認知療法的名言集


過去ログから、ポンと膝を打つ、《認知療法的》名言を集めていきましょう。

適当にやる

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1239665915.html#R77

77 名前:優しい名無しさん:2009/04/19(日) 20:20:54 ID:2L/8sBRV
>>65 
前スレか何かに誰か書いてたんですけど、認知療法っていかに 
適当にやるかが大事な気がします。私は自動思考と合理的な考えだけを 
自由に書いて、スキーマだけを意識してます。 
スキーマ以外は森田療法の教えとか組み合わせたら楽になりましたよ。 
認知療法って合理的な考え方だから、合理的に自分にあったやり方を探すのが 
いいと思います。 

79 名前:優しい名無しさん:2009/04/19(日) 22:40:56 ID:sEbpF2Bm
>>77 
あれ?俺いつ書きこんだっけ? 

80 名前:優しい名無しさん:2009/04/20(月) 07:58:03 ID:f6wth5Q7
>>77 
いいと思う。 
スキーマさえ押さえておけば、とりあえず悪い方向にはならないかと。

「行為」と「存在」を分けて考える

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1179571533.html#R760

760 名前:優しい名無しさん投稿日:2008/07/05(土) 22:09:00 ID:lWPMROhE
>>759
「行為」と「存在」を分けて考えてごらん。
エリスは著書の中でこのことを何度も強調しているよ。

すなわち人間の「行為」には優劣があっても、人間の「存在」には優劣がないんだな。
「行為」にはおまいさんの言うように社会的な優劣が厳然としてあるわけだが、
「存在」は人が「存在」している限り、定義的に無条件肯定されるということだ。

この「存在としての平等性」に気付くことが人間の受容スキルをはぐくむんだよ。
「自分の行為は有名人ほど立派じゃないかもしれないし、犯罪者ほど悪くないかもしれない。
でもそんなことは関係なく、ありのまま自己受容や他者受容をしよう。」
そういった感覚ですな。

………

もちろん上記の哲学を身に付けるも身に付けないも個人の自由さ。
ただ身に付けると非常にメリットが多い、というだけの話だ。

例えばこの哲学を身に付けると「失敗」というものに寛容な態度を持つことができる。
自分が失敗を犯せば、それは「行為」に関わるものとして否定するが
「存在」に関わるものとしては否定しないということです。
このため失敗の恐れや後悔から解放され、失敗から意義ある教訓を学べるようになる。

同様に他者が失敗を犯せば、その「行為」としては否定するが他者の「存在」は決して否定しない。
「罪を憎んで人を憎まず」ってやつだね。
自分も他者もストレスが減るので、自然と人間関係は心地よいものになるわけだな。

バールのようなもの

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1230889786.html#R80

80 名前:優しい名無しさん:2009/01/05(月) 23:23:46 ID:lE8HMA2h
>>68 
> 確かに朝の温かい甘いコーヒー(糖分で少し目が覚める気がする)に助けられてる気する 

伝え聞きなので、現在の実際の状況は良くわかりませんが、 
なんでもイタリアの男たちは、朝、まず出勤前にバール(≒カフェ)に寄って 
あの濃厚なエスプレッソにドロドロになるぐらいたっぷり砂糖を入れて 
そいつを一気にグイっと呷り、ついでに馴染みのバリスタ(≒店員)と 
ちょっと世間話でも一言二言交してからバールを出て、1日を始めるとか、なんとか。 

81 名前:80:2009/01/05(月) 23:25:15 ID:lE8HMA2h
最近カフェインに弱くなってしまった私からは 
砂糖どっぷりな濃いエスプレッソなんて今は劇薬に見えるぐらいですが、 

ただ、これを行動パターンとして見直してみると、 
---- ---- ---- 
・まず家からはとっとと外出するので、自宅で愚図つくヒマはなく、 

・すぐにバールに飛びこむので、積極的でなくとも 
 他者との触れあいがもうそこで発生するので孤独感は感じにくくなり、 
 すくなくとも自分の居場所は確保される。 

・エスプレッソを呷って、それに溶けあっているカフェインと糖分で 
 朝の血糖値が下りぎみな頭も回転する準備が整い、 

・ちょっとの時間だけど新聞やらモバイル機器で 
 ネットにアクセスして、軽く世間の状況を把握して 

・ついでに客慣れしたいつものバリスタと会話して 
 ちょっと楽しくなって笑ったり和んだりして 
 そしていつものようにバールを出る。 
 そして1日がはじまる。 
  ・・・うつにハマる隙がない。 

でも、イタリーに行かなくても、店員のしっかりしたスタバやタリーズや、 
メニューに拘らなければミスドやモスバーガーでもいいのかな、 
上記のイタリアのバールでの朝を日本である程度再現することは可能ですね。 

