鮮卑の族長。
鮮卑の中でもあまり名門の出ではなかったが、勇猛果敢・公明正大にして
私欲に走らない人物だったため、人々に推薦されて王になっている。
三国時代の異民族の例に漏れず、漢民族の王朝に対しては敵対と服従とを繰り返すことで渡り合っており、
貢物を行った記録も、討伐を受けた記録も1回や2回どころの話ではない。
また中原から逃げてきた者たちを受け入れることで、文字を学び文化を取り入れる一方、
武具の作り方を教えて労働力にしたり、いざという時には元の土地に送り返すことで交渉の材料にしたりと政治的にも抜け目がない。
演義や演義ベースの小説などでは、なぜか羌族の王として記述されていることがある。
言うまでもなく、鮮卑と羌とは全く別の部族である。