黄巾賊に呼応して各地で暴れまわった河東郡の賊・白波賊の頭領。
徐晃の旧主であった楊奉もその同僚として知られる。
李傕・郭汜の争いに乗じて献帝が長安を脱出すると、楊奉の招きを受けて献帝の護衛となる。
この功績から大将軍の地位を授かるが、得た地位を盾に仲間の賊を勝手に官職に任命するようになり董承の反感を買ってしまう。
結局、董承が曹操の助力を得たことで追い落とされ、楊奉と共に袁術の元へ落ち延びる。
袁術配下として呂布討伐の命を受けると出陣するが、ここで陳珪の調略を受けて呂布に寝返り、袁術軍を打ち破る活躍を見せる。
その後は呂布から与えられた駐屯地で略奪していたところを劉備軍に打ち破られ、落ち延びた先で殺害された。
余談だが、歌舞伎の盗賊を主役とした演目「白浪物」はこの「白波」を訓読みしたのが語源。 義賊ものや人情ものもある演目ながら、元ネタは上記の通りである。