人物紹介 / 蒋エン


蒋琬

諸葛亮の死後、その後をついで蜀軍のトップに就いた人物。
いわば正史における諸葛亮の後継者と言える立場。
演義では後継者のイメージこそ姜維に奪われてしまっているものの、二代目丞相に就いており政治面のトップの座は揺るいでいない。

劉備が荊州を治めていた当時に仕官するのだが、仕事をサボり飲んだくれているのがバレて処刑されかける。
諸葛亮の取り成しによって免職で済まされ、劉備が漢中王に就くと蜀に異動して尚書郎に任じられる。
(龐統と似たような逸話であるが、こちらは演義には採用されていない)

諸葛亮の北伐では後方支援や諸葛亮が成都を空けている間の内政担当として活躍する。
その活躍ぶりから諸葛亮から後継者として指名されていたのだが、楊儀からは自身に劣ると見られていたようで、
諸葛亮の死後に後を継ぐと、楊儀は不満をぶちまけている。

カード裏のセリフが示唆する通り、国政に深く携わる立場としての沈着冷静さ・公明正大さに定評があり、
議論中に相手が返答をせずとも「肯定の返事をすれば彼の意見と合わず、否定すれば公に私を批判してしまうことになる」と理解を示したり、
楊敏という者に「前任者(諸葛亮)に遠く及ばない」と批判されても「事実だからしょうがない」と受け流したり、
後にその楊敏が罪に問われ逮捕されても刑に私情は交えなかったり、といった逸話が知られている。
よく諸葛亮死後に蜀が内政崩壊を起こしたことが言われているが、実際は彼や費褘、董允が存命していた頃は、
劉禅も彼らの言葉によく耳を傾けていたため比較的安定して国が機能していた。

魏で公孫淵が反乱を起こすとそれに乗じて北伐を再開しようとはしたのだが、自身の病気や周囲の反対により断念。
その後姜維を涼州刺史に任命して北方を攻めさせる体制を整えはしたのだが、成果を出す前に病死してしまう。
彼の死後、同じく諸葛亮から後継者の一人として見られていた費褘が後を引き継ぐが、僅か7年後に死亡。
同じく四相とされていた董允も既に没していたため、内政では黄皓、軍部では姜維を抑えられる人物がいなくなる。
結果、内政の重要人物を相次いで失った蜀は転げるように崩壊の一途を辿っていくことになる。