85 名前:優しい名無しさん:2009/01/06(火) 08:49:59 ID:oqkW04Ja
ふむ、「バールのようなもの」でくつろげということか。 

…。それはともかく、朝のルーチンワークが決まっている場合は、考えることなしに 
行動が始められるのかもしれんね。

裁判官の視点

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1179571533.html#R934

934 名前:優しい名無しさん2008/08/14(木) 20:31:53 ID:oRqnLpO5
>929
「中庸」に関してはメラニーフェネルが面白い喩えを書いてるよ。
(出典:自信をもてないあなたへ)


【裁判に喩えると…】

被告人―――自己概念

検察官―――ネガティブ思考―――自己概念に不利な証拠ばかり挙げ、有利な証拠を無視する

弁護人―――ポジティブ思考―――自己概念に有利な証拠ばかり挙げ、不利な証拠は無視する

裁判官―――認知療法―――すべての証拠を検証し、公平で中庸な評価を下す


認知療法を実践する際には「裁判官の視点」に立つことが大事なんですね。
とかくポジティブ思考と認知療法は混同されやすいが
この喩えはその違いを端的に表していると思う。

シーソーのような人間関係

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1179571533.html#R492

492 :優しい名無しさん:2008/04/22(火) 02:33:19 ID:Z+YaETfl 
>490  
比較癖ってのは自尊感情(self-esteem)と関係している。  
「ありのままの自分を肯定する」という感情ですね。  
 
これは、内面的に肯定するという点で「プライド(外面的な肯定)」とは異なるし、  
自分の欠点をも受容するという点で「ナルシシズム(長所だけの受容)」とも異なる。  
 
自尊感情が低い人は「シーソー」のような人間関係を持ってしまうんよ。  
自分を【上げる】ためには相手を【下げる】必要が生じるし、  
相手を【上げる】ときには自分を【下げる】ようになってしまう。  
 
「優越感を持つ人は劣等感から逃げられない」という理由はここにある。  
心理的な「シーソー」に乗っている以上  
不安定な自己概念を持ち続けることになるんだね。  
 
この非常に疲れる「シーソー」から降りるためは「ありのままの自分」を肯定することに尽きる。  
無条件の自己肯定は認知療法の核心の1つなので  
「シーソーに乗らないこと」を意識しながら実践を続けてみるといいね。 

人が他人と比較する理由

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1226313758.html#R423

423 名前:優しい名無しさん:2008/11/29(土) 22:04:29 ID:LZNMoc2C
>420
認知療法とは直接関係ないんですが、以下の本を読んだことがあるんだぽ。
 他者と比べる自分 (セレクション社会心理学 (3)) 高田利武 (著)
 http://www.amazon.co.jp/dp/4781906427
これによると、人が他人と比較する理由は大きく3つあるそうな。

1、正しくありたいから
   多くの場合「正しい行動」を知るためには周囲の他者を真似るのが効果的である。
   ゆえに人は自信が無かったり、不確実な状況に直面すると、他者と自分を頻繁に比較するようになる。

2、好かれたいから
   人間は本能的に「自分と似ている人」を好む。
   ゆえに人は周囲から好かれるために、他者と比較して「自分が持つ周囲と違う点」を減らそうとする。

3、優位に立ちたいから
   他者と自分を比較すれば集団内における自分の地位を推測することができる。
   ゆえに自分の地位を高めるために「周囲より優れた点」を増やそうとする。

………

まあ確実なことは言えないんですが、これを認知療法的に読み解くなら
「比較による鬱」が生まれる際の思考に上記3点が強く関与していることになろう。

すなわち
 「自分は正しくない」
 「自分は好かれない」
 「自分は優位でない」
といった否定思考が絡み合うことで鬱を生み出しているかもしれないんだね。

したがって合理思考を書き出す際は「自分が比較する理由」を多角的に捉えることが大事であろう。
劣等感(=自分は優位でない)からくる比較の他にも
「正しくありたいから」「好かれたいから」という側面を考慮するとベターなんだぬ。

現在→未来→過去、の順で癒されていく気がする

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1035300547.html#R56

56 名前:優しい名無しさん :02/10/27 00:25
   「うまい事行った経験を思い出す事」がどうしても出来ない。
   過去について分析をしすぎたからなのか、必ずマイナス点が浮かび上がってくる。
   成功は成功だったけど、あの動機は嫌われたくないから始めたんだよな、とか。

   でも、現在の日常は上手く行ってる。不思議と、動機の時点から肯定できる。
   認知療法実践以後なら良いことはたくさんあるのに、昔のことは良いこと一つも思い
   出せない。ていうか、思えない。

   まだ現在だけに焦点を絞っていた方が良いということですか?

