニスト)

JAバンク石川コンサートVol.4 来生たかお&オーケストラ・アンサンブル金沢コンサート』『40th Anniversary 来生たかお Symphonic Concert 2015-2016 夢のあとさき』で共演し、来生の歌は勿論の事、ファンやスタッフへの愛情、愛妻家振りに何度も心を打たれたと語っている*79

さ行


斉藤由貴(女優)

中学時代に来生のオリジナルアルバムAT RANDOM』『Sparkle』等を聴いており、好きな楽曲としては「無口な夜」を挙げている*80。 また、その声を「α波な感じ」と評している*81

来生は、実際に会った印象として「アイドルという感じではなくしっかりしている」と述べ、煙草嫌いの斉藤の前では煙草を吸わなかったという*82

坂崎幸之助(ミュージシャン)

歌謡曲やポップスのヒットソングの中で一番好きな楽曲は「セーラー服と機関銃」だという。作曲者の来生に対しては、男から見てもインテリっぽい物静かな雰囲気で綺麗なメロディーを作るのは格好良いと語っている*83。一方、余り他人の楽曲を歌わない来生としては、他人の楽曲をギターで瞬時に歌い出す坂崎に感心すると述べている*84

桜井秀俊(ミュージシャン)

真心ブラザーズとして、「昭和の女性アイドル」をテーマに「スローモーション」等をカヴァーした際、来生や松本隆等、腕利きの職人達は、決して何でも屋ではなく、我を張った上で売れる作品にしようと戦っている事が分かったと語っている*85

さくらももこ(漫画家)

友達が他のアーティストのコンサートに行く中、1人で来生の公演を観に行き、テレビ出演もまめにチェックする程、外せないミュージシャンだったと述べ、来生が「理想の上司像」であった事も明かしている*86。また、自身がプロデュースしたアルバム『Sakura Classics Tabidachi Selection』『SAKURA CLASSICS White Selection』には共に来生の楽曲が収録され、更には来生とのコラボレーションによる企画アルバムOne Week』をリリースしている。因みに、来生はこの時までさくらが自分のファンだとは知らなかったという*87

さだまさし(シンガーソングライター)

さだは、来生の楽曲は「経過音」「テンション」の使い方に特徴があり、自身の好みに合致するものの、もし歌詞を付けるとなると難しく感じ、「浅い夢」を一例として、来生えつこの才能にも言及している*88

夏 長崎から さだまさし』に出演した際、趣味がテニスからゴルフに移行していたさだからクラブセットをプレゼントするという申し出があり、後日、宅配で届けられた*89。とてもビギナー向けではない良いクラブに、来生の父は羨ましがっていたという*90。なお、「1982年を振り返る」という趣旨のアンケートに対し、松山千春と共に、さだの人気がいつまで続くのかに興味があると答えている*91

また、共に飛行機嫌いとして共感している*92

沢田聖子(シンガーソングライター)

1970年代後半に来生がゲスト出演したコンサートを観に行き、ファンになったという。終演後に早速レコード屋へ行ったものの、当時は来生の商品コーナーも作られておらず、目当てのデビューアルバム『浅い夢』はなかったが、置いてあった『By My Side』を購入したという。また、周囲に来生の楽曲を聴いている人間がいなかった為「隠れファン」を続け、その後『Sparkle』『夢の途中』『遊歩道』と立て続けに入手したと言う*93

椎名林檎(シンガーソングライター)

兄である椎名純平と同様、親の影響で来生たかお作品に愛着があり、共にカヴァーを試みている。自宅にあったカセットテープで初めて来生の事を知り、廃盤になっていたアルバムを探したという*94。台所作業をする時に一番ぴったり来るのは来生の楽曲だと述べている*95。また、「赤毛の隣人」が収録されていない来生のベスト盤を聴いた際、村上 “ポンタ” 秀一によるドラムのフィルインを聴かずして来生を語る事は出来ないと思ったという、自身の「拗らせオタ」の気質に言及している*96

篠原涼子(女優)

中森明菜に憧れて歌手を夢見ていた篠原は、中学1年生の時にプロダクションのオーディションに応募し、「スローモーション」を歌って合格した*97

島倉りか(歌手)

両親の影響から昭和歌謡に興味を持った島倉は、来生の透き通った濁りのない歌声が男性歌手の中では一番好きで*98、独自の視点で昭和歌謡の魅力を語る連載『りかワニ紅白歌合戦』の第1回では、紅組に中森明菜の「スローモーション」、白組に来生の「浅い夢」を選曲しており、どちらも最後にテンポが変化したり溜めがあったりとアレンジが秀逸で、情景を想像する余地があり、押し付けがましくなくて素敵だと語っており、また、同連載の第6回では初聴の衝撃度が高かった「官能少女」を取り上げ、年下の女の子に対して真剣になりながらも本気になってはいけないという男性の葛藤が可愛く、逆に悪戯心が芽生えた少女はわざと挑発して禁断の関係を楽しんでいるという、複雑でドロドロとした感じの内容なのに爽やかに聴こえるのは、声も歌詞も全て綺麗な来生の凄い点で、他の人だったら絶対にこうはならないと分析し、来生のコンサートで生で聴いてみたいと語っている*99

清水圭(お笑いタレント)

ナイーブで大人っぽい来生が好きで、来生えつこの歌詞も最高だと述べている*100。『40th Anniversary 来生たかお Symphonic Concert 2015-2016 夢のあとさき』の東京公演に妻の香坂みゆきと共に初めて足を運んだが、チケットは公演の2ヶ月程前に酔っぱらった勢いで購入してしまったという*101。会場で渡されたチラシの写真を見てセルジオ越後かと思ったが、フルオーケストラをバックに「シルエット・ロマンス」「セカンド・ラブ」「夢の途中」等を聴き、メロディーが美しく、声が良く、歌詞が心に沁み、「Goodbye Day」のサビの歌詞に共感を示している*102。また、観覧の記念に会場で先行発売されていた歌手デビュー40周年記念アルバム『夢のあとさき』を購入したと述べている*103

JUJU(歌手)

「記憶の中で今も煌めく曲」として大橋純子が歌った「シルエット・ロマンス」を挙げ、幼稚園児の頃に人生で初めて親に購入を強請った楽曲であり*104、よく真似をして歌っていたという*105。また、「Goodbye Day」をカヴァーした理由に関して、元々80年代初頭の音楽が好きで、中森明菜へ楽曲提供もしている来生を「素晴らしい作家さん」と評している。もし来生が演歌調になったこのカヴァーを聴いたとしたら「ビックリされるんじゃないかな」とも語っている*106

須藤薫(歌手)

