霊帝が即位した当初の皇后。
ただし霊帝からの寵愛は無かったとされており、父の宋酆も執金吾にすぎないため皇后に立てられた経緯は不明。
ともあれ寵愛が無いことから他の側室たちからの誹謗中傷は絶えなかったという。
霊帝期は後の十常侍がそうであるように宦官が権勢を振るっている時期でもあり、渤海王・劉悝(桓帝の弟)が中常侍・王甫から謝礼金をもらえなかったことで恨みを買った末に讒訴され死に追いやられると、劉悝の妃が宋氏であったために王甫から報復を恐れられるようになり、皇帝を呪おうとしていたと讒言されて皇后を廃され、自身は幽閉の末に死去、さらに親兄弟も連座して処刑された。
ただし下級宦官たちは宋一族の無実を知っていたために憐れむと、彼女らの亡骸を宋氏代々の墓地に弔っている。