実存主義


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実存主義とは、ジャン=ポール・サルトルの言葉を引用すると、「実存は本質に先立つ」とする立場である。実存主義の反対語は、本質主義であり、本質が実存に先立つとする立場である。
例えば、人間がペーパーナイフをつくる場合、ペーパーナイフとはなにかというイデー(観念)が先にあって、ペーパーナイフをつくることになる。このペーパーナイフのイデーが本質である。しかしながら、人間の場合、あらかじめ人間とはなにかという本質が決まっているわけではなく、人間は自分で成りたいものになるべく、未来に投企し、自分をつくりあげる。ゆえに、ジャン=ポール・サルトルは人間の場合、「実存は本質に先立つ」とする。つまり、ジャン=ポール・サルトルの実存主義は、人間が自由であることの宣言なのである。
ジャン=ポール・サルトルの場合、当初ジャーナリズムによって実存主義者と呼ばれ、後にそのレッテルを引き受けたという経緯がある。ジャン=ポール・サルトルは、1945年10月、パリのクラブ・マントランで、「実存主義はヒューマニズムであるか」というタイトルで講演を行い、後にその内容を『実存主義はヒューマニズムである』というタイトルの本にした。このことにより、実存主義という呼称は定着した。
実存的コンプレックスから生じた神経症に対してロゴテラピーという心理療法を提唱したヴィクトール・フランクル?は、本質主義をホムンクリスムス(人造人間合成術)と呼んだ。ホムンクルスとは、ヨハン=ウォルフガング=フォン・ゲーテ?の『ファウスト』に出てくる人造人間のことであるが、「人間は、○○に過ぎない」という偏った還元主義的見方をホムンクリスムス(人造人間合成術)と呼ぶ。ヴィクトール・フランクル?は、ナチスの強制収容所からの生還者であるが、「人間は遺伝によって決まる動物に過ぎない」とか、「人間は環境によって決まる動物に過ぎない」という血と土を絶対視するホムンクリスムス(人造人間合成術)がナチズムの根底にあったとする。ヴィクトール・フランクル?もまた、「実存は本質に先立つ」という実存主義に依拠しているのである。
ジャン=ポール・サルトルの分類によると、実存主義はキリスト教的実存主義と無神論的実存主義に分類できる。キリスト教的実存主義者には、セーレン・キルケゴール?カール・ヤスパースガブリエル・マルセル?らがいる。無神論的実存主義者には、フリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデッガージャン=ポール・サルトルらがいる。ジャン=ポール・サルトルをした上で、無神論的実存主義の方が、論理的に筋が通っていると考える。というのは、有神論の場合、神が人間を創造した際に、人間とはなにかというイデーが先にあったことになるからである。
ジャーナリスティックに使用されている実存主義の概念からすると、セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェマルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースガブリエル・マルセル?ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワール?アルベール・カミュモーリス・メルロ=ポンティ?シモーヌ・ヴェイユジョルジュ・バタイユらが、実存主義者ということになり、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー?フランツ・カフカが実存主義文学の先駆ということになる。
ジャン=ポール・サルトルは、戯曲・小説を通じてマルチに活躍したため、フランス国内でもジャン=ポール・サルトルの熱狂的なファンを公言するボリス・ヴィアンのような作家や、ジャン=ポール・サルトルへのラブ・レターを書いたフランソワーズ・サガンのような作家を生み出した。フランスにおける実存主義文学の運動は、ステファン・マラルメやアンドレ・ジッドによる象徴主義文学に続くもので、アンドレ・ブルトンによる超現実主義(シュルレアリスム)の芸術運動に対立するムーヴメンツであった。(無意識の存在を否定するジャン=ポール・サルトルの立場は、ジークムント・フロイト?の精神分析学に依拠し、潜在意識の解放を説く超現実主義と鋭く対立する。)
我が国で実存主義の影響を受けた作家としては、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー?レオ・シェストフ?セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェの影響を受けた埴谷雄高・椎名麟三、フランツ・カフカの影響を受けた安部公房、フランツ・カフカジャン=ポール・サルトルアルベール・カミュの影響を受けた大江健三郎・倉橋由美子、フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー?モーリス・メルロ=ポンティ?の影響を受けた加賀乙彦(小木貞孝)らがいる。
しかしながら、自らの立場を実存主義としているのは、ジャン=ポール・サルトルが編集主幹を務めた『ル・タン・モデルヌ(現代)』グループだけである。このグループの中に、シモーヌ・ド・ボーヴォワール?モーリス・メルロ=ポンティ?、フランシス・ジャンソン、クロード・ランズマンらが含まれる。ちなみに、ジャン=ポール・サルトルと同時代人であったアルベール・カミュは、自身の哲学を「不条理の哲学」とし、不条理を見つめていながら、ぎりぎりのところで超越を図る実存主義を否定している。
例えば、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間(Sein und Zeit)』の場合、存在者(あるもの)ではなく、存在(ある:Sein)とはなにかが、哲学上の課題になっており、彼はそのためにエグムント・フッサール?の現象学の手法を導入して、基礎的存在論を構築しようとしたのである。マルティン・ハイデッガーが、現存在(実存)分析を行ったのは、人間存在だけが存在(ある)ということについて、ぼんやりとしてではあるが了解していると考えたからであった。しかしながら、マルティン・ハイデッガーが哲学上の難問(アポリア)を解く為の手段として導入した現存在分析から、ジャン=ポール・サルトルの実存主義が生じ、ルードヴィヒ・ビンスワンガー?の実存分析的心理学が誕生したのである。マルティン・ハイデッガーの存在(ある)とは、哲学的な抽象概念で語られた神であり、現在喪われているとはいえ、再び生きられた神がそこに棲む場所を残していたと考えることができる。ところが、ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』になると、語られているものは存在者ばかりである。ジャン=ポール・サルトルは、即自存在(もの)と対自存在(人間)を分類し、さらに対他存在(人間の疎外態)について思弁を巡らせる。これらは、マルティン・ハイデッガーのいう存在者であって、存在ではない。ジャン=ポール・サルトルにおける人間存在は、それ自身を支える根拠の不在を晒した偶然の存在者なのである。
では、マルティン・ハイデッガーの同時代人のカール・ヤスパースはどうか。カール・ヤスパースの哲学は、自身の哲学を実存哲学と呼んでいるが、実存主義とは呼んでいない。カール・ヤスパースは、実存を「主義」や「手段」として用いることを拒否しているからである。とはいえ、カール・ヤスパースもまた、哲学的な思惟のはじまりを実存から出発する哲学者である。「人間であることは、人間になることである。」というカール・ヤスパースの言葉は、人間存在が初めから人間であるのではなく、自らを創り出すということを言わんとしている。カール・ヤスパースは、キリスト教的実存主義者であり、神の実在の自覚によって、自己の実存がより確かなものに感じられると考える。カール・ヤスパースは、有神論的であるということと、実存的に生きるということが矛盾するとは考えない。