ロマンチックな映画を観た時、美しい音楽に触れた時の余韻に似た優しさを見失いそうになったら、来生の歌を聴き、口遊みたいと語っている*107

た行

高嶋ちさ子(ヴァイオリニスト)

2002年の『めざましクラシックス in ふくい』以来、幾度もステージで共演している高嶋は、ネガティブな発言が多い来生に対して「頑張って」「放っておけない」という気分になるという。なお、来生曰く、高嶋には「いつも苛められてる」らしい*108

高田文夫(放送作家)

来生のコンサート(『来生たかお 25th Anniversary Concert Tour 2000 Dear My Company』と思われる)を観覧して「やっぱりナマの「Goodbye Day」「夢の途中」は良いわ」と感想を述べており、客席を埋め尽くした小母さん達が「シルエット・ロマンス」にうっとりしているのを見て、どうしてこうもうちの旦那と違うのかという表情をしていたと語っている*109

タケカワユキヒデ(シンガーソングライター)

コンサートで「夢の途中」をカヴァーしている。一度だけ来生と一緒に仕事をした事があるが、口数の少ない人だったと語っている*110

盒郷人子(歌手)

来生のメロディーには必ず「来生節」があり、それがきらりと光り、アルバム全体の渋みの元になると語っている*111。また、来生の歌手デビュー20周年に際してもメッセージを寄せており、レコーディン後に眠りに着く時、フェードインして来る来生のメロディーで堪らない気持ちになる事があると述べている。それは、来生の才能と人間味がミックスされて初めて可能な出来事で、決して他の作家にない独特のテイストだと評している*112

高橋陽一(漫画家)

漫画『キャプテン翼』の登場キャラクターである「来生哲兵」は、作者の高橋が来生のファンで、来生の息子(漢字は「哲平」)と同じにしたとされており、来生は「来生哲兵」を見る時に架空のキャラクターのような気がしないと述べている*113

玉置浩二(シンガーソングライター)

互いのコンサートを観に行ったり、楽屋で話したりする程度の関係だが、来生は安全地帯のデビュー曲「恋の予感」は素晴らしいと語っている*114

富澤一誠(音楽評論家)

デビューから間もない頃の来生に対しては、メッセージ性のある楽曲の方がより伝わり易い音楽界の現状において、歌詞以上にメロディーに拘る来生はハンディーキャップを背負う事になるが、その姿勢に逞しさを感じ、類稀な楽曲の良さがあると評すと共に、シンガーソングライターである以上、歌についてももっと考えれば魅力は百倍になるだろうと評している*115。ステージ上の来生は無理矢理引き摺り出された内気な少年のような印象で、頭を掻きながらぼそぼそと話し、忽ち絶句して再び喋り出すまでに1分間の空白が出来てしまい、スターらしい雰囲気はなかったと述べている*116

後年になり、若者の音楽の潮流がフォークソングからニューミュージックへと変わって行った当時、「浅い夢」は地味に感じたが、自身が提唱する演歌、歌謡曲、J-POPではない「オトナの音楽」を最初から作っていたと評価し、「夢の途中」や「Goodbye Day」も「オトナのための音楽=Age Free Music」だと述べている*117

因みに、1977年のインタビュー記事*118が、編集部の勘違いで「生来たかお」と校正されて載ってしまったというエピソードがある*119

タモリ(お笑いタレント)

「顔色が悪いですねぇ」「町工場のお兄さんと話してるみたい」とからかい*120、自身の所属事務所(田辺エージェンシー)の社長である田邊昭知にルックスが似ていると評した事がある*121

永英明(シンガーソングライター)

来生作品をカヴァーした永は、「シルエット・ロマンス」を「繊細で風や水のような流れのある楽曲」と評し、来生を「素晴らしいアーティスト」と評している*122。また「セカンド・ラブ」は「メロディーは心地好いが、自身の中に植え付けられていない譜割」との事でレコーディングには苦労し*123、「Yahoo!ライブトーク」にて「どのように歌えば良いか来生たかお氏に尋ねてみたい」と語ったらしい。

な行

ナオト・インティライミ(ミュージシャン)

「お父さん」と聞いて思い浮かぶ歌として「Goodbye Day」を挙げている*124

中田裕二(ミュージシャン)

母親がファンだった事も影響し、最も尊敬する作曲家として来生の名を挙げている。誰の作品なのかを知らないまま聴いて気に入ると、大抵は来生姉弟の手によるもので*125、「天才作曲家」「お姉さんも作詞家で、このユニットはすげぇ」とコメントしている*126。幼少期にテレビで懐メロ番組を集中して見ており、その中で来生の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」にワクワクしたという*127。コンサートで「シルエット・ロマンス」をカヴァーし、「お気に入りの歌謡曲10撰」では同曲や「スローモーション」を選曲し、来生の楽曲は女の子を更に魅力的にさせると語っている*128。また、後に自身のカヴァーアルバム『SONG COMPOSITE』に「シルエット・ロマンス」「スローモーション」を収録している。なお、同企画でインタビュアーを務めた音楽ライターの久保田泰平は「10撰」に「語りつぐ愛に」を挙げており、来生の楽曲には演歌とも違うセンチメンタルな独特のコード感があると述べている*129。また、アイドルをプロデュース出来るならば、来生のような立ち位置になりたいと語っている*130

長沼洋(棋士)

好きなアーティストとして来生の名を挙げている*131

中村雅俊(俳優/歌手)

来生の歌手デビュー20周年に寄せたメッセージにおいて「いつも意識する人のひとり。いつもパワーをもらっている」と述べている*132。また、日本テレビ系「恋人も濡れる街角 URBAN LOVE STORY」の劇中で「Goodbye Day」をカヴァーした事もある*133

中村由利(歌手)

母親の影響で歌謡曲やニューミュージックを聴いており、最も影響を受けたのは来生のオリジナリティのある声だったという*134

中森明菜(歌手)

来生にデビュー曲「スローモーション」を聴いて貰った時、あれこれと細かい事は言わず、ポイントだけに絞ってしっかりと指摘をして貰えた事が印象に残っており、大切なデビュー曲に、素晴らしいメロディー、素敵な歌詞を貰え、とてもラッキーだったと感謝している*135。また、来生の歌手デビュー20周年に寄せたメッセージにおいて、「私の“色”」を引き出してくれた来生に謝辞を述べている*136

来生は、中森には自分と同じ東京郊外の出身という共通項があるので、割と楽曲提供をし易いと述べている*137。1983年の段階では、歌番組での中森をはらはらしながら観ており、まだ自分の意図通りには歌えていないとの感想を述べている*138。但し、中森もそれを自覚して悔しがっているようで、近い内には完全に消化してくれるとも語っている*139

は行

林哲司(作・編曲家)

