人物紹介 / 黄権


黄権

夷陵の戦い以降は魏に仕えるが、正史では蜀書に伝があり蜀の武将と認識されている。

最初は益州を治める劉璋に仕え、張魯に対する援軍として劉備を呼ぶことに対し、
「劉備をいち武将として扱えば不満を持たれ、賓客として扱えば一国に二人の君主がいることになる」と反対するが、
却下された上で左遷されてしまう。
劉備が蜀を攻略し始めると門を閉ざして抵抗するが、劉璋が降伏したと聞くと劉備に降っている。

劉備のもとでも実力を発揮し、張魯が曹操に降ると漢中の重要性を説いて漢中攻略を決断させ、曹操方の豪族を討伐した。

夷陵の戦いでは「流れに沿って攻めるのは簡単ですが、退くのは困難です。私が先陣を務めるので陛下は後方に下がってください」
劉備を諌めるがまたしても却下され、劉備本隊の敗北で退路を断たれると呉に降るわけにも行かないので魏に降っている。

魏では曹丕に「君は陳平や韓信(ともに漢王朝の功臣)に倣って魏に降ったのか?」と聞かれると、
「私は蜀で厚遇されていました。命を惜しんで降っただけで、古人に倣ったわけではありません」と答えたことで曹丕に気に入られている。

蜀では劉備は黄権が魏に降る事態になったことを気に病んでおり、
「黄権がわしを裏切ったのではない。わしが黄権を裏切ったのだ」と言って、黄権が蜀に残した妻子の罪は問わなかった。
劉備が死んだ際、魏の臣たちが曹丕に祝いの言葉を述べる中、黄権は参加しなかった。

司馬懿とは親交を結んでおり、司馬懿から諸葛亮に宛てた書状の中に「いつもあなたのことを誉めている」と書いている。
子の一人である黄崇は蜀の滅亡まで戦い続け、鄧艾が侵攻してきた際に諸葛瞻と共に戦死している。