孫策が袁術のもとにいた頃からの側近。
親族や孫堅古参の配下たちでさえ若く実績を挙げていない孫策を見捨て、袁術配下になっていた頃に彼と孫河のみは孫策を見捨てる事無く付き従っていた。
孫策も彼のことは側近中の側近として一族同然に扱っており、母である呉夫人の座敷にまで通して食事を振舞ったこともあるという。
演義では、当初は袁術配下とされているが史実ではそのような事実はない。
ただし徐州にいた母を呼び寄せに行ったときに陶謙に捕まり、袁術配下と誤解され拷問を受けたという逸話がある。
演義や本作では文官として扱われているが史実では軍才も確かで、武将としても数々の戦いに参加。
孫策の江東制覇に始まり赤壁や洞口の戦いまで、明確にわかるだけでも30年近い戦歴を史書に残している。
魏視点の史書では撃退されたとの記録も少なからず残されているのだが、逆にその記録の数々こそが彼の歴戦ぶりと、魏にとってどれほどの大敵であったかを雄弁に物語っていると言えるだろう。
最終的には大司馬に任じられたが、印綬を授かる前に死去。
孫権は印綬を遺族に届け、自ら墓参りをするほど悲しんだという。
孫策とは囲碁仲間でもあり、孫策と囲碁を打った時の棋譜が世界最古の棋譜として残っているとされる。
今作での彼のスペックを見て、大戦1の虞翻(弓兵、1/8、防柵)と呂範(歩兵、2/8、伏兵)を合わせたようだと思った古参プレイヤーもいるのではないだろうか。