人物紹介 / 歩夫人


歩夫人

歩隲の同族で孫権の側室の一人。大虎・小虎こと孫魯班・魯育の生母でもある。
『建康実録』という史料によると、名は「練師」であったとされる。
(真三國無双シリーズに登場する「練師」は、この歩夫人がモチーフである)

元々は美貌を見初められて孫権の側室になった。妃であった徐夫人が廃された後はこの歩夫人が最も寵愛されたという。
嫉妬を知らぬ性格でしばしば他の女性たちを推薦したことから長く大切にされた。
また宮中では「皇后」「中宮(皇后の敬称)」と称され、群臣からは事実上の第一夫人として扱われていた、との記述も見られる。
孫権は帝位につくと彼女を皇后に立てようと考えたが、臣下たちは太子・孫登の育ての母である徐夫人を推したため決断できずにいた。
238年に死没、死後に初めて正式に皇后位を追贈された。

…というのが彼女にまつわる主な通説であるが、
・徐夫人が廃された後にかなりの年月があるにもかかわらず、歩夫人の実際の地位が側室のままである
・孫権の最晩年にかなり強引な経緯で低い身分から皇后になった潘夫人に比べ、歩夫人の皇后昇格に関して孫権の積極的な動きがまるで見られない
・孫権との間には娘しか生まれなかったが、後継者たる男児の養育を任されることもなかった
以上の矛盾が指摘されており、近年は「本当に孫権は歩夫人を皇后にするつもりだったのか」を疑う向きも一部で存在する。
徐夫人と同様に孫登に衣服を贈っており、当人としては太子の母として振舞うつもりがあったようだが、育ての母を敬愛する孫登からは軽んじられていた。

今となっては孫権の本当の思惑は想像する他ないが、
「孫権が長い年月に渡って正妻・皇后を持たなかった」という事実は、後の呉王朝の混乱を招く火種の一つになったのではないかとも推測されている。

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