孫権の四男にして、二宮の変の中心人物の一人。
長兄にして皇太子だった孫登が死去し三兄・孫和が後任に立てられた直後、魯王に封じられ太子と互角の扱いを受ける。
しかしその扱いが群臣に批判されると兄とは別々の宮殿に住むことになり、この処遇に不満を抱く。
自身の野望や豪族たちの利害関係もあり、兄弟でそれぞれの派閥を結成し争うようになってしまう。
孫覇派は楊竺、全寄といった側近や皇族の孫峻、孫魯班(大虎)の他、
孫呉の豪族でも非主流派の歩隲、呂岱、全琮などによって形成されていた。
一時は孫和派の陸遜などを讒言で追い落とすことにより優位に立ったものの、歩隲や全琮といった有力者の死去で勢いを失う。
そのまま派閥争いが膠着状態になると孫権は争いの元であるにもかからわず嫌気が差してしまい、
どちらも太子としない決断を下し、自害を命じられてしまっている。