当初は、林が来生のファーストアルバム『浅い夢』の編曲を担当する予定だった*140。共にザ・ビートルズ派だった事もあり、編曲に関するアドバイスをして貰ったという*141

平井堅(シンガーソングライター)

シルエット・ロマンス」をカヴァーした事もある平井堅は、自作曲「アイシテル」の制作に際し、来生姉弟や阿久悠の名を挙げ、その歌詞やメロディーの美しさを自分なりに意識したと述べている*142

平井菜水(歌手)

全て来生作品で構成されたアルバム『夢のシルエット』をリリースしており、来生の印象に関して、とても良い人で、気さくに話し掛けてくれたと語っている*143

平野肇(ミュージシャン/作家)

1977年3月20日から何度かドラマーとしてサポートをしていた平野は来生について、イメージ通りの物静かな人で、リハーサルの時には大抵麻雀の話をし、プロデューサーの多賀英典や井上陽水とよく卓を囲んでいると聞いたという*144。来生のステージは派手なパフォーマンスがなく、喋りも上手いとは言えないが、楽曲はメロディーがよく練られていて大人の味わいがあり、バラードをじっくりと聴いていると彼の世界に入り込んで行くと評している*145。来生がセカンドアルバム『ジグザグ』の制作で渡米する事になった際、そのレコーディングにドラマーのジム・ケルトナーが参加すると聞いた平野がサインを頼んだ所、来生はケルトナーが使用していたサイン入りのドラムヘッドを持って帰国したという*146

船山基紀(作・編曲家)

来生作品の編曲を手掛けた1人である船山は、極自然にアレンジが浮かび、とても楽しかった事を回顧し、またどこかで仕事をしたいと述べている*147

法田勇虫(ミュージシャン)

1982年から1983年までギタリストとしてバックバンド「Win9」に参加。参加した途端に「夢の途中」がヒットし、日に2時間程度の睡眠で全国ツアーを回りながら、時には音楽番組の中継が入る等、多忙な日々を送ったという*148。25歳の頃、来生のコンサートで青森県八戸市を訪れ、東京に帰ったら彼の地の女性達から法田のファン倶楽部を結成する連絡があったという*149。また、同じくコンサートで訪れた際に仙台銘菓の「萩の月」を初めて知り、来生に「これ、美味しいよ」と言われた事を回顧している*150

ま行

前田たかひろ(作詞家)

偶々電話帳で見付けた来生えつこに電話を掛けて作品を見て貰い、やがて来生の運転手になった事が、作詞家になったきっかけと述べている*151。ただ、シングル曲を書きたいと思っていたが*152、それは実現しておらず、その事を嘆いている*153

松田聖子(歌手)

提供を受けた楽曲に関して、楽しい曲があったり、悲しい曲があったりして難しいと述べている。来生は、以前から松田の大ファンで、楽曲を提供出来た事は嬉しいと語っている*154

松田真人(ミュージシャン)

1982年〜2008年までバックバンド「WIN9」「スタートル」のバンドマスターを務め、ピアノ、キーボード、コーラス、時にはパーカッションも担当した。また、多くのステージで楽曲の編曲を手掛け、レコーディングにも参加している。

1981年の暮れに因幡晃のバックを務めた際、会場になった店の店長が来生のファンで、閉店間近になると「Goodbye Day」を掛ける習慣があり、そこで初めて来生の存在を知り、そのメロディーを好きになったが、約1ヶ月後に当人と対面するとは思いも寄らなかったという*155

また、「夢の途中」も気に入り、来生のファーストアルバム『浅い夢』を聴いた時には「日本にこんな素敵なバラードを書ける人が居たんだ」と思ったという*156

初対面は1982年2月4日、東京は六本木のペールグリーンスタジオで行われたTBS系『ザ・ベストテン』のリハーサルで、終了後、来生から「これから僕のバックをやってくれるの?」と訊かれたという*157。来生に対する第一印象は「地味な感じの人」で、その夜、本番では「夢の途中」で共演した。

来生のメロディは特筆すべきで、「骨太の感じ」は天性のものだと述べている*158。コード進行は極オーソドックスで、「Goodbye Day」で言えばもっと斬新な感じにする事も可能だが、来生の歌にはシンプルなものが似合っており、その点において普遍的と語っている*159

来生曰く、松田は几帳面で、魚座なので字が上手く、蠍座の自分との相性が良いと語っている*160。因みに、来生は松田の仲人を2回務めている*161

2人の共演は『来生たかお アコースティックコンサート2008』が最後となり、2008年3月付で松田は「スタートル」を脱退した。なお、脱退の理由は明らかにされていない。

松任谷由実(シンガーソングライター)

来生と松任谷は、松任谷のアルバム『流線形'80』に収録された「Corvett1954」でデュエットをしている。

松任谷によれば、コードがマイナーになったり、メイジャーになったり、ジャージーだったりする本曲は、アメリカのテレビ映画『サーフサイド6』や『ハワイアン・アイ』のテーマソングの影響で、登場する男女のイメージは、トロイ・ドナヒューとスザンヌ・プレシェットだという*162。また、少し古めかしい響きがある来生の声は格好良くて好きだと語り、デュエットの相手は来生しかいないと述べている(NHK-FM『スタジオ・ライブ』(1979.01.15))。来生は、転調が多い楽曲故にとても難しく*163、周囲からは自作曲を歌う時よりもセクシーという感想があったと語っている*164

みうらじゅん(漫画家)

「服を着過ぎると『着すぎたかお』って思うよね」と発言している。

三浦友和(俳優)

三浦は、CMの撮影でロサンゼルスに赴いた際、来生のオリジナルアルバムジグザグ』を初めて聴き、とても新鮮で気持ちが良く*165、『浅い夢』も気に入り、自らのアルバム『素描(デッサン)』を制作するに当たり、収録曲の全ての作曲を来生に依頼している。大スターからキティレコードに電話があり、まだほぼ無名だった来生は「何故、僕の所に?」と驚いたという*166

来生えつこは、三浦に楽曲を提供する上で、弟とほぼ同じ年頃という事で、歌う背景に共通点があり、弟の場合と同じ気持ちで作詞が出来る為、安堵しつつ、弟の顔よりも三浦の凛々しい顔を思い浮かべて書く方が数段イメージが湧くと語っている*167。因みに、アルバム制作の打ち上げの際、冬場のフレンチレストランに冷たいビールやワインしかなく、熱燗が好きな来生えつこは困ってしまい、何とかホットウィスキーを作って貰ったという*168