57 名前:すちゃ :02/10/27 00:27
   >56
   将来うまくいく可能性について、色々思索を深めてください

58 名前:優しい名無しさん :02/10/27 00:34
   >すちゃさん

   度々ありがとうです。
   現在〜将来なら肯定的に思えるので、それなら無理なく
   色々出来そうです。
   その後ですね、過去は。

59 名前:優しい名無しさん :02/10/27 01:47
   うん。
   現在→未来→過去、の順で癒されていく気がする。

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1035300547.html#R537

537 名前:優しい名無しさん :03/01/11 13:01 ID:qVtEZ5Vo
   >>535
   >>59さんの言っている、これは名言だと思いました。

   >現在→未来→過去、の順で癒されていく気がする。

   落ち込んでる時って、この全く逆、過去→未来→現在の順番で物事を考えちゃって、悪循環に陥るんですよね。
   とりあえず古いことは気にしてもしょうがないんで置いておきましょう。
 
538 名前:優しい名無しさん :03/01/11 13:25 ID:WOJbspln
   過去が癒されないと現在が癒されない。
   未来も真っ暗、って考えるよね。
   確かに良い考えかも>59

539 名前:526 :03/01/11 14:46 ID:kNigwk2S
   気分が悪いのは過去を考えるからだ、としたら過去を
   考えないでいると気分が良くなることもありそうですね。
   気分が良くなれば過去のことも考えなくなりそうですし。

   過去がどうでも良くなれば、現在が焦点になった、新たな
   認知が生まれるかもしれませんね。

540 名前:優しい名無しさん :03/01/12 13:55 ID:6ug8Khhh
   >>537
   同じく名言だと思います。
   認知療法の本質をズバリ付いてる。
   現在が歪んでいないからこそ、未来も過去もありのままが見えるんですよね。

541 名前:優しい名無しさん :03/01/12 17:39 ID:jNL/1r5L
   >>537~540
   おおー
   なんかちょっと元気になってきた。
   そっかああ
   めもっとこ。

認知療法という筋トレ

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1010566518.html#R422

422 名前:421 :02/07/29 13:33
   一昨日から昨日にかけて、思考回路がダイナミックに切り替わりました。
   一昨日、飲み会で言われたことがショックで、絶望していました。
   自分ではできていたと思われた客観視が、見事に否定されて、ショックでした。
   そして昨日のこと、「ちっちゃな雪使いシュガー」のDVD最終巻を見て感動したあと、
   突然のように、不安や切迫感や記憶のフラッシュバックさえも消えていました。
   自分でも何があったのか分からなかったです。
   これは治ったのか?それとも一時の気の迷い?
   「いやな気分よ、さようなら」は明日手にはいるのですが、このままなら必要なさそう。

423 名前:優しい名無しさん :02/07/29 15:40
   >>422
   幾ら認知療法が自分に向いていても、ゆっくりと上昇していくもんだと
   思う。そういう気分の高揚する瞬間ってあったけど、最初からあまり
   信用はしてなかったな。
   認知療法は解答じゃない。筋力トレーニングと同じだよ。

424 名前:すちゃらかCP :02/07/29 19:53
   >認知療法は解答じゃない。筋力トレーニングと同じだよ。
   良いこと言うな。メモろう(笑)

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1035300547.html#R249

249 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :02/11/15 06:47
…(略)…
   だけど筋トレって言い方はつくづく見事だと思うな。筋肉痛を通過しな
   くちゃならないし、基本的には一人で黙々とやる作業だからね。
   足は鍛えたけど胸筋衰えてきたな・・とか。上手く行くといいですね。
   なにかの参考になってくれたら嬉しいです。

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1067765570.html#R549

549 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :03/11/28 01:49 ID:Cra8Occ8
   (【思考の】認知療法・論理療法 2【筋トレ】から)

    説得力を持つまで繰り返し繰り返し。。
    それがスレタイトル【筋トレ】の由縁でもある。

    筋トレであるだけに、最初は筋肉痛にもなるだろう。

    だけど筋トレって言い方はつくづく見事だと思うな。筋肉痛を通過しな
    くちゃならないし、基本的には一人で黙々とやる作業だからね。
    足は鍛えたけど胸筋衰えてきたな・・とか。上手く行くといいですね。

    筋トレだけに回り始めたら腕立て、腹筋、背筋を10回ずつすれば、どう
   でしょう
    うまくすれば体も丈夫になります。

    擁護的思考も今は確かに薄っぺらい物に感じ
    違和感がありますし、カラム法を書くこと自体がきついのですが
    これも筋トレ、なのですよね

    あと、歪みスケールがマイナスだからってショック受けなくてもいいん
   じゃないか な?マイナス=駄目じゃないんだし。それこそ全か無か思考で
   しょ。
    具体的な課題が明かになっただけ、次はそこを鍛えるべく思考の筋トレ。

    筋トレか・・。
    ハードルが高すぎる、と感じた場合にどうする?