哲学史における実存主義の位置づけ

実存主義の祖は、セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェであるが、彼らの思想の共通点は、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学体系に対する叛逆という点にある。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学は、ドイツ観念論の完成形態であり、西欧合理主義哲学の最終形態であった。
西欧合理主義哲学は、フランスのルネ・デカルトの『方法序説』における「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」という言葉から始まる。ルネ・デカルトは、すべてを疑いつくして、疑いきれないものから出発する「方法的懐疑」をとった。その結果、辿りついたのは、すべてを疑っている自分自身というコギト(自我)であった。そして、このコギトから一切を導き出そうとした。疑っているということは、このコギトが不完全だからであり、不完全と言えるためには完全なものがあって初めて言えることであるから、ここから完全を体現するものとして、神の存在が導き出されるというわけである。普遍的原理から論理的推論を展開し、個別の事象を結論づける演繹法を唱えたルネ・デカルトは、大陸合理論の祖となった。
一方、イギリスで個別の事象から普遍的事実を論理的に導き出す帰納法を唱えたフランシス・ベーコンは、イギリス経験論の祖となった。さらに、ジョン・ロックは、『人間知性論』で、人間はもともとタプラ・ラサ(白紙)状態であり、繰り返し経験を積むことで、観念が生じ、複雑な観念に発展してゆくと考えたのである。このイギリス経験論は、ディヴィッド・ヒュームに至ると懐疑主義に陥り、「自我とは知覚の束である」として、外界の実在性や、それを認識している自我の実在性さえもが揺らぎ始めた。 ドイツのイヌマエル・カントは、ディヴィッド・ヒュームによる哲学上の危機を乗り越えるために、『純粋理性批判』において、大陸合理論とイギリス経験論を綜合し科学的認識論の基本となる枠組みを打ち立てた。イヌマエル・カント以前においては、人間の認識は外界から受動的に写し取ることによると考えられていたが、イヌマエル・カントは認識論上のコペルニクス的転換を行い、人間の方が能動的に外界に働きかけ、認識対象を確定させるとしたのである。この場合、人間は先天的悟性能力によって、外界から獲得できる情報が制限されるので、外界の物自体は認識できないということになる。 イヌマエル・カント以降、ドイツ観念論は、主観的観念論を唱えるヨハン・ゴットリープ・フィヒテと、客観的観念論を唱えるフリードリヒ・シェリングに分裂することになる。これらは、認識する主体と認識不能な物自体の二元論を、一元論的に統一することを目的としており、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、外界は自我が自己を認識するために創り出した非我であるとし、物自体を解消しようとするものであり、フリードリヒ・シェリングは外界は創造的な自然が創り出したものとすることによって、認識論的二元論を解消しようとするものであった。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、精神の弁証法的な運動という概念を導入して、主観的観念論と客観的観念論を綜合するという方向性を取った。ヘーゲルは、人間の精神を、テーゼ(正)とそれに対するアンチ・テーゼ(反)と、その両者を高い次元で止揚するジン・テーゼ(合)という形で弁証法的な発展を遂げてゆくものとして捉え、最終的に絶対精神に向かうものとした。『精神現象学』で展開されたこの思想は、絶対の自由を志向しながら、完成とともに無限の専制を肯定するものであった。ヘーゲルの絶対弁証法は、哲学的には合理主義哲学体系の完成を意味し、政治的には当時のプロイセン国家を絶対視する御用哲学となっていったのである。
ヘーゲルの精神の弁証法に対して、カール・マルクスは唯物弁証法を対置し、マルクス主義(唯物史観)を唱えた。そして、ヘーゲルの「あれも、これも」という量的弁証法に対し、セーレン・キルケゴール?は「あれか、これか」の質的弁証法を唱え、実存主義への道を切り開いたのである。
キリスト教という観点から見ると、ヘーゲルにおける絶対(神)は、セーレン・キルケゴール?の立場からすると、思弁的な理念に過ぎず、生きられた神ではない。セーレン・キルケゴール?は、これに対し「単独者」として神の前に立つひとりの「キリスト者」でありたいと考えた。一方、フリードリヒ・ニーチェの立場からすると、「神は死んだ」のであり、神を頂点とする体系を打ち立てること自体が不誠実の証しということになる。こうして、セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェは、両極端の立場からヘーゲルの哲学体系を否定するのである。