また、三浦は対談の折り、長い台詞を覚えられる俳優の凄さに言及した来生に、歌はメロディーに合わせて歌詞を覚えなければならず、間違えたら伴奏が先に進んで直ぐに取り返しが付かなくなるが、芝居は例え間が空いてもそれが逆に良い効果を生む場合もある為、歌手の方が難しいと語ったという*169

来生は三浦の歌唱について、俳優が歌うと灰汁が強くて泥臭くなり勝ちだが、とても自然で良いと述べている*170

水越恵子(シンガーソングライター)

同じ事務所に所属していた香坂みゆきから「この人良いから聴いてみて」と言われ、来生の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」を知って意識し出したと述べている*171。好きな楽曲は「長雨(ながあめ)」で*172、1979年にコンサートの楽屋を訪ねた際には同曲をリクエストしたという*173。来生については、男の哀愁をしみじみと感じさせてくれる人で、都会の生活の中で見落とし勝ちなときめきを大事にする歌手という印象を抱いており、作曲家として最も刺激的な人物の1人で、ヴォーカリストとしてはファンだと語っている*174

三谷泰弘(シンガーソングライター)

コンサート(『esq Tour '03 Koo:kan』2004.01.11/東京都・STB 139)で「浅い夢」をカヴァーした事があり、MCにて、曲を書き始めた頃は作詞が出来ず「あんな歌詞を書いてくれるお姉さんがいたらどんなに良いだろう」と思っていたと明かしている。

minami(歌手)

cossamiのリードヴォーカルを務めるminamiは、来生を師と仰いでいる。来生のメロディに出逢った際、ゆっくりと身体に浸透して血と共に巡るようで、普遍的なものを感じたという*175。また、提供楽曲を収録したアルバム『tricolour mermaid』の先行配信リリース記念コンサートにて、強く憧れる来生と共演出来た事が嬉しかったという*176

来生は、軍隊に例えれば「大将」である人物に楽曲の提供を依頼された為、「一兵卒」でしかない自分は引き受けるしかなかったという*177。演者の緊張を感じ取ってしまうのが嫌でほとんど他人のステージを観る事はない来生だが、cossamiのそれを観た時は、ヴォーカル、ギター、キーボードの女性3人に弦楽四重奏という編成が面白く、ハーモニーも綺麗で、古い楽曲の選曲が自分のセンスに似ており、楽曲の提供に際して思わず4、5曲も作ってしまった程、好印象を抱いたという*178。なお、「大将」と称された人物は、minamiの実父であり来生をデビューさせた多賀英典の事だと思われる。

南野陽子(女優)

来生の歌手デビュー20周年に寄せたメッセージで、来生の放つメロディーが大好きで、提供楽曲はどれも大切に想っていると述べている*179

三橋一夫(音楽評論家)

1982年当時の来生に関して、オリジナルアルバムの曲数と同等の提供曲を作り出している日本のシンガーソングライターは他に例がないと語っている*180

美村あきの(漫画家)

漫画家としてデビューした1977年、ラジオから流れて来た「長雨(ながあめ)」に釘付けになって以来のファンで、自作品の登場人物には絶対、来生の声と勝手に決めていたという*181

村下孝蔵(シンガーソングライター)

夏 長崎から さだまさし』で知り合い、加山雄三や荒木一郎等を聴いて育ったほぼ同世代の村下と話が合ったという*182。1960年代から1970年代に掛けての昭和歌謡を歌うコンサート『来生たかお Exclusive Live Memories of Showa』では、唯一1980年代の楽曲である「踊り子」をアンコール曲として選曲し、早逝した村下が今も生きていたら、良い楽曲をもっと沢山書いただろうと語っている*183

桃井かおり(歌手)

来生が「セーラー服と機関銃」「夢の途中」でブレイクする前からファンだったという*184。来生は、桃井が出演した『赤い鳥逃げた?』『青春の蹉跌』等の映画が好きでファンだったが、憧れの人とは会わずに遠い所から見ている方が良いと思ったという*185

や行

八木さおり (女優)

来生のライヴアルバム『Try to remember』の感想として、土曜日の雨上がりの昼間に聴くのに良く、「シルエット・ロマンス」「夢の途中」等を思わず口遊み、「H2Oが歌ってた僕等のダイアリーはツボだわ」と語っている*186

薬師丸ひろ子(女優/歌手)

中学時代に*187、友達から来生のアルバムをプレゼントされ、初めて来生の存在を知り、それをきっかけに全てのアルバムを揃え、コンサートにも足を運んでいたという*188。1980年に来生のファーストアルバム『浅い夢』に出会い、日に何度も聴いてうっとりしていた事を明かしている*189。来生との初対面は1981年9月30日、ポリドールのスタジオで、レコーディングの前夜は来生に会えると思うと眠れず、実際に対面した感想として、「やさしい世界」を持っていなければあのような素敵なメロディーは書けない、思っていた通りの人物だったと述べている*190。対する来生は、薬師丸の印象として、男側から見ると性的な部分は魅力ではあるが、そうではないピュアな美しい魂を感じ、吉永小百合や広末涼子が持っている輝きに通ずる、と語った事がある*191

安彦麻理絵(漫画家)

同業の魚喃キリコが結婚式のシミュレーションをした際、編集者の選曲により「ORACION -祈り-」(来生と斉藤由貴のデュエットヴァージョン)を入場BGMに使った所、イントロが流れ始めた途端、場の空気が神聖なものに変わるのを感じ、来生と斉藤のハモリで予想外に泣いてしまったという*192

山口一郎(ミュージシャン)

自身が所属するサカナクションの楽曲「スローモーション」をアレンジする際、中森明菜が歌う「スローモーション」をよく聴いたという*193。また、「セカンド・ラブ」について、全部のメロディにサビ感があり、歌っていて気持ち良いのではないかと述べている*194

山崎教昌(ミュージシャン)

かつて中森明菜のサポートをしていた事があり、その中森に楽曲提供をした来生のバックを務める事になったのは感慨深いと述べている*195

山下達郎(シンガーソングライター)

歌手デビュー間もない頃の来生は、南佳孝や高中正義、山下達郎等の次に来るアーティストと称されていた*196。来生自身は、メロディーラインやヴォーカルフィーリング、都会的なイメージ等が山下と似ていると言われるが、そうは思っていないと語っている*197

しかし、「来生の耳で薦められるアーティスト」との問いに山下の名を挙げ、コンサートも良いと語っている*198(1982年末の公演に足を運んでいる*199)。作曲には常に勉強をする姿勢が必要であり、その点で山下は井上陽水と共に立派で*200、来生をして、音楽以外の事柄に手を出さない「音楽バカ」と賛辞している*201

山本コウタロー(歌手)

