人物紹介 / 公孫淵


公孫淵


公孫康の子で、三国鼎立後に独立勢力「燕」を立ち上げた群雄。
史書が編纂された当時の避諱の影響をもろに受けており、『三国志』では司馬懿の諱を避けるため字が省略さ れた。
唐代に書かれた『晋書』では李淵の諱を避けて自身の諱を省略され「公孫文懿」と記載されている。

父・公孫康が没した当時は兄・公孫晃ともども幼少だったため叔父・公孫恭が跡を継いだが、成長すると叔父を脅して遼東太守の座を奪い取っている。
(公孫恭は病の影響で不能だったとされており、子がいない上に太守の任に耐えられない人物だった可能性もある)
また、公孫晃は弟の危険性を認識しており討伐するようしばしば訴えていたが進言は却下されている。

自身が太守になると密かに呉と通じ、孫権から燕王に封じられるも使者を殺害し、首を曹叡に送っている。
この頃には魏にもその増長ぶりを気づかれており、都への出頭命令を出されるが拒否し、毌丘倹の部隊を撃退している。
そして自ら燕王を名乗るものの、曹叡の意向で短期決戦を仕掛けた司馬懿に敗れ、籠城戦を余儀なくされ兵糧が尽き「人質を出すから許してくれ」と持ちかける。
しかし、「戦には五つの要点がある。戦意ある時に戦い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。後は降るか死ぬかだ。降伏しようとしないお前たちには死あるのみだ。人質など無用だ」とにべもなく返される。
そして息子と共に脱出を図るも捕らえられ、処刑された。ちなみに公孫晃もこれに連座して処刑されている。

世にも奇妙な逸話として、彼が燕王を名乗った頃に襄平の北にある肉屋が長さ・太さがそれぞれ数尺あり、頭、目、口が付いているが手足がなく、それでいてユラユラ揺れているという肉を販売していた。
これについて占い師が「こんな不完全な怪物が現れる国は滅ぶだろう」と占ったという。

遼東公孫氏は韓(現在の朝鮮半島)や倭(現在の日本)にも影響を及ぼしており、本来ならば魏の都を目指すはずの使者たちを遼東に留まらせて貢物をさせていたとされる。
曹叡の代に公孫淵が魏からの討伐を受け勢力が弱まったことで、倭から魏への朝貢が可能になったという説がある。
確定的な根拠に乏しく仮説の域は出ないが、真実ならば公孫氏が健在であり続ければ『魏志倭人伝』も存在せず、日本古代史にかなりの影響を与えている人物という事になる。

コーエーの三國志シリーズでは、「2」での登場が印象深い。
シナリオ6において最初は曹丕配下で2国の太守だが、義理の低さ・野望の高さが災いしてオープニングイベントの如く謀反を起こして君主になる事が多い。
さりとて曹丕配下のうちに登用したり戦場で捕らえて配下にしても、義理が低すぎて戦場で高確率で寝返るなどの弊害が起きるため、扱い辛い(同様の現象を起こす武将が呂布・麋芳など)。
武将が寿命で死に易く不足しがちな後半シナリオだというのに迷惑な武将であるためか、一部のプレイヤーには印象に残っているのだろう。

柴田錬三郎の三国志小説「英雄三国志」では処刑の方法がかなり残虐なものとなっている。どのように処刑されたかはご自身の目で確かめて頂きたい。

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