陸績の父で陸遜の従祖父にあたる。
霊帝期、廬江で黄穣という賊が江夏蛮と反乱を起こすと廬江太守に任じられ、反乱を鎮圧する。
袁術が寿春に勢力を伸ばしてくると、当初はまだ幼い陸績を連れて挨拶に向かうなど敵対する意志はなかった。
しかしその翌年、徐州侵攻を目論む袁術に援助を要求されたのを拒否したことで関係が悪化。袁術の命を受けた孫策に攻め滅ぼされてしまう。
ちなみに陸康と孫策の間には過去に因縁があり、宜春県長であった陸康の従子を孫堅が救ったことがあったものの、舒県に住んでいた頃の孫策が挨拶に訪れると邪険に扱ったため怨まれていた、とされる。