551 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :03/11/28 01:55 ID:Cra8Occ8
   (【不安・抑うつ】認知行動療法 3【自己治療】から)

    私も前スレの筋トレっていうタイトル好きでした。
    何でやめちゃったんだろう?
    脳梗塞などの後遺症のリハビリにも似てますよね。

    上で筋トレとかリハビリに例えられる通りに
    根気がいるのと、筋トレやリハビリはまだ結果
    が目に見えますが、私たちの場合回復に向かってる
    のかどうか気づくのは確かに難しいですよね。
    あせる気持ちはわかります。

    お互い頑張りましょう筋トレ 

    あくまで理屈でそう思っているだけで、なかなか根付かないのですけどね。
    お互い筋トレ頑張りましょう

    本人ならもっと本人が楽になれる「別の考え」を思い付けるのとちがう?
    というか、そうなるための筋トレとしての認知(自己)療法なのだと思う。
    もっと、らく〜にいこうよ。
561 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :03/11/29 03:28 ID:9nEnuxel
 
   自分は逆に、頭でずーーっとぐるぐる考えて苦しい時に
   筋トレなんだ!と思うと、楽になったりするのですが。
   ばしっと合理的思考に切り替える必要はないんだ、
   毎日だんだん少しずつ成果が上がってゆくもの=筋トレなんだ!
   ってかんじで。

シューラーの合理的(擁護)思考の参考になるかもしれないリスト

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1067765570.html#R440

440 名前:優しい名無しさん :03/11/23 09:14 ID:kQRjwx/m
   合理的(擁護)思考の参考になるかもしれないリスト

   1.物事というのは外見通りに,ひどいことが多い。
   2.何も助けにならないのに,どうして嘆くのか?何も助けにならないからこそ,我々は泣くのだ。
   3.絶望的に感ずることに対して,何ができるだろうか?行きづまりの事柄に対して,何がおかしいのかしばらくの間はわからないものだ。
   4.それに耐えることはできるものだ。
   5.自分が十分に準備ができているものに対して,重要な試みを始めたことは私はいまだかつてない。
   6.する価値のあること全てが,うまくやってのける価値のあるものとは限らない。
   7.全てをうまくやってのける方法などない。失敗は避けられない。
   8.もしも痛みに必要以上の関心を払うならば,楽しむ機会をいくらか失ってしまうだろう。
   9.逃亡とは汚い言葉ではない。自分の目の前に起きることに常に直面できる者などひとりもいないのだ。
   10.時には口実を言うのもよい。口実を言うことに伴う唯一の危険は,口実を言わないふりをすることである。
   11.何も計算はできない。人生というものは何か特定のものではないからである。
   12.我々は皆孤独であることを覚えておくとよい。このことは,皆が同じ状況にいることを知らせてくれるのを助けてくれる。ただし,何らかの助けにはなるが,全てを助ける訳でもない。
   13.自分の状況だけが特別だと人は主張する。皆が本当に凡庸であることを受け入れることほど難しいことはない。
   14.もはや誰かが私のことを愛しているとか,愛していないとかは全く興味がない。そこそこに適当に扱ってくれれば,もうそれでよしとしよう。
   15.事態を変化させることが絶望的であっても,今まで通り他人にやさしくする態度を取り続けなければならない。
   16.自分にとって最善なことでも,十分によいことではないかもしれない。それでも,それをしなければならないかもしれない。
   17.私の具合はよくない。あなたの具合もよくない。そして,それで万事よしなのだ。
   (『シューラーの認知療法入門』p.92-93から)

無条件の自己受容、我々皆凡夫、ニーバーの祈り

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1071969686.html#R482

482 名前:優しい名無しさん :04/10/29 23:22:35 ID:Fbdu2ncT
   バーンズの本にも、エリスの本にも出てくる
   無条件の自己受容って難しいです。
   考えれば考えるほど今ひとつ納得できない。
   本スレの方に、その事に言及した所が有ったけど
   人によって、解釈が違うようですね。

   でも私にとっては超重要な項目の様な気がしています
   ずうずうしい話ですが、分かりやすく説明できる方居ませんでしょうか。
 
483 名前:優しい名無しさん :04/10/29 23:53:50 ID:PV2Y+BY9
   >>482
   唯一絶対の解釈があるとは思えないし、到底そんな境地には至ってませんが、
   リクツで理解する、というのでないなら、次のようなフレーズ群が参考になるかもしれません。
   (『シューラーの認知療法入門』p.92-93から)

   7.全てをうまくやってのける方法などない。失敗は避けられない。
   12.我々は皆孤独であることを覚えておくとよい。このことは,皆が同じ状況にいることを知らせてくれるのを助けてくれる。
   ただし,何らかの助けにはなるが,全てを助ける訳でもない。
   13.自分の状況だけが特別だと人は主張する。皆が本当に凡庸であることを受け入れることほど難しいことはない。
   15.事態を変化させることが絶望的であっても,今まで通り他人にやさしくする態度を取り続けなければならない。
   16.自分にとって最善なことでも,十分によいことではないかもしれない。それでも,それをしなければならないかもしれない。
   17.私の具合はよくない。あなたの具合もよくない。そして,それで万事よしなのだ。

