魏将・李豊の娘にして賈充の先妻。
父が夏侯玄を旗頭にクーデターを図り、司馬師を排除しようとしたことが発覚し処刑されると、連座して離縁された上で流刑に処せられる。
西晋が成立すると恩赦を受けて賈充との復縁を許されるものの、郭槐の猛反発を受けて賈充は固辞する。
郭槐は郭槐でこれだけでは気がすまなかったらしく李婉の元へ乗り込もうとし、賈充が「アイツは強情で才気があるから止めとけ」と止めたが強行する。
しかし郭槐は、乗り込んだ先で李婉の姿を見るとその気品に圧倒されつい跪いてしまっている。
賈南風が司馬衷の后になると、改めて賈充の元へ帰ることを許さないという勅が下されている。