人物紹介 / 曹操


曹操

許子将からは「治世の英傑、乱世の奸雄」と評された英傑で、魏王朝の実質的な創始者。
存命中は中国全土の歴史を大きく動かした人物であり、日本における三国志小説の第一人者である吉川英治は作中でハッキリと「前半の主人公」と書いている。
(ちなみに後半は諸葛亮)
儒教の教えの観点、そして北方の異民族も自分の配下に加えていた事から後世の中国においてはその時代の王朝を脅かす異民族と同一視されていた
(講釈師が三国時代の物語を聞かせると、子供たちは劉備が負けると涙を流して悲しみ、曹操が負けると喜んだと言われる)
背景から悪役として書かれることの多かった彼は、儒教の教えが根強い中国では日本以上に嫌われていたが、
第二次世界大戦以降、彼のよいもの、よい人材を積極的に取り入れる姿勢などが評価され、近年は中国でも再評価が進んでいる。

その才能は軍事、政治のみならず、詩人としても一流で息子である曹丕、曹植と並んで「三曹」と称されたり、
兵法も『孫子』の注釈を書いている上、この『魏武注孫子』は今日我々が目にする孫子のベースとなっている。

出自は夏侯惇達と同じく夏侯一族で、曹操の父は夏侯惇の叔父と言われている。
曹操の父が、漢の二代目相国である曹参の血筋を引く宦官の養子になったため、彼が曹姓になった。
血のつながりはないのだが、漢の三傑に並ぶ評価を受ける曹参の家からの出で、義理の祖父も当時権勢を誇っており
元の夏侯氏も漢の高祖(劉邦)の挙兵時からの功臣・夏侯嬰の末裔とされる。
袁紹が名族とよく言われるが、それには及ばないものの彼の血筋もなかなかのサラブレッドである。

官職につく前はかなりヤンチャな武勇伝が多く残っており、日本では織田信長に対比されることも多い。
実は史書には小男で容姿が悪かったという伝承が残っており、宦官の倅であることと合わせて馬鹿にされることが多く、
曹操は自分の容姿に強いコンプレックスがあったとも言われている。

俗に、以下の3つが曹操の三大疾病として知られている。
一つ目は頭痛。偏頭痛持ちだったとされており、3つのうち唯一本当の病気である。
演義では華佗が脳外科手術を提案したものの、理解を超えていたこともあり投獄・処刑してしまったというエピソードも書かれる。
二つ目は人材。かつて敵対していたこともある張遼、賈詡、張郃、龐徳と言った武将も重く用いていた他、
史実でも唯才是挙という一文で知られる求賢令も有名。
三つ目は女好き。第一弾でカード化された丁夫人、卞氏の他にも数多くの側室を持ち、男児だけでも20人以上の子がいたとか。
ただし、鄒氏の一件のように、それゆえに窮地に陥ったこともあるのだが。