486 名前:482 :04/10/30 01:17:25 ID:JjArjtnG
   >>483
   早速の丁寧なご回答ありがとうございます

   私はなんか難しく考えすぎていたのかもしれません。
   このフレーズを読んで、思い出したのは、聖徳太子や親鸞の言葉に
   出てくる我々皆凡夫であるという言葉をなんとなく連想しました。
   また細かい事を言い出すと大いに違うのかもしれませんが。。。

   無条件の自己受容と言っても、素直に難しく考えなければ
   我々日本人にはむしろ昔からある馴染み易い考え方なのかもしれません。

487 名前:すちゃ :04/11/01 19:44:15 ID:+GwXUfbl
   変えられるところを変えていく勇気と、変わらんところを受け入れる勇気
   がどっちも必要と、何かに書いてありましたねー。
   何やったか忘れたけど。アルコール系の何かだと思うw

   まあ何でもええので気に入ったフレーズを見つくろってつぶやいてみるのが
   良いんじゃないでしょうか。
   グーグルで名言とか格言とか引くと、たまにヒットするのが出てきますよ♪
   ちなみに私のお気に入りは
   Whoever fights monsters should see to it that in the process he
   doesn't become a monster.And if you gaze for long into an abyss,
   the abyss gazes also into you.

488 名前:優しい名無しさん :04/11/01 20:08:17 ID:IolsHBmA
   >>487
   ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の祈り
   (THE SERENITY PRAYER)かな?

   主よ、
   変えられないものを受け入れる平静さを
   変えられるものを変える勇気を
   そしてその両者を見分ける英知を
   我に与え給え。

   O God, give us
   serenity to accept what cannot be changed,
   courage to change what should be changed,
   and wisdom to distinguish the one from the other.

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1159784491/505-506

505 名前:優しい名無しさん 投稿日:2007/02/08(木) 01:57:05 ID:AZWdOz9y
   はじめて書きこみします。 
 
   一昨年、この認知療法スレに出会って、なんかイイなと思い、 
   知人からもらったままほったらかしていた 
   「いやな気分よ〜」を読んで、認知療法を始めました。 
   3ヶ月ほどで、すんげえ元気でポジティブになって、 
   そのまま止めてましたが、 
   最近、ちょとウツになってきたのをきっかけに、 
   行動記録と7カラムもしくは2カラムを、またぼちぼちやってます。 
   無条件の自己受容って、前はできなかったけど、今は結構できてます。 
   以前の擁護思考は、こんな感じ。 
   (自動思考) 
     もう40代だし、8年もウツだし、 
     このまま仕事もできず自立もできないに決まってる。 
   (擁護思考) 
  そんなことない。そう決めつけることはない。 
  ひょっとしたら、これからでもいい勤め先が見つかるかも 
  しれないじゃないか。そんなに悲観することもない。 
 
    これ、そんなに悪い擁護ではないと思うんですけどね。なんか元気もでるし。 
    自分で自分を励ますみたいな。(続く) 
 
506 名前:続き 投稿日:2007/02/08(木) 01:58:19 ID:AZWdOz9y
    でも、再開してからは、こんな感じです。 
    (擁護思考) 
      仕事を見つけられず、自立できず、配偶者に世話になりっぱなしだけど、 
      そんな自分でもいいじゃないか。問題ない。 
 
    こういう擁護だと、元気は出ないですけど、こちらの方がホッとすると 
    気付きました。 
    ほんとに問題ないのかよ?と、 
    まだツッコミ入れたくなる時もありますが、 
    問題にしなくていいことまで問題にする用心深さが、 
    自分を苦しめてきた、と思うので、 
    ま、問題なし、でいいか、と思ってます。 
     
    今回改めて、認知療法のスレ、読みなおしてみて、 
    無条件の自己受容もいいなぁ、と思ったしだいです。 
    前は、そんなこと都合良すぎる考えだって本気で思ってたし、 
    そんなことを受容してちゃhappyになれない、って思ってました。 
    ぼちぼちやっていきます。よろしくです。 

自己信頼の問題は自己評価と自己価値と言う風に分けて考えてみる

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1219494254.html#R71

71 :優しい名無しさん:2008/08/28(木) 23:46:29 ID:JSgt9oY4
>49
自己信頼の問題は自己評価と自己価値と言う風に分けて考えたら良いような気がする。

自分の価値自体は誰にも否定できない。
自分という存在がなかったら自分は生きる事も世界を知ることも出来ない。
つまり自分は交換不可能。
だから自分は自分の存在価値を絶対的に認めざるを得ない。
そしてこれは自己完結することが可能。

一方で、自分に対する評価は文脈に依存する。
「自己評価の心理学」という本に、
自己評価は「愛されているという気持ち+能力があるという気持ち」だとある。
これは両方とも他人・外部を必要とする。
他人が居ないと愛されることはないし、能力は何かに取り組んで成功し、認められる事で証明される。

