1983 / 11 / 01 澁谷美樹(当時3歳、女)宮城・柴田郡川崎町


澁谷美樹

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1983年11月1日.宮城県川崎町でテレビでは日本シリーズの試合で活躍した中畑清選手(元巨人軍)が笑顔でヒーローインタビューに答えていた頃、祖父である喜代治さんは町内にある川崎保育所に美樹ちゃんを迎えに行った。美樹ちゃんは両親、祖父母、曾祖父の5人家族で、父.民夫さん(31歳)と母.勝江さん(36歳)は共に働いているため、祖父らがよく面倒を見ていた。
美樹ちゃんは行方不明になる前年12月に町立川崎保育園に入園、家族が毎日、車で送迎していた。おとなしい子で、保育園では1人で砂遊びをしていることが多かったという。
もしこのまま自宅までノンストップで自宅に行けば事件は起こらなかったのかもしれない。しかし、運命は悲劇の幕を開けようとしていた。
喜代治さんが美樹ちゃんを車内に残し、田んぼに降りて知り合いと話しこんでいる間に居なくなる。喜代治さんはすぐさま知人と共に必死に周囲を探したが見つからず大河原警察署に「孫がいなくなった」と届け出た。
その時間帯は、脱穀機が田んぼを回っている状態で、周囲の音は聞きづらい状態だった。
現場近くの道で美樹ちゃんと同じO型の血痕が少量とブレーキ痕や不審な男女の目撃情報もある。
美樹ちゃんが車から降りてその周りで遊ぶ姿が田んぼから目撃されている。
当時の捜査当局は現場から見つかった血痕やタイヤのスリップ痕から美樹ちゃんが1人で車外に出て交通事故に遭い、そのまま連れ去られたとする交通事故説の線で捜査を進めてきたが、捜査資料の再検討の結果、むしろ交通事故説が後退、黄土色の車の所有者か、その関係者が交通事故を装い、計画的に美樹ちゃんを連れ去った可能性が強まった。
当時、澁谷さん宅近くの実家に酒を仕入れに来ていた飲食店経営の男F氏(当時31歳)が猛スピードで車を走らせている姿を目撃されており、何度も事情聴取を受けている。F氏は美樹ちゃんの父親の民夫さんとは同級生だった。なお、この男は事件後に車を変え、美樹ちゃんの失踪当時に乗っていた車は見つからなかったとのこと。現在F氏は行方不明である。
警察ではこれらの証拠や証言を基に轢き逃げ、誘拐両面での捜査に着手。 宮城県警捜査一課、機動捜査課、大河原警察署、隣接署等合わせて144人体制を 敷き、延べ1万7,000人が捜査に動員されている。 その後も交通事故説、身の代金目当ての誘拐説、怨恨による犯行説など、 あらゆる可能性について精力的な捜査が展開され、同時に目撃情報など から現場付近を通行する車両数千台に絞り1台ずつ潰す地道な作業が 続けられたほか、事件前に渋谷さん宅に対して恨みなどを持つ者が 不審な動きをしていなかったかどうか徹底的な洗い出しもかけられた。
美樹ちゃんが行方不明になった翌日の11月2日午後5時ごろ、某別荘地で、黄土色系の車に乗った男女が、車のトランクを開けるなど不審な行動をしているのを目撃した人がいた。不審な男女を目撃したのは、美樹ちゃん捜索に協力していた同町内の人。その男女に近づこうとしたところ慌てた様子で走り去ったという。警察は美樹ちゃんが付近に捨てられた疑いも視野に入れ、警察犬を出して捜索したが見つからなかった。
何よりも不自然なのは、美樹ちゃんが1分30秒〜3分という極めて短い時間に、しかも車から25メートルという目と鼻の先に祖父と知人合わせて5人がいたのに、だれも気づかないまま行方不明になってしまった点である。ただ、時計を見ていたわけでもないため、実際はもう少し長かった可能性がある。捜査当局は「誘拐説」の線でも捜査したが、渋谷さん一家に他人から恨みを買うような点が全く認められないこと、美樹ちゃんは人見知りする子なので知らない人について行くようなことはなく、無理に連れ去ろうとすれば泣き叫ぶはずであることなどからみて、可能性も低いと考えられる。行きずりの誘拐と考えても、近辺に変質者などは全くいないという。このようなことから、一時は後退した「交通事故説」の可能性も捨てきれない。すぐ近くに祖父らがいながら、急ブレーキなどの物音や美樹ちゃんの悲鳴なども聞いていないのは極めて不自然と言えるが、祖父の知人が脱穀機を使って脱穀作業の最中だったことから、脱穀機の音にかき消された可能性も考えられなくもない。しかし、いずれとも断定し得る決め手は浮かんでいない。
