人物紹介 / 董允


董允

劉禅に仕えた蜀漢の政治家。諸葛亮・費禕・蒋琬と共に「四相」と称される。

史書の記述では何かにつけて費禕には一歩及ばないという扱いをされがちで、
「共に葬儀に参列することになった際、父がわざと粗末な馬車を用意すると、董允は嫌がったが費禕は平然としていた」
「費禕は政治家としての仕事もプライベートも完璧にこなしていたが、後任の董允がそれを真似ると十日もたずに仕事がたまった」
といった逸話が残されている。
しかし有名な出師の表では費禕・郭攸之と共に
「政治をよく知る者であり、宮中のことは彼らにご相談を」と名を挙げられており、
諸葛亮には才能と実力を高く評価されていたことがわかる。

軍才にも優れる費禕は諸葛亮の幕僚として北伐に従軍、郭攸之はあまり直言をしない控えめな性格であったため、
蜀漢の中央では主に董允が劉禅のブレーキ役を務めていた。
董允があまりに厳しく接することもあって、やがて劉禅は甘言の得意な黄皓を信頼・寵愛するようになってしまうが、
それでも董允の存命中は、黄皓が政治的権限を手にするという事態は防がれていた。

演義などでは諸葛亮亡き後の蜀は、「姜維が孤軍奮闘するもあっさり滅亡」程度のイメージも持たれがちだが、
実際には費禕や董允ら、四相が国政を担っている間はそれなりに真っ当な国が保たれていた。
しかし246年に董允が、253年に費禕が死去すると、黄皓が台頭するなど政治腐敗が侵攻。
姜維は北伐を強行し、それなりに奮闘するも、結果的には国力を疲弊させただけで終わる。
そして、それを食い止められない(止める気も見られない)劉禅の指導力の無さにより、蜀は急速に滅亡へと向かう事になる。

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