だから俺は、自己価値の認識という確固たる基盤を築いた上で、
社会的との関わりの中で自己評価を高めて、
自分を信頼できるようになるのが良いんじゃないかと考えてる。

認知療法でいう「無条件」の自己肯定は前者の意味。
他人からの許容や何かの達成などの「条件」を付けずに自分を信頼すると言うこと。
反対にドラッカーが言ったのは、後者の自己評価の意味だと思う。

ゲシュタルトの祈り

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1067765570.html#R436

436 名前:優しい名無しさん :03/11/23 03:57 ID:8xzKq1KB

   ゲシュタルトの祈り フレデリック=パールズ

   私は私のことをする。
   あなたはあなたのためのことをする。
   私は、あなたの期待に沿うために
   この世に生きているのではない。
   あなたも、私の期待に沿うために
   この世に生きているのではない。
   あなたあなた、私は私である。
   しかし、もし、機会があって
   私たちが出会うことがあれば
   それは素晴らしい。
   もし出会うことがなくても
   それはいたしかたのないことである。

二の矢を受けず/不安についての不安(二次の不安)への対処

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1071969686.html#R179

179 名前:*優しい名無しさん* :04/03/30 09:37 ID:6DDdHb9G
   保守がわりにヨタ話を。

   仏教に「二の矢を受けず」という言葉がある。
   悟っても超人になれる訳ではない。悟った人も死ぬし、病気にもなる。
   そんなら、悟ったって何にもならないじゃないか、とつっこまれて、
   ブッダ(悟った人)は、こう答えた。
   「二の矢を受けず」。
   一の矢は、誰にも(悟ろうが悟るまいが)降り掛かる死や病やその他の災難
   である。
   ニの矢は、これに対して、「一の矢」について悩み苦しむことである。
   死や病は避けられない。しかし死や病について悩み苦しむという二次の災難
   (二の矢)は避けられる。
   「悟った人」は、「二の矢を受けず」と、こんな風なことをブッダ(悟った
   人)は答えた。

   「一の矢」は、認知療法的には「出来事」である。
   「二の矢」は、認知療法的には「結果として生じる感情・行動」である。
   「一の矢」はコントロールできなくても、「二の矢」はコントロールできる
   (認知をかえることができるなら)。

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1067765570.html#R389

389 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :03/11/19 21:54 ID:wR6vu6aM
   エリス・ネタで申し訳ないが、うつの悪循環について、
   アル中のジェラルドを例にしてw。
 
  (この自己嫌悪のために(自己嫌悪をまぎらわせるために)ますます酒を飲
   み、ますます仕事に失敗し、ますます不安になり、ますますアル中になる)
     ↑              
   三次のマスト(must):「アル中の私は駄目人間にちがいない」
     ↑(だからアル中になる)   
   二次のマスト(must):「私は不安に耐えられない、だから酒を飲んですぐに楽にならなければならない」
     ↑(だから不安になる)
   一次のマスト(must):「仕事をうまくしなければならない」

    この場合、ループが三次のマストのところで起こっているので、
   まず、この信念(イラショナル・ビリーフ)をなんとかする。
    次に二次のマストを何とかする。
    最後に一次のマストを何とかする、という順番に手をつけるらしい。

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1067765570.html#R665

665 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :03/12/06 02:19 ID:h3xkLeAv
   「先に二次のレベルの不安と取り組んだ方がよいかもしれませんね。不安に
   なると、何か困ったことがありますか?」
   「困ったことって?あの、不安は嫌ですよね、ふつう」
   「不安を感じることは確かに不愉快ですが、しかし耐えられないことはない」
   「また、ですか。それはそうですが」
   「不安になるまい、不安はさけるべきだ、と考えて、悪循環に陥っているの
   かもしれませんね」
   「ああ、そういうことはありますね」
   「不安になることが、不安だ、と。不安についての不安に対処してから、最
   初の問題に取り組むのはどうでしょう?」
   「不安で死ぬことはない?」
   「私の知ってる限り、ありません。不安に対する不安のために、心を患う人
   はいますが」
   「人間だから、時には不安になることもある。私は少し、それが人より多い
   だけだ、とか」
   「いいですよ、その調子です」
   「ああ、へんな話ですが、そう考えると、少し楽ですね」
   「不安を感じることそれ自体は、悪ではありません。それはあなたの頭の回
   路が作動して、ある事態を知らせてくれているのです」
   「不安が事態のサインだとして、どう対処すればいいのですか?」
   「不安は、事態と自分の対処能力にギャップがあると考え感じるところに生
   じます。まずあなたの不安を引き起こしている事態は?」
   「周りの人間が私を排除するかもしれないこと」
   「周りの人間が私を排除するかもしれない、と考えることです」

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1126606560.html#R409

409 名前:*優しい名無しさん@LR検討暫定* <mailto:sage> :2005/11/11(金) 06:55:27 ID:qSBmmhDC
   論理療法では、2次的な苦しみから、先に退治しておこうという考えのよう
   です。

