『傷寒雑病論』を著し「医聖」と呼ばれた医師。字で「張仲景」としても知られる。
「神医」華佗が在野であり続けたのに対し、こちらは長沙太守を務めるなど官吏としても働いている。
建安元年(196年)から10年間で200人以上いた一族の2/3を疫病で失い。死因の7割が傷寒病であった。
この時適切な治療を施せず救えなかったことがきっかけで『傷寒雑病論』を記したとされる。
『傷寒雑病論』では傷寒病を症状によって6種に分類し、以下の点を記している。
ちなみに傷寒病とはインフルエンザ、マラリア、腸チフスなどの熱病が該当するとされている。