「実存的」と「実存論的」

マルティン・ハイデッガージャン=ポール・サルトル、さらにはモーリス・メルロ=ポンティ?は、エグムント・フッサール?による現象学を手段として導入し、存在論を構築しようと企てた。彼らは「実存論的」であり、「実存的」ではない。これに対し、実存主義の先駆者、セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェの関心は「実存的」に如何に生きるかに向かっており、「実存論的」な体系への意志は持ち合わせてはいない。
(2005.1.9 T.Harada)

アンチ実存主義とポスト実存主義

ジャン=ポール・サルトルは、マルクス主義に寄生するイデオロギーとして実存主義を位置づけ、実践惰性態としての構造を変革し、歴史をつくるプラクシス(実践作用)を重視する『方法の問題(弁証法的理性批判序説)』と『弁証法的理性批判』を上梓するが、これを根底から批判したのが、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースによる『野生の思考(パンセ・ソバージュ)』であった。
クロード・レヴィ=ストロースの立場は、構造主義と呼ばれた。代表的な構造主義者に、哲学者・歴史学者のミッシェル・フーコー(彼は、後にポスト構造主義者に分類されるようになる)、精神分析学者のジャック・ラカン、マルクス主義者のルイ・アルチュセール、文芸批評のロラン・バルトがいる。 構造主義は、アンチ実存主義である。人間が歴史をつくることを強調するジャン=ポール・サルトルに対し、クロード・レヴィ=ストロースは、構造が人間を規定することを説き、人間中心主義に異議を唱える。通時性を重視し、歴史の流れを強調するジャン=ポール・サルトルに対し、ミッシェル・フーコーは共時性を重視し、人間の思考はエピステーメーによって規定されており、次の時代との間に地層のような段差があるとする。無意識の存在を否定するジャン=ポール・サルトルに対し、ジャック・ラカンは無意識の存在を主張し、主体は鏡像段階を経て作られるとする。主体主義的(人間中心主義的)マルクス主義を主張するジャン=ポール・サルトルに対し、ルイ・アルチュセールはカール・マルクスは初期と後期で認識論的断絶があり、初期は人間中心主義的であったが、後期ではそういうブルジョワ・イデオロギーとは手を切っていると主張する。文学の読解の際に、背後にある人間主体を浮き彫りにすると当時に、アンガージュマン(社会参加)のための文学を説くジャン=ポール・サルトルに対し、ロラン・バルトはテクストそのものを自由に解釈する快楽を説き、何かのために文学を従属させることを拒否する
一方、コリン・ウィルソンの提唱する新実存主義?は、ポスト実存主義として位置づけられる。コリン・ウィルソンは、先行する実存主義をペシミスティックと批判し、自らの立場をオプティミスティックとする。コリン・ウィルソンは、マルクス主義に接近したジャン=ポール・サルトルに対しては否定的で、セーレン・キルケゴール?フリードリヒ・ニーチェの段階の実存主義をゆがめて継承したと考えている。コリン・ウィルソンは、哲学的にはエグムント・フッサール?アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド?、心理学的にはアブラハム・マスロー?の絶頂体験(至高体験)の心理学をポジティヴに捉えなおしたものを導入し、実存主義を再生させようとしている。
コリン・ウィルソンの側からのアンチ実存主義(構造主義以降の思想)への見解は、『知の果てへの旅』で知ることができる。
(2005.1.10 T.Harada)