来生のデビュー時のキャンペーンはアイドル歌手並みだったと証言している*202。特に『少年マガジン』の記事には、まだニューミュージック自体が市民権を得る前の事で、尚且つヒット曲もない新人の大特集であった為、「お金を掛けたパブリシティ」という印象を受けたという(来生自身も、自分くらいキャンペーンを行ったニューミュージックのアーティストはいないのではないかと語っている*203)。また、実際に対面した際には、「ギルバート・オサリヴァンが好きで、いつも家でピアノ弾いてます」とボソボソと話す来生に「ネクラ・ピアノ少年」との印象を受けてしまい、「こんな大宣伝をしてしまって、後はどうするのだろう」と心配になった事も明かしている*204

案の定、キャンペーンが空振りに終わってしまった為、宣伝にタレント性が追い付かず、良い楽曲を作っても良いレコードを出しても「売れなかったアーティスト」という扱いをされたのではないかと感じていたが、才能のある姉の存在もさる事ながら、「曲の力だけでここまで来た人」「メロディラインだけで人を惹き付けられる才能の一例」であり、本物のシンガー・ソングライターは提供曲をカヴァーした時に提供歌手より良くなる、という持論のある山本の中で「“カスリ”(ハズレ)の代名詞だった来生が、正真正銘のシンガー・ソングライターになった」と明言している*205

山梨鐐平(シンガーソングライター)

他のミュージシャンとの共演を好まない山梨だったが、共にギルバート・オサリヴァンのファンであり、その影響を受けた来生からの提案により『TAKAO KISUGI CONCERT Twilight Glow』でジョイントをしている。「僕の音楽は何にも属さない」という山梨だが、唯一同じ感性で曲作りをする来生からの誘いは本当に嬉しく、共演後には「初めて同じ国の人に会えた気がした」と語っている*206

ら行

宇多丸(ラッパー)

宇多田ヒカルのデビューシングル「Automatic」を初めて聴いた際、当時15歳の少女の自作曲とは思いも寄らず「来生姉弟テイストを感じさせる捻ったメロディー」と感じたと語っている*207。また、中森明菜の「スローモーション」が大好きで、「少女A」へのイメージチェンジは嫌だったという*208原田知世の「ときめきのアクシデント」も名曲と称している*209

劉哲志(シンガーソングライター)

ロックバンド「愛奴」のメンバーだった1975年頃、「渋谷ジァン・ジァン」で来生との対バンがあり、真面目で低姿勢な挨拶から感じた人となりが忘れられないと語っている*210

リリー・フランキー(タレント)

来生の楽曲を「濡れている」と表現している*211

Roberta Flack/ロバータ・フラック(歌手)

