人物紹介 / 何晏


何晏

肉屋から大将軍に成り上がった男・何進の孫。

母・尹氏が曹操の側室になったため、曹操の養子として育つ。後に曹操の娘の一人である金郷公主を娶っている。
その才気もあって曹操からは一族同然に可愛がられたのだが、
曹丕・曹叡からは「口ばかりで中身の伴わない人物」と見られ重用されず、政治の表舞台に現れるのは曹叡没後のことである。

曹叡の死後、仲の良かった曹爽に取り入って唆し、司馬懿を名誉職に祭り上げ、知人・友人を次々と中央政権に取り立てるなど
自分勝手の限りを尽くす。
司馬懿のクーデターで曹爽が失脚すると、何晏は命を惜しみ司馬懿に媚びようとして曹爽一派の者たちを激しく告発・弾劾した。
司馬懿は曹爽らの名を罪人として一通り書かせたのち、最後に「お前の名が足りぬ」と言い放ち、何晏は曹爽らもろとも刑場に散る事となった。

このような経緯もあって政治家としての評価は低いのだが、
一方で学者としては評価が高く、著書の『論語集解』は現存する最古の論語の注釈書である他、
竹林の七賢に先駆けて清談の気風を開いた「正始の音」の創始者としても知られている。

ナルシストとしても知られており、おしろいで化粧をしては手鏡を見て自分の姿にみとれていたという。
また「五石散」という、鉱物をすりつぶして作った一種のドラッグの愛用者であり、
当時の中国で五石散ブームを起こし(てしまっ)た第一人者であった。
五石散の愛用者が温まった体を冷ますためにしょっちゅう歩き回って汗をかいていたのが「散歩」という言葉の語源になったと言われる。