1949(昭和24)年生まれ。当時山梨県甲府市桜井町在住。4人きょうだいの長男。
山梨県立甲府南高等学校の一年生であった。
1965年(昭和40年)8月26日朝「房総海岸へ泳ぎに行く」と
千葉県安房郡丸山町(現・南房総市)に住む親類のKさん(当時60歳)方へ向かったまま行方不明。
帰宅予定の8月末になっても帰ってこず、Kさん宅にも寄らなかったため、新学期の明けた9月2日に父のNさんが甲府警察署に捜索願を出した。
甲府署は警視庁をはじめ、静岡、千葉、神奈川、長野県警に五千枚の手配書を送り、
さらに父Nさんは自費で征理さんの顔写真入りのちらしを作り各方面に配った。
征理さんは出かける前日まで家業のブドウ園を手伝い、父からもらったアルバイト代の五千円を持って出かけたといい、
家出などは全く考えられないという。
不明から一か月後の9月25日、途方に暮れた赤坂さん一家を見かねた甲府南高等学校の生徒会は
全校生徒およそ1650人に呼びかけ、ホームルームの時間を利用し、全校生徒の親類や知人に
「赤坂征理君を捜してください」と手紙を書き、父Nさんの作ったチラシも添えて発送した。
征理さんは身長168センチ、中肉、長髪、後頭部に白髪あり。
出かけた当時は白シャツ、水色ズボン、黒靴、赤いナップザックを持っていた。
(※『山梨日日新聞』1965年9月30日付け朝刊より一部伏字を使用し抜粋。)
甲府市桜井町、甲府南高校一年赤坂征理君(15)は夏休みも終わりに近い8月26日朝、
千葉県の親戚へ海水浴に行くと家を出たまま一か月以上も行方不明のため「ナゾの失踪」と安否が気遣われている。
ところが、心配している親心につけ込み、新聞に載せてやると一万円をだまし取った男が29日甲府署に逮捕された。
逮捕された男は中巨摩郡竜王町(現・甲斐市)に住む建設情報誌発行人のG(当時29歳)。
16日夜7時ごろ、甲府市内の靴製造業Yさん方で赤坂征理君の父親Nさんと知り合い、
Nさんが征理君の安否を気遣っていることを知った。
これに便乗して「私は新聞記者をしていた。甲府支局長とも親しい」と偽り、さらに
「その新聞の全国版に記事を載せるように計らってやる」と言って斡旋料名義で五千円をだまし取った。
続いて21日夜8時ごろにはNさんを裏春日通りの喫茶店に誘い出して、再度新聞記事の話を持ちかけ、
喫茶店を出てから表通りでさらに五千円をだまし取っていた。
同署の調べによるとGは暴行、傷害など三件の前科があり、詐欺事件もNさんの
「藁をもつかみたい気持ち」を狙って三万円の斡旋料を要求していた。
赤坂さんの家は子ども4人、両親の6人家族。90アールのブドウ園を経営する農家。
家出(※原文ママ)した征理君は夏休み中、ほとんど毎日のようにどこへも遊びに行かず、
ブドウの切り出しの手伝いをして働きどおしだったという。
「よう手伝ってくれたので、26日には言うなりに千葉のおばさんのところへ行かしたのだが…」
と父親のNさんは話している。
一か月以上経っても何も手がかりもないので家族は悲嘆に暮れており、
「もしや、はがきの一枚でもくれないか…」と毎日郵便屋さんが来るのを心待ちにしているという。
警察関係5000枚、このほか個人で心当たりをと、6400枚も捜索願いのチラシを配って、
藁をもつかむ気持ちで過ごしているという。
赤坂さん失踪事件を扱った新聞記事は翌年1966年以降はほぼ無く、
失踪から三年ほど経った1968年、早川書房『SFマガジン』5月号のコラムにほんの少し触れられていた程度である。
また余談ではあるが、学研『2年の学習』1958年1月号の懸賞当選者発表のページに赤坂征理さんの名前が掲載されている。
2025年2月現在、親族による失踪宣告の届け出はされていない。
1961〜1970