来日公演の際、偶々耳にした「夢の途中」を気に入り、ステージでスキャットで歌ったという。


*1 新井正人オフィシャルサイト(旧)『新井正人 HP Files.M.music.』
*2 日本テレビ系『1番ソングSHOW』(2013.04.10)
*3 石井竜也著『本日の日本』“第4章 最近 ニューミュージックの名曲をカバーするツアーをやります。”(ぴあ/2021.09.17)
*4 40th Anniversary 来生たかお Symphonic Concert 2015-2016 夢のあとさき』のMC
*5 40th Anniversary 来生たかお Symphonic Concert 2015-2016 夢のあとさき』のMC
*6 NHK-FM『フォーク・ライブ 第一部 来生たかおライブ』(1982.03.07)
*7 『FM fan』1980年2月5日号(共同通信社/1990.02.05)
*8 『FM fan』1990年2月5日号(共同通信社/1990.02.05)
*9 来生たかお Solo Live Premium Stand Alone 2014』のMC
*10 来生たかお Solo Live Premium Stand Alone 2014』のMC
*11 来生たかおソロライブ Stand Alone』のMC|コンサート(2014)のMC|『来生たかお Solo Live Premium Stand Alone 2014』のMC
*12 オムニバスアルバム『KITTY CONNECTION 20th century Vol.1』(2013.03.06)のライナーノーツ
*13 オムニバスアルバム『KITTY CONNECTION 20th century Vol.1』(2013.03.06)のライナーノーツ
*14 NHK-BS2特番『スーパースターライブ「日本で一番、憂鬱でハッピーな一日」 -井上陽水シークレットライブ-』(1999.12.10)|NHK総合特番『井上陽水 secret Live 遊んであげる 今日だけ』(1999.12.26)
*15 井上陽水のコンサートツアー『井上陽水コンサート2016「UNITED COVER2」』のMC
*16 『The BEST・HIT』1985年11月号"帰って来た! KISUGIサウンド"(学習研究社/1985.01.01)
*17 レコード店の無料配布小冊子『永遠の瞬間』
*18 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.16(キティ・ミュージック・コーポレーション/1991.04?)
*19 『guts』1982年4月号“デビューして6年目。「夢の途中」で一挙に飛び出した――来生たかお”(集英社/1982.04.01)
*20 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*21 来生たかお Solo Live Premium Stand Alone 2014』のMC
*22 井上陽水のコンサートツアー『井上陽水コンサート2016「UNITED COVER2」』(2016.03.05/京都府・ロームシアター京都 メインホール)のMC
*23 フジテレビ系『TK MUSIC CLAMP』(1995.10.18)
*24 来生たかおソロライブ Stand Alone 2009』のMC
*25 来生たかお Concert Tour '83 ミディアム気分で…』のツアーパンフレット
*26 TOKYO-FM『Live Depot』(2004.12.09)
*27 来生たかお Concert Tour '83 ミディアム気分で…』のツアーパンフレット
*28 大原みりん著『〆切り金曜日』(文芸社/2001.11)
*29 『別冊近代映画 岡田有希子特集号』(近代映画社/1984.08.15)
*30 『別冊近代映画 岡田有希子特集号』(近代映画社/1984.08.15)
*31 『別冊近代映画 岡田有希子特集号』(近代映画社/1984.08.15)
*32 『小椋佳の世界』“新曲への想い”(日本音楽教育センター/1997.04)
*33 『鑑賞アルバム 小椋佳の世界』“新曲への想い”(日本音楽教育センター/1997.04)
*34 『産経新聞』“対談 小椋佳+来生たかお”(産業経済新聞社/1997.04.08)
*35 『産経新聞』“対談 小椋佳+来生たかお”(産業経済新聞社/1997.04.08)
*36 小椋佳トリビュートコンサート 夢歌詩、あるところに』(2008.05.31・06.01)のMC
*37 『鑑賞アルバム 小椋佳の世界』“新曲への想い”(日本音楽教育センター/1997.04)
*38 小椋佳トリビュートコンサート 夢歌詩、あるところに』(2008.05.31・06.01)のMC
*39 『ソングブック・シリーズ25 来生たかお ギター弾き語り 最新LP「SRAKLE」まで全曲集』“来生たかおって、どんな男? ”(KMP/1981.09.20)
*40 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*41 FM東京『パイオニア・サウンド・アプローチ』1979.03.25
*42 イナザワサウンドサーカス vol.5 あの頃のラヴソングをあなたに』のMC
*43 『CDJournal.com』"TSUKEMEN、ORANGE RANGEメンバーも参加、来生たかおデビュー40周年記念ベスト『夢のあとさき』"(音楽出版社/2016.01.26)
*44 『音楽ナタリー』Power Push“[特集] ORANGE RANGE「縁盤」特集”(2016.07.20/ナターシャ)
*45 『音楽ナタリー』Power Push“[特集] ORANGE RANGE「縁盤」特集”(ナターシャ/2016.07.20)
*46 『entertainment station』“ORANGE RANGE、 “縁”を繋ぐコラボで祝う結成15年!”(2016.07.13/ブックリスタ)
*47 『日刊サイゾー』恋愛大特集!“話題のミュージカル『ブルースインザナイト』出演者に聞く、恋を連想させるこの一曲”(2011.09.26/サイゾー)
*48 来生たかお Concert Tour '83 ミディアム気分で…』のツアーパンフレット
*49 『moment』“talk & interview”(2005)
*50 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*51 『FMレコパル』1991年12月9日号“MEET THE MUSIC メロディー重視のデュエットで共演 ギルバート・オサリバン&来生たかお”(小学館/1991.12.09))
*52 ギルバート・オサリヴァンのコンサート『GILBERT O'SULLIVAN at duo Music Exchange』(2004.06.06/東京都・duo MUSIC EXCHANGE)|『GILBERT O'SULLIVAN Gilbertville Japan Tour』(2011.10.06/東京都・Billboard LIVE Tokyo)
*53 『新譜ジャーナル』1984年3月号“シンガー&ソング・ライター対談 倉橋ルイ子・来生えつこ”(自由国民社/1984)
*54 『新譜ジャーナル』1984年3月号“シンガー&ソング・ライター対談 倉橋ルイ子・来生えつこ”(自由国民社/1984)
*55 『FM fan』1983年11月7日号“PEOPLE 来生たかお VS 倉橋ルイ子”(共同通信社/1983)
*56 クリス松村オフィシャルブログ 夢見る勇気“たかおの季節”(2013.05.09)
*57 クリス松村オフィシャルブログ 夢見る勇気“たかおの季節”(2013.05.09)
*58 You Tube『香坂みゆきオフィシャルYouTube?チャンネル「Miyuky_way」』2022.08.04)
*59 『guts』1980年5月号“ファン交歓 水越けいこ←→来生たかお コンサートに婚約者(フィアンセ)が来て…上がっちゃったね”(集英社/1980.05.01)
*60 清水圭オフィシャルサイト『K432.net』“酔っぱらったイキオイで…”(2015.12.23)
*61 TBSラジオ『小堺一機のサタデーウィズ』(2006.09.16)
*62 フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1984.03.27)
*63 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.20(キティ・ミュージック・コーポレーション/1992.02)|TBSラジオ『小堺一機のサタデーウィズ』(2006.09.16)
*64 『小堺クンのおすましでSHOW FINAL おすましBeyond(のむこうがわ)』(2017.03.09-12/東京都・新国立劇場)のMC
*65 『小堺クンのおすましでSHOW FINAL おすましBeyond(のむこうがわ)』(2017.03.09-12/東京都・新国立劇場)のMC
*66 関西テレビ系『フロッピあ!』(1986)
*67 『小堺クンのおすましでSHOW FINAL おすましBeyond(のむこうがわ)』(2017.03.09-12/東京都・新国立劇場)のMC
*68 フジテレビ系『ライオンのごきげんよう』(2016.03.25)
*69 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『HEAD ROCK』1986年8月25日号 Vol.63“TAKAO CLUB VOL.34〈『来生たかお 10th ANNIVERSARY ELEVEN NIGHT THEATER』のMCから抜粋〉”(キティ・ミュージック・コーポレーション/1986.08.25)
