2000 / 08 / 07 男性怪死事件(LA)


男性怪死事件(LA)

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/index.htm

LAリトル東京で働く日本人男性が、幾度かの失踪を繰り返した後に、ビルから転落死をする。
防犯カメラに不審者が写っていたり、遺体には無数の傷跡があるにも関わらず、LA警察は自殺と断定。
独自に捜査し始めた友人達にも、尾行や嫌がらせが続き、サイトの更新も途絶えてしまった。
被害者の友人が、2ちゃんねる「ちくり裏事情板」にスレッドを立てた事で知れ渡った事件でもある。

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/sub1-1.htm
事件概要

『警察庁、米に再捜査依頼』
『通信特許巡るトラブルか』
『ロス領事館に助け求める』

再捜査依頼について・・・同社新聞より

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/fairu/newpage2.htm
今年8月、ロサンゼルスで駐車ビルから飛び降り自殺したと断定された日本人男性の
死因に不自然な点があるとして、遺族や関係者が11月22日に日本の警視庁と警察庁の
国際捜査課を通じて、ロス保安官本部に再捜査依頼を要請していたことが13日までに
明らかとなった。
関係者らの証言によると、事件の背後には、通信技術関連の日米特許売買を巡るトラ
ブルが絡んでいるとして、巻き込まれることを恐れた元同僚たちがロサンゼルス日本
総領事館に助けを求めていたことなども分かった。

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/fairu/jik.htm
時系列

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/fairu/sff.htm
ロサンゼルス郡−保安官本部−報告書

2000年8月6日(日曜日)05:45、A捜査官およびB捜査官は、Hideyuki Okamuraの
死に関する状況を調査するために、ユニバーサルシティーの3800のLankershim Blvdに
到着しました。
西ハリウッド保安官事務所のユニット92aに属し、現在ユニバーサルシティ分署に配属
されている保安官代理のCとDは、自殺未遂の電話を受け、現場に到着した。
その電話の内容は彼らの到着の前に「銃を持った男がいる」という電話内容に
更新されていた。
彼らと同時刻にロサンゼルス郡の救命救急隊が到着した。
二人の保安官代理は、6階建て「ジュラシック・パーク」駐車場の1階にある、デリバリー
エリアに通じるコンクリート車道で犠牲者が倒れているのを見つけた。
救命救急隊は犠牲者への応急手当てを開始し始めた。
犠牲者は、そのあと救急車によって91505バーバンクシティー、南ブエナ・ビスタ通り
501にあるセント・ジョセフ病院へ搬送され、ドクターEによって午前4時27分に死亡
が宣告された。
その後、保安官代理による報告書作成にあたる犠牲者の身辺調査ならびに行動調査により、
この事件の1週間前から、犠牲者がおかしな行動をとっていた事が明らかになった。
友人、および家族は、犠牲者が未確認の原因によって苦しめられていたが、それが
何であるかを彼らに話してくれなかったと述べた。

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/fairu/coror.htm
ロサンゼルス郡検視局捜査官の供述

http://members.aol.com/kaccyan/okamura1/fairu/ak1.htm
シチズン

岡村は、亡くなる一週間前ぐらいから何かに怯えていました。
ある特許事件を私達(私と岡村とT・Y)が解明している最中であったことが原因です。
その事件とは、私は、日本で多用されている文字変換の実用新案権を有しています。
1997年頃から日本で権利行使を行なってきました。
しかし、個人が日本で大企業相手に権利行使をすることの難しさがわかったのです。
なぜなら、総会屋やヤクザらに脅かされたり、圧力がかかって邪魔をされ
権利行使どころではなかったのです。
この様なことから、私は1998年頃から米国で、米国弁護士に依頼をして、
日本の企業と商談していたのです。
ところが、その企業は私が日本にいないことを利用して、違法な手続で
権利無効の裁判を日本で開始していたのです。
その後、その違法な手続がばれないように、私の弁護士に圧力をかけ権利行使が
出来ないようにしていたのです。
その証拠を収集していたのが私達です。

私が、岡村とT・Yに出合ったのは、二人がLos Angelesの「Kレストラン」で
バイトをしていた時です。
その後、私の仕事を手伝ってくれて、T・Yが通訳兼コーディネーター、
岡村が車を運転してくれていしました。
しかし、T・Yは私と岡村を裏切っていたのです。
T・Yが裏切っていた事が分かった日から岡村は怯えだし、
2000年8月6日に変死してしまいました。
1991〜2000

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