孫権の妃の一人で、孫亮の母。本名は潘淑。
父が罪を犯して処刑されてしまい、姉ともども織室(罪人の娘が奴隷として織物を作らされる部屋)に入れられたが、
孫権に見初められて側室になったという経緯を持つ。二宮の変が終結して孫亮が新たな太子になった翌年、皇后に立てられる。
孫権の寵愛の后であり、手厚い待遇を受けている。
罪人の娘だったが、最後で出身を問わず生前に皇后位に就いている。
総じて言えば孫権は嫉妬深い女性は好きではない(徐夫人)。潘夫人は嫉妬心の強い女性だが孫権にかわいがられている
立后の際に慶事として改元し、大赦を行った。
孫権の寵愛ぶりや美貌ぶりが後世に伝えられるのは、潘夫人である。
身分差は別として、夫の孫権とは年の差が大きい夫婦とされている。
彼女の長男である孫亮(244年生)は孫権の三男孫和の長男である孫皓(243年生)よりも一歳年下である。このため孫和と同年代の人物と考えられる。
小虎は孫和の「姉」と記載されており、もちろん小虎よりも年下である。
年の差の大きい結婚ですが、孫権の歓心を買うのに長けており、仏教という共通の趣味であり、一生懸命に病気の孫権を看病していたことなどから、良好な夫婦関係であったと考えられる。
上記のように嫉妬深く、袁夫人(袁姫)など他の側室を中傷し続けたという。
(殺害した、とする資料もあるがどうやら誤訳であるらしい)
宮女たちにも辛く当たっていたのか彼女らの恨みも買っていたようで、重体に陥った孫権の看病疲れから倒れた所を絞殺される。
表向きは病死とされたものの、後日真相が発覚したため関係者が処刑されている。
一応家族に対する情は無かったわけではなく、皇后に立てられると未だに織室にいた姉の開放を頼み、容れられている。