*70 TBSラジオ『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』
*71 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.41(ベイシック/1995.11?)
*72 『ROCKIN' ON JAPAN』1995年1月号 VOL.92“ピチカート・ファイヴ、小西康陽を暴く!”(ロッキング・オン/1995)
*73 小林倫博オフィシャルサイト『小林倫博のPhoto & Essay』“過去ログ 煙の中に”
*74 来生たかおに関する総合誌『来生新報』
*75 小林倫博オフィシャルサイト『小林倫博のPhoto & Essay』“過去ログ 煙の中に”
*76 小林倫博オフィシャルサイト『小林倫博のPhoto & Essay』“プロフィール”“過去ログ 煙の中に”
*77 小林倫博オフィシャルサイト『小林倫博のPhoto & Essay』“過去ログ 煙の中に”
*78 小林倫博オフィシャルサイト『小林倫博のPhoto & Essay』“過去ログ 煙の中に”
*79 紺野紗衣フェイスブック(2016.04.24)
*80 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.1(キティ・ミュージック・コーポレーション/1988.04)
*81 ニッポン放送『オールナイトニッポン MUSIC10』(2016.6.30)
*82 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*83 FM NACK FIVE『坂崎幸之助のK's TRANSMISSION』(2012.12.07)
*84 来生たかお マンスリーソロライブ Stand Alone Another Side』(2006.11.24)のMC
*85 『YOMIURI ONLINE』“懐かしのアイドル曲、ロック仕立てに…真心ブラザーズ”(2015.12.10)
*86 さくらプロダクション ももこのWebコラム第10回「来生たかおについて」(2005.02.18)
*87 『読売新聞』“来生たかお 心地よさと哀愁”(読売新聞社/2017.12.07)
*88 文化放送『さだまさしのセイ!ヤング』(1982.02.20)
*89 『報知新聞』 “悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*90 『報知新聞』 “悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*91 『The BEST・HIT』1983年1月号"各界著名人30人の感性で振り返る1982年 アンケート'82"(学習研究社/1985.01.01)
*92 文化放送『さだまさしのセイ!ヤング』(1982.02.20)
*93 『月刊Big Music』1983年7月号“CITY TALK 来生たかおVS沢田聖子”(講談社/1983)
*94 CROSS FM『MUSIC VOICE 日曜日 椎名林檎の悦楽巡回』(1999.05.30)
*95 CROSS FM『MUSIC VOICE 日曜日 椎名林檎の悦楽巡回』(1999.05.30)
*96 『音楽ナタリー』特集・インタビュー“椎名林檎「ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜」インタビュー”(ナターシャ/2019.11.13)
*97 『Sponichi Annex』"365日 あの頃ヒット曲ランキング"【1994年9月】恋しさと せつなさと 心強さと/下積み長かった篠原涼子 ブレーク! (スポーツニッポン新聞社/2011.09.23
*98 『WANI BOOKS NewsCrunch?』“りかワニ紅白歌合戦”(ワニブックス/2020.11.05)
*99 『WANI BOOKS NewsCrunch?』“りかワニ紅白歌合戦”(ワニブックス/2021.01.14)
*100 清水圭オフィシャルサイト『K432.net』“酔っぱらったイキオイで…”(2015.12.23)
*101 清水圭オフィシャルサイト『K432.net』“酔っぱらったイキオイで…”(2015.12.23)
*102 清水圭オフィシャルサイト『K432.net』“デッキの塗装、無事完了!”(2015.12.27)
*103 清水圭オフィシャルサイト『K432.net』“デッキの塗装、無事完了!”(2015.12.27)
*104 TBS系『サワコの朝』(2012.12.15)
*105 テレビ東京系『みゅーじん』(2009.03.15)
*106 『excite musi』“愛の連鎖”を歌った、美しいバラード曲(2008.04.01)
*107 来生たかお Concert Tour '83 ミディアム気分で…』のツアーパンフレット
*108 FM愛知『NDS presents 高嶋ちさ子 Gentle Wind』(2011.04.08・15)
*109 高田文夫著『毎日が大衆芸能 -娯楽・極楽・お道楽-』“ヘイ!「BROTHER」悲しいくらい北野が好きだ”(中央公論新社/2002.05)
*110 『タケカワユキヒデ デビュー40周年記念公演 第3弾 僕のソングブック〜カヴァーズ part10 & SINGLE COLLECTION vol.2〜』2015.07.19/東京都・ 南青山 MANDALA)
*111 『GORO』1982年3月11日号“Go Rocking Interview 来生たかお”(小学館/1982.03.11)
*112 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*113 『JUNON』1988年8月号“来生たかお、斉藤由貴 北海道、静内の牧場で。兄と妹のように。”(主婦と生活社/1988)
*114 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*115 『GORO』1977年1月13日号(01.13“LIFE IN MUSIC 歌のよさ詞よりもメロディーと断言できる男 生来(きすぎ)>たかお”(小学館/1977.01.13)
*116 富澤一誠著『あいつのクシャミ』““マネージャー泣かせ”で“女泣かせ”の逆立つ髪の毛”(飛鳥新社/1980.01.06)
*117 TOKYO FM『ON THE PLANET AGE FREE MUSIC 大人の音楽』(2016.10.12)
*118 『GORO』1977年1月13日号(01.13“LIFE IN MUSIC 歌のよさ詞よりもメロディーと断言できる男 生来(きすぎ)>たかお”(小学館/1977.01.13)
*119 TOKYO FM『ON THE PLANET AGE FREE MUSIC 大人の音楽』(2016.03.07)
*120 フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1984.03.27)
*121 テレビ東京系『タモリの音楽は世界だ』(1991.11.02)
*122 永英明オフィシャルブログ「ブログでひとりごと」(2010.02.07)
*123 永英明オフィシャルブログ「ブログでひとりごと」(2010.02.07)
*124 NHK総合『MUSIC JAPAN』(2014.06.16)
*125 『CINRA.NET』"中田裕二×クリス松村 知っているようで知らない「名曲」の裏側"(CINRA/2016.09.20)
*126 『ぴあ関西版WEB』インタビュー&レポート“「歌うこと=生きること」”(2014.07.12/ぴあ)
*127 『CINRA.NET』"中田裕二×クリス松村 知っているようで知らない「名曲」の裏側"(CINRA/2016.09.20)
*128 『music shelf』最前線で活躍するミュージシャンの今を伝える Vol.106“「存在の証明、その先へ」椿屋四重奏”の“歌謡曲再発見”(金羊社/2009.08.17)
*129 『music shelf』最前線で活躍するミュージシャンの今を伝える Vol.106“「存在の証明、その先へ」椿屋四重奏”“歌謡曲再発見”(金羊社/2009.08.17)
*130 『音楽ナタリー』特集・インタビュー“椿屋四重奏 10周年を迎え最新モードに突入 自然体が生んだ傑作アルバム”(ナターシャ/2010.08.04)
*131 『平成26年版 将棋年鑑 2014』(マイナビ/2014.08.01)
*132 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*133 TBSラジオ『中村雅俊マイ・ホームページ』(2003.02.10)
*134 『女性自身』2006年10月10日号の、買っとく知っとくNEWSTOCK“GARNET CROW(ボーカル・作曲担当)中村由利”(光文社/2006)
*135 来生たかお Concert Tour '83 ミディアム気分で…』のツアーパンフレット
*136 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*137 『FM STATION』1983年5月23日号“ミュージック・モーニングコーヒー”(ダイヤモンド社/1983.05.23)
*138 『FM STATION』1983年5月23日号“ミュージック・モーニングコーヒー”(ダイヤモンド社/1983.05.23)
*139 『FM STATION』1983年5月23日号“ミュージック・モーニングコーヒー”(ダイヤモンド社/1983.05.23)
*140 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*141 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*142 『music shelf』“平井堅 デビュー15年 歌い続けるという覚悟”(2010.11.05/金羊社)
