魏将にしては珍しく、演義で実力や性格面で悪く書かれることの少ない人物。
演義では関羽との友誼も書かれ、呂布軍滅亡時に関羽が張遼の助命を願ったり、官渡では関羽と並んで先陣を務めたりしている。
張遼最大の見せ場と言えば合肥の戦いであるが、これは演義よりも正史のほうが詳しく記述されている。
僅か800の手勢で呉の大軍を相手に突撃し、本陣まで迫ったというから凄まじい。
ちなみにこの時「短足だが騎射が巧みな若い武将」の姿を見ており、後日それが孫権だと知って捕えればよかったと後悔したとか。
この一件は孫権のトラウマになったようで、晩年になり再び孫呉が反乱を起こすと、病身を押して出陣したのだが、これに対し孫権は
「病気とはいえ相手は張遼だ。軽々しく戦わず慎重になれ」
と部下に指示したという。
彼の代名詞ともなっている「遼来来」(遼が来たぞ!)はフレーバーテキストにも書かれる通り呉の民が言った言葉なのだが、
本作の計略使用時のセリフを始めとして、本人や合肥で共に戦った諸将が自ら言う作品もよく見られる。