しかし、捜査は意外なほど難航することとなる。 「ほとんどが親類縁者という川崎町の住民は本当の事をなかなか言って くれない為、正確な情報が得られず苦労した」(捜査に携わった捜査関係者談)。
また営利誘拐の場合、必ず犯人からなにがしかの要求が出されるものだが、 美樹ちゃん失踪に関しては明確な要求がなされたことはなかった。 ただし事件発生直後には自宅へ無言電話や身の代金要求の電話が入ってはいる。 当然、警察でも、これらの電話についての捜査を行ってはいるが、 便乗犯の可能性も捨て切れず犯人と特定するには至らなかった。
美樹ちゃんが行方不明となった日から、家族は眠れぬ夜が続いた。自宅前を通過する車の音や、ちょっとした音にも「もしや美樹を誰かが連れて来たのでは」と家を飛び出し、懐中電灯で辺りを照らす日々だったという。事件後、雨が降った6日夜は「美樹が雨の中にいたらかわいそう」と思い、一睡もせず戸外を見回ったという。食事の度に、テーブルに美樹ちゃんの茶碗を用意し、無事に帰ることを祈りながら母.勝江さんが食べている。父.民夫さんは「美樹を連れ去った人がいるのなら、せめて美樹の居所だけでも知らせて欲しい」と訴えている。
実は美樹ちゃんは事件発生前夜、いつもとは違う行動をしており、母親の勝江さんは2009年の取材で「いつもは寝付くと起きたことなんか無い美樹が事件のあった前の晩にかぎって起きて、足元にまとわりついて離れなかった」と答えており、美樹ちゃんはこの時既に自分の身に起こる異変を感じ取っていたと思われる。
未解決事件の行方不明事件を扱うテレビ番組で本事件は何度か取り上げられており、その度に全国から寄せられる情報に関して裏づけを取っているが肝心の美樹ちゃん本人に関する情報は現在に至るまで得られていない。 家族には美樹ちゃん行方不明後、長男、次男が誕生しており、TV他メディア等に積極的に参加し情報を呼びかけており、「やっぱり家族は一緒じゃないと。いつ帰ってきてもいいように。みんなでずっとまっているよ。犯人へ、人間なら人の痛みと言うものが分かるはず。美樹を早く返してほしい。」と語っている。
美樹ちゃんが失踪した現場には1984年10月に大河原警察署により建てられた情報提供を求める看板が現在でも設置されており、看板は交通事故によって壊れてしまい、ご家族で立て直している。(2000年2月15日 読売新聞)
事件から数年後、超能力者のジム・ワトソンがテレビ公開調査で透視したところ、「美樹ちゃんは生きている、2つ隣町の柴田町の自衛隊駐屯地近くにおり、お母さんには悪いけど、犯人は自分の子供として育てるって言っている」と発言している。
2001年に大河原警察署では21歳になった美樹ちゃんの現在予想されるモンタージュ写真を作成した。
2005年9月16日放送のスーパーフライデー 「人はなぜ突然消えた!?“ザ・神隠し”ナゾの失踪者を追え!!」 で取り上げられた際には美樹ちゃんが失踪した現場に赴き、現場検証が行われた。
事故当時最後に一緒にいた祖父の喜代治さんは美樹ちゃんの帰りを見届けることなく、2012年2月に亡くなっている。
2013年9月11日に母親の勝江さんは「まだ、諦めていない。事件が、こんなにも長引くなんて思わなかった。」、「(犯人には)人の心があるのでしょうかね」と取材に答えている。
勝江さんは6月に撮られたさくらんぼ狩りの写真や10月に撮られた写真、七五三の時に来た服を現在でも所有し、30年間、いつかは会える日が来ると、今でも、ずっと、ずっと待っており再会を諦めていない。
失踪からちょうど30年が立った2013年11月1日に勝江さんは取材で「1日も美樹を忘れたことはない。犯人が人の心を持っているのなら、せめて美樹の場所を教えて欲しい」と絞り出すように訴えた。
2018年2月6日に同じく息子の松岡伸矢くんが行方不明になった松岡正伸さんはフェイスブックで美樹ちゃんの名前がネットに上がっていることに触れ、母親の勝江さんが熱心に諦めずに探し続けている姿に心打たれた方が多かったのではないかと拝察し、「必ず元気に生きておられると思います。美樹ちゃんが無事帰ることができますようにと切に願います」とコメントしている。
2020年現在も自宅の居間には美樹ちゃんの写真がずっと飾られている。
2021年現在も家族は美樹ちゃんがいつでも帰って来てもいように部屋をそのままにしている。
探偵ファイル
1981〜1990

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