*143 テレビ神奈川『カフェシティ・ヨコハマ』
*144 平野肇著『僕の音楽物語(1972-2011)名もなきミュージシャンの手帳が語る日本ポップス興亡史』(祥伝社/2011.09.06)
*145 平野肇著『僕の音楽物語(1972-2011)名もなきミュージシャンの手帳が語る日本ポップス興亡史』(祥伝社/2011.09.06)
*146 平野肇著『僕の音楽物語(1972-2011)名もなきミュージシャンの手帳が語る日本ポップス興亡史』(祥伝社/2011.09.06)
*147 船山基紀オフィシャルサイト『the official motoki funayama website』のブログ“今年も宜しくお願いします。とひそかに告知。。。”(2008.01.09)の書き込みへのレスポンス(2008.02.28)
*148 『Player』2001年2月号“Dear My Partners”(プレイヤー・コーポレーション/2001)
*149 法田勇虫オフィシャルブログ『ギター弾こう。。。』“八戸 ”(2011.08.28)
*150 法田勇虫オフィシャルブログ『ギター弾こう。。。』“八戸 ”(2011.08.28)
*151 MUSIC BIRD『カズンいずみの虹色ラジオ』(2011.05.07,14)
*152 『The BEST・HIT』1983年1月号"各界著名人30人の感性で振り返る1982年 アンケート'82"(学習研究社/1985.01.01)
*153 『SEIKO SUITE』のブックレット“聖子に関するメッセージ”(ソニー・ミュージックレコーズ/2000.07.05)
*154 フジテレビ『シオノギ・ミュージックフェア'82』(1982.11.04)
*155 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.40(ベイシック/1995.08)
*156 ファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.40(ベイシック/1995.08)
*157 ファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.40(ベイシック/1995.08)
*158 ファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.40(ベイシック/1995.08)
*159 ファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.40(ベイシック/1995.08)
*160 来生たかおソロライブ Stand Alone 2012』(2006.09.22)のMC
*161 来生たかおソロライブ Stand Alone 2012』(2006.09.22)のMC
*162 FM東京『AGFコーヒータイム』(1982.01)
*163 オフィシャルファンクラブ「TAKAO CLUB」の会報『égalité』vol.27(ベイシック/1993.06)
*164 NHK-FM『スタジオ・ライブ』(1979.01.15)
*165 『guts』1979年1月号“新しいコンビ誕生 三浦友和&来生たかお”(集英社/1979.01.01)
*166 来生たかおソロライブ Stand Alone 2013』(2013.07.06)のMC
*167 三浦友和のコンサートパンフレット『友和in二人でコンサート』(1979)
*168 来生えつこ著『「なぜ?」の本 素朴な疑問がわきました』“第四章 わたくしごとで恐縮ですが…… なぜに、冷や酒”(清流出版/2008.04.26)
*169 来生たかおソロライブ Stand Alone 2013』(2013.07.06)のMC
*170 三浦友和のコンサートパンフレット『友和in二人でコンサート』(1979)
*171 『guts』1980年5月号“ファン交歓 水越けいこ←→来生たかお コンサートに婚約者(フィアンセ)が来て…上がっちゃったね”(集英社/1980.05.01)
*172 『GORO』1982年3月11日号“Go Rocking Interview 来生たかお”(小学館/1982.03.11)
*173 『guts』1980年5月号“ファン交歓 水越けいこ←→来生たかお コンサートに婚約者(フィアンセ)が来て…上がっちゃったね”(集英社/1980.05.01)
*174 『GORO』1982年3月11日号“Go Rocking Interview 来生たかお”(小学館/1982.03.11)
*175 『Nicheee!』“哀川翔が長女と親子共演!話題の女性グループ・cossami(コッサミ)を応援!”(2013.05.15)
*176 『Nicheee!』“哀川翔が長女と親子共演! 話題の女性グループ・cossami(コッサミ)を応援!”(2013.05.15)
*177 『「tricolour mermaid」先行配信リリースconcert』(2013.06.08)のMC
*178 『Nicheee!』“来生たかおがスペシャルゲストで登場! cossami「tricolour mermaid」ライブレポート� ”(2013.06.11)
*179 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*180 来生たかお Concert Tour '82 夢の途中…』のツアーパンフレット“ビートルズ世代のメロディー・メイカー”
*181 美村あきの Twitter(2018.02.04)
*182 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*183 来生たかお Exclusive Live Memories of Showa』のMC
*184 『映画情報』1982年4月号“ミュージック・コーナー 話題の歌手㉑ 来生たかお ヒットにとまどうマイ・ペースの音楽人生 ”(国際情報社/1982.04.01)
*185 『報知新聞』“悪友親友こう言う録”(報知新聞社/1991.05.23)
*186 八木小織里オフィシャルブログ『映画“ミタイ”な生活』“雨上がりに”(2008.10.11)
*187 『高一時代』1982年2月号“センセーショナル・アイドル 薬師丸ひろ子”(旺文社/1982.02.01)
*188 『ヤングフォーク』1982年2月号 No.43“あこがれ対談 「セーラー服と機関銃」で夢の対決!”(講談社/1982.02.01)
*189 来生たかお 20周年Special Concert ベストセレクション 浅い夢から』のパンフレット
*190 『ヤングフォーク』1982年2月号 No.43“あこがれ対談 「セーラー服と機関銃」で夢の対決!”(講談社/1982.02.01)
*191 『週刊文春』1999年10月28日号“3500人アンケートわたしのシネマアイドルベスト50”(文芸春秋社/1999.10.28)
*192 安彦麻理絵『再婚一直線!』“第11回 ウエディング・ドレスで夢見よう!”(祥伝社/2005.12.05)
*193 NHK-FM『サカナクション・山口一郎 Night Fishing Radio』2018.12.16
*194 NHK-FM『サカナクション・山口一郎 Night Fishing Radio』2018.12.16
*195 『山崎教昌ソロライブ』(2015.09.16)のMC
*196 『JJ』1980年10月号“JJ VOICE 南佳孝、高中正義に似ているといわれずに、自分の歌を歌っていきます”(光文社/1980.10.01)
*197 『JJ』1980年10月号“JJ VOICE 南佳孝、高中正義に似ているといわれずに、自分の歌を歌っていきます”(光文社/1980.10.01)
*198 『Hot・Dog press』1982年12月25日号“HUMAN HOT INTERVIEW 内弁慶メロディ・メーカーはオリコンを毎週愛読しているのだった。”(講談社/1982.12.25)
*199 『ARENA37℃』1983年5月号“HOT-TIME 「音楽やってる人間は、音楽だけやってなきゃダメ」 他人の仕事が多かった来生たかおが、今年は自分の活動に力がはいってる!”(音楽専科社/1983.05.10)
*200 『シティロード』1982年3月号“追っかけインタビュー”(エコー企画/1982.03.01)
*201 『ARENA37℃』1983年5月号“HOT-TIME 「音楽やってる人間は、音楽だけやってなきゃダメ」 他人の仕事が多かった来生たかおが、今年は自分の活動に力がはいってる!”(音楽専科社/1983.05.10)
*202 山本コウタロー著『ぼくの音楽人間カタログ』(新潮社/1984.05.15)
*203 来生たかお 20th Anniversary Concert Tour '95〜'96 夢より遠くへ』のツアーパンフレット
*204 山本コウタロー著『ぼくの音楽人間カタログ』(新潮社/1984.05.15)
*205 山本コウタロー著『ぼくの音楽人間カタログ』(新潮社/1984.05.15)
*206 山梨鐐平さんとの語らい パート3
*207 TBSラジオ『ウィークエンドシャッフル』の“サタデーナイトラボ「宇多田ヒカル特集」【前編】”(2010.11.27)
*208 TBS系『マツコの知らない世界』(2011.11.04)
*209 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』“カルチャートーク”(2018.11.21)
*210 You Tube『香坂みゆきオフィシャルYouTube?チャンネル「Miyuky_way」』2022.08.04)
*211 BSプレミアム『The Covers』(2014.10.06)