CANALAZZO 8号


CANALAZZO 8号

2006/03/28(火)発行

━━━(1面)【国際】アテネ沖海戦、イングランド・ヴェネツィア連盟軍敗退するもアテネ死守━━━━━━━━━━

3月26日、3日間にわたったアテネ沖海戦は、数に勝るポルトガル・フランス・ネーデルランド3カ国合同軍(以下、南軍)が戦闘を優位に進め、イングランド・ヴェネツィア連盟軍(以下、北軍)が一敗地にまみれる結果となった。
(関連記事→2面・3面)

本海戦の前哨戦は、サロニカにてはじまった。
開戦前、ポルトガル使節団がサロニカを訪問し、サロニカの好意的中立を勝ち取ることに成功。これに対応し、ヴェネツィア側も急遽使節団を派遣。サロニカの僭主と交渉を開始し、海戦期間中、二転三転する経済戦に突入した。
一方、オデッサ太守はヴェネツィアの庇護下から離れ、イスタンブールのスルタンではなく、イングランドの庇護を求めるという予想外の行動に出た。

そのような情勢下、アテネ沖海戦は、南軍のカンディア占領を皮切りに、北上する南軍と北軍前衛がアテネ沖合で衝突し、本格化した。
初日は、混戦状況のまま、南軍が北軍を半ば包囲しながら推移。大型艦艇での決戦で北軍が多少押し戻すも、苦戦を強いられた。
2日目には、南軍策源地となったカンディア奇襲が試みられたが、失敗。逆に孤立した別働隊が各個撃破の対象となった。
北軍司令部は3日目になって、サントリーニ島西側に艦隊を集結させ、一転突破を図る作戦を採用して逆転を試みたものの、南軍の重囲を破れず、状況不利のまま休戦調停に応じることとなった。

結果、アテネ開城となるかにみえたが、休戦協定成立直後から、20億ドゥカートを遥かに超えるイングランド資本が雪崩込み、聖ヨハネ騎士団もこれを受け入れたため、当面アテネはイングランド同盟を維持するものと見られている。

━━━(2面)【軍事】ヴェネツィア最大規模の艦隊派遣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

アテネ沖海戦において、ヴェネツィアは、当初大型艦約40隻を主軸とする艦隊を派遣した。
さらに、初日の苦戦が伝えられるや、元老院は増派を決定。最終日には補給艦も含めて100隻を越える艦艇が投入され、戦闘艦数でもフランス海軍に迫る規模となった。
精鋭艦隊を揃えたフランス、ネーデルランドに較べ、商船・探検船をかき集めて志願兵を送り出したといった感は否めないものの、防衛線の一角を担う活躍を果たした。
海軍内部では、警備艦隊の新設・模擬演習の強化を検討しており、今回の経験を糧に一層の海軍力の強化につなげていく考えだ。

━━━(3面上段)【海外】カンディア奪還━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

3月27日夜、ヴェネツィア海軍は、ポルトガルに占領されたカンディアに入港。
瞬く間に占領部隊を駆逐し、カンディア奪還を果たした。
また、戦災復興資金として約3億5千万ドゥカートの寄付がカンディア総督府に寄せられた。

━━━(3面下段)【半面広告】春のカリブ研修ツアー━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

常夏のカリブで休暇を愉しみ、ついでに現地で、美術商・両替商の心得を学んでみませんか。
集合:4月2日、リスボン出発の予定です。
講師:両替商研修にジョルジョーネ先生・美術商研修にキノコル・ディ・アンコナ先生を予定

※転職には、工芸品取引・貴金属取引にある程度の熟練が必要です。ご注意ください。
また、日程変更の可能性もありますので、詳しくは、サンマルコ広場の公式掲示板をご覧ください。

〔主催〕ヴェネツィア美術商組合・リアルト両替商組合
〔後援〕シャイロック銀行・ヴェネツィア国立造幣局