バーナード・ショー


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コリン・ウィルソンが青年時代から信奉するのが、GBSことバーナード・ショー。
CWが時折見せる、辛らつな批評精神の源泉はショーにある。
バーナード・ショーをCWが発見したのは十代なかばに、BBC第三放送でエス・パーシーが『人と超人』の朗読をしているのを聴いたときのことである。彼は翌日の再放送を聴くと、バーナード・ショーの戯曲を網羅的に読むことになった。

バーナード・ショー

 バーナード・ショー(1856-1950)はアイルランド出身の戯曲家。若い頃は本当に猛烈な赤毛だったらしい。現在では、オードリー・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』の原作者としてよく知られている。彼の活動は幅広く、ウェッブ夫妻のフェビアン協会に参加して、フェビアン社会主義運動に身を投じており、進化論では、ダーウィン主義に対抗するネオ=ラマルキズムの提唱者の一人という位置を占めている。つまり、彼は戯曲家というだけではなく、政治家、進化論者としても著名なのである。だが、日本での彼の作品の出版状況はかなり厳しく、『バーナード・ショー名作集』(白水社1966)には、『カンディダ』(鳴海四郎訳)、『悪魔の弟子』(中川龍一訳)、『人と超人』(喜志哲雄訳)、『ピグマリオン』(倉橋健訳)、『聖女ジョウン』(中川龍一・小田島雄志訳)、『デモクラシー万歳!』(升本匡彦訳)と6作品が収録されている。しかし1993年に『名作集』の二作品が白水社から『人と超人 ピグマリオン:ベスト・オブ・ショー』として一部復刊となった。岩波文庫には『人と超人』と『メトセラへ帰れ』の二作品が入っているが、これも入手しにくい。
 彼はベジタリアンだったが、その理由は自分にあまりに精力があるために力を削ぎ落とすためだという冗談めかしたものだった。自分の天才性を触れ回り、他人を辛辣に批判し続けたので、同時代の多数の批評家たちから冷遇されていた。そうしたことから、イギリスでは彼の死後に評価は落ちてしまう。

コリン・ウィルソンの評伝『バーナード・ショー』

Bernard Shaw: A Reassessment, Hutchinson, 1969.
『バーナード・ショー』中村保男訳、新潮社、1972年.

この本は新潮社から出版されていたが、現在は再版されないままになっている。日本語で読めるバーナード・ショーの評伝としてはかなり詳しい一冊である。
 ウィルソンは『アウトサイダー』以来、バーナード・ショーの再評価を求めており、彼に関する伝記も執筆している。この『バーナード・ショー』はウィルソンの執筆した伝記の中でももっとも詳細でまとまりのある著作となっている。バーナード・ショーの文学や哲学の部分だけではなく、経済学におけるショーの立場にまで踏み込んで論じられている。その結果として、ウィルソンは自分自身の政治的立場を考えるようになり、それ以来、彼は社会主義者ではなくなった。
 ショーがシェイクスピア攻撃の急先鋒でもあった。ウィルソンが引用している部分では、「シェイクスピアに対する私の苛立ちの激しさは時として非常な程度に達し、そのとき私は彼を墓場から掘り起こして石を投げつけられたらさぞや気が休まるだろうと思う」(邦訳p. 130)といった調子である。その影響から、ウィルソンもまたシェイクスピア嫌いを宣言している。

 CWが哲学的にショーに共感するのはその人間中心主義的な考えと楽観主義(進歩思想)にある。