NPO


FrontPage

昨年の今頃からだったと思う。

あたらしいまちづくりへの序章がスタートした。

国道34号バイパスと町道北方中央線に向けられた 住民主体の新しいまちづくり構想のことである。

実はそれより前の年度から、同様のテーマで 行政側と NPOとで業務委託契約が交わされ、作業がなされていた。 作業は若手役場職員数人と受託したNPOの理事である。

成果品を見れば、地域資源が事細かに列挙され、 町が持つポテンシャルがドキュメントで明らかにされている。

「続けて、今度も職員で。」と、促されてはいたようだが、何か問題があったのか。 結局、役場職員の活動は再開することはなかった。

こういう背景を経て、このあたりから関わったのが私である。 ひろく住民に呼びかけ、あたらしいまちづくりを模索しようとなった。

数人のメンバーが集った。 きたがた未来まちづくりの始まりである。

メンバーの積極的な発言によって、活発な活動になった。 自分たちで企画し、数十人の住民を集めて、意見交換会を実施しようとなった。

結果は評価に値するところであるが、 同時にこの頃から少し様子が変わってくる。

住民活動として正しく役割は果たされているのか。 意見交換会を間近に控えた夜のことだった。一本の電話が入った。

「セクトですか。」 私は一瞬たじろいだ。

任意で集まった純粋な気持ちを持った住民活動も、 見方では電話の先のこの方のように、セクトと思われる場合もあるのか。

しかし、この方は、最後に以下のようなことを言われたと記憶している。 「自分たちのまちは合併して寂しくなった。失敗だ。こうならないように頑張ってください。」

自分たちの町を、地域を、地元を憂う言葉だ。 この電話は、私にいろいろ教えてくれた。

まちづくりメンバーは、自らを「地元住民」と思ってはいるが、はたしてそうなのか。 地域コミュニティでもなく地域社会の代表でもない。 ましてや地縁組織でもなく、その代表の集まりでもない。 老人会や婦人会でなく、区長会でもない。

住民団体のなすことは、町にとって、地域にとって本当に合意形成される礎となれるか。 こう思索していた頃、NPOとのコラボレーションによるまちづくり構想策定となった。

きたがた未来まちづくりのメンバーは反発した。 「自分たちはボランティア、NPOは行政側から業務委託契約されている。」これが発端だ。

「自分たちの町は自分たちが一番よく知っている。NPOはよそのひとだ。」といった具合。

NPOはNPOで、これまでの実績と専門分野でのプライドがある。 「素人集団の構想はぼやけている。具体性に欠ける」といったところか。

しかし、双方、住民活動にかわりはない。 まちづくりは、こういった紆余曲折を経ながら、行政側に戻ってくるのだろう。 そうして、議会で審議され、すすめられて行く。これが現実。

昨年度末、私はきたがた未来まちづくりのメンバーをはずれた。 今は行政側の担当係として、その活動を見守る立場となった。

きたがた未来まちづくりの本年度の活動が期待されている。 市民活動の本質を十分に発揮されることを願うひとりである。

最新の20件

2006-03-15 2006-03-09 2006-03-08 2007-01-20 2006-11-27 2006-07-24 2006-07-20 2006-07-14 2006-07-11 2006-07-07 2006-07-05 2006-06-26

  • counter: 753
  • today: 1
  • yesterday: 0
  • online: 1