   病気で苦しい……1次の苦しみ
   こんなことで苦しんでる自分はだめだ……2次の苦しみ

   「落ち込んでることに、落ち込む」とかも2次の苦しみですね。
   そっちを先に論理療法(認知療法でも同じでしょう)するわけです。

   仏教だと「二の矢を受けず」とか言います。
   弟子がブッダに質問する訳です。「仏教やっても、人は死ぬし、病気にもな
   る。いったい何のためになるんだ?」と。
   ブッダは答えます。「二の矢を受けず」
   あー、つまりは、死や病気の苦しみ(1次の苦しみ=1本目の矢)は治せな
   いけど、
   「死ぬことへの恐怖」だとか「どうして私だけがこんな病気に」だとか、
   死についての苦しみ、病気についての苦しみ(2次の苦しみ=2本目の
   矢)、については仏教でなんとかなる、と。

   認知療法は、1次の方(適応のある病気なら)も、なんとかなります(不死には
   さすがになりませんが)。
   心の病は、1次と2次が、お互いのしっぽを飲み込む蛇みたいにループして
   いて、症状が維持されることが多いからですが。

411 名前:*251* <mailto:sage> :2005/11/11(金) 22:13:04 ID:1v3ZqJfK
   >>409 <#R409>
   なるほど、またまた参考になります。
   二次の苦しみは、私はこんなことで苦しんではならない、とネバ思考にも言
   い換えられますよね。

白黒からカラフルへ

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1107961116.html#R18

18 名前:*優しい名無しさん* :05/02/13 01:57:56 ID:0rj4Wfwv
   認知療法的な名言を見っけた

        世の中には鮮やかな色がたくさんあるのに、なんでも白黒で決め
   るのは恥ずかしいことだ。
                                     
          (デニス・リトル アメリカの作家)

「だめな人間だから」は最高に自分に甘い言葉

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1071969686.html#R938

938 名前:*優しい名無しさん* <mailto:sage> :2005/10/05(水) 10:54:37ID:MqC5yN0E

   「だめな人間だから」って最高に自分に甘い言葉だよね。

後悔=前向き思考、不安=未来志向

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1142046271.html#R271

271 名前:優しい名無しさん :2006/06/09(金) 07:04:43 ID:Focblyio
>>270 

後悔は、実はひねた前向き思考。 

不安は、それでも未来志向。 

認知療法は、自分自身が自分の味方でいられるようにする訓練

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1142046271.html#R849

849 名前:優しい名無しさん :2006/09/29(金) 00:52:47 ID:sFzcR74s
 いやな〜の本購入して読んで見た。 
  頭悪いのであんまし理論的な事はわからないけど「自分自身が自分の味方でいられるようにする訓練」でOK? 

853 名前:優しい名無しさん :2006/09/29(金) 07:04:14 ID:w4V/UFg+
  >>849 
  オーケー。 

877 名前:優しい名無しさん :2006/10/01(日) 14:54:51 ID:Hw8UPjXZ
  >>875 
  >>849にとてもいい言葉が書いてありましたよ 
  >(認知療法は)自分自身が自分の味方でいられるようにする訓練 
  苦しい思いをしてるのですから、自分くらい思いっきり自分の味方になってあげましょうよ。

認知療法は、自分の心の中に弁護士を置くようなモノ

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1055221043.html#R446

446 名前:優しい名無しさん :03/08/30 16:12 ID:LYjLK/vP
 >>441
 自分的な解釈だけど、
 認知療法とは自分の心の中に弁護士を置くようなモノだと思う。
 「事実」を基に状況を見直し、自動思考と言う理不尽な「告訴」に対抗するため
 合理的思考と云う「弁護」を行う、と言った感じ。
 「事実」に基づく内容なら被告側(つまり自分)の「勝訴」。イヤな気分や抑うつ状態を打ち消すことが出来るし、
 「事実」に基づかない内容なら「敗訴」。その考えは認知ではなく「ご都合主義」と考える。
 当然その判決は「納得する」と云う形で自分と言う裁判官が下す。
 そして認知された合理的思考は、その後の気持ちの判例集となるワケです。

 認知?ご都合主義?の判断は、
 事実を元に自分が納得できるか否かによるのではないかと。
 解りにくくてスマソ。

447 名前:すちゃ :03/08/30 17:04 ID:0U71EHG/
 ご都合主義とかポジティブシンキングとか言い方は色々ありますが、
 基本的に446さんのご意見でいいんじゃないでしょうか。
 
 下された結論はメモる方がいいですよ。まさに自分の判例集を作った
 方がいいです。そういう意味でも、書くのは重要ですね。
 
 あと「ご都合主義」になれというか、持ち前の「不都合主義(歪み)」を
 緩和しましょうという感じですねー。

過去は変えられない、けれど……

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1142046271.html#R318

318 名前:優しい名無しさん :2006/06/19(月) 15:48:52 ID:rgvi/7i0
   人は取り返しのつかないこともするけど、二度とそうしないこともできる。
   過去は変えられない、けれど人生は変えられる。

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1142046271.html#R651

651 名前:優しい名無しさん :2006/08/28(月) 07:30:16 ID:ItXyYh0S 
    >>643 
    >今日は私の新しい誕生日にするよ・・・ 
 
    いいね。過去は変えられないけど、自分は(少しずつだけど)変えられる。

今は最悪ではない

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1142046271.html

183 名前:優しい名無しさん :2006/05/09(火) 11:22:30 ID:GXuhfAtw
 出来事;昨日からパソコン使い過ぎて手が痛い。 
 休んで横になっていても勝手の知らない隣の部屋の 
 犬がさっきからずっと動き回っていていらいら。 

 感情;いらいら 

 思考;ああ、昨日又なんてばかな事をしてしまったのだろう。 
 作文に熱中してたらこのざまだ。 
 犬はばたばたうるさいし、ついてないな。 

 合理的思考;やっちゃったもんは仕方ない。 
 今休んでられる状態って良いとちゃう? 
 抱き合わせ;犬は動いて飽きれば静かになる。 
 パソコンを全く使えない状態がこのまま続く 
 わけじゃない。 
 今は最悪ではない。故にチビハピーラッキー。 

 初心者です。最後は前向き過ぎでしょうか? 

184 名前:優しい名無しさん :2006/05/09(火) 20:07:04 ID:ikver9ko
 いや、「今は最悪ではない」、けっこういいと思います。 
 どこかにメモっておいて、つらいときに見よう。 

 「今は最悪ではない」。 

185 名前:優しい名無しさん :2006/05/12(金) 01:19:02 ID:t3SRUyd5
 いまはさいあくではない 

認知療法は,選択肢を増やすこと

http://cognosco.hp.infoseek.co.jp/1072556517.html#R352

352 名前:優しい名無しさん :04/02/29 00:07 ID:8xbWAVZ3
 >>351 

 反論が「弱く」ても、つくってみてる、あなたはもう変わりはじめてると思います。 

 自分をへこます「自動思考」への「反論」は、 
 「自動思考」をねじ伏せるためではなくて、 
 選択肢ができること自体に意味がある気がしてます。 

 うまくいえないけど、 
 「自分は落ち込むことだってできる、落ち込まないことだってできる」 
 そうすると、「落ち込む」ことだって自分だ(もちろん「落ち込まない」ことも)と。 

 反論する=「選択肢」を自分でつくること、と、自己受容は、オモテとウラになってる気がします。 

354 名前:優しい名無しさん :04/02/29 11:57 ID:JXWkGRsC
 認知療法で合理的・擁護的思考を作る目的は、自動思考を否定するのではなくって、 
 相対化することだと思う。 

356 名前:優しい名無しさん :04/02/29 12:29 ID:8iSpNteZ
 >>352,354 
 自動思考を合理的な思考に置き換えるんじゃなくて、 
 自動思考の横に合理的な思考(単数、複数)を並べて、 
 その中の考えで、その状況の中で、都合のよい考えを選択できる 
 可能性を作る事が、コラム法等の目的なのでしょうか? 

357 名前:354 :04/02/29 14:17 ID:JXWkGRsC
 >356 
 そうですね。 
 ものの見方の選択肢が増えれば、気分も多少とも楽になるんじゃないかな、と 

358 名前:優しい名無しさん :04/02/29 14:46 ID:8iSpNteZ
 >357 
 なるほど、そういう風に考えればよいのか・・・ 
 それならば、すぐに、自動思考を合理的な思考に置き換えられなくても 
 多少は、自分の思考パターンを改善していく可能性を大きくする事が 
 できますね。 
 そうやって、少しずつ思考の幅を広くしていく事がコラム法等の目的 
 なのか・・・ 
 コラム法を何度もやって、それでも自動思考を合理的思考に置き換える事 
 ができなくても、(脳内で)自動思考の横に合理的な思考を並べる事ができれば、 
 それなりにコラム法の目的を達成しているって事なのですね。 
 
 なるほど、目から鱗が落ちたようです。 
 とても参考になりました。 
 なんか、コラム法について全てか無か思考になっていたのかもしれません。 
 色々教えて頂きありがとうございました。 

359 名前:すちゃ :04/03/02 00:19 ID:WXbdDONB
>356 
 選択の余地を増やすと言うのはなかなか良い説明ですね。 
 自動思考はいわば「選択の余地なく絶対的な決定」みたいにとらえられている所 
 がありますが、そこに「こっちが正しいほうの絶対的決定です」と合理的思考を 
 持ってきても、まあ50歩100歩なわけで。 
 それらは相対的なものなのですというのを自分の脳内からひねり出してくる練習 
 がコラム法だと言えるでしょう。

失敗したら何度でもやり直せばよい

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/utu/1129758836/398

398 :優しい名無しさん :2006/09/09(土) 19:07:54 ID:AS83YW1f
 失敗したら何度でもやり直せばよいというのも、私はエリスの言葉から学びました