人物紹介 / 孫休


孫休

孫権の六男で、孫呉の三代目皇帝。諡は景帝。

幼い頃から学問に熱心であったものの、二宮の変についてはその間も終結後も蚊帳の外であった。
二代目皇帝となった弟・孫亮が親政を目指して孫綝と対立した結果廃されると後任の皇帝に立てられる。
しかし相変わらず横暴な孫綝とは対立し、自身も廃されそうになるが、先手を打って孫綝を殺害している。

自身が政治を執る体制が確立すると、文治政治を重視する方向にシフトして孫呉の安定を図る。
しかし国が安定してくると生来の学問好きが再燃したのか、政治を張布と濮陽興に任せて学問に耽るようになってしまう。
その後30歳で急死。跡継ぎに長男の孫ワンを指名したものの、まだ幼かったため願いは叶えられず、
「孫策の気風がある」と評された孫皓が帝位を継ぐことになった。

本人はかなり頭の切れる人物ではあったようなのだが、考えが先進的過ぎて理解者も少なかった節がある。
その最たるものは「他人と名前がかぶってはいけない」という理由で自身の子に命名する際新しい漢字を考案したことだろう。
当時皇帝の名(諱)と同じ漢字を用いることは禁忌だったため、元々あった単語、人名まで変えなければならない事態を避けられるので理に適うといえばそうなのだが。
(例えば後漢の人材推挙制度である「茂才」は元々「秀才」だったが、光武帝の名が「劉秀」のため変えられた経緯がある。
また、この時代だと呉懿が司馬懿と被るので呉壱、蔡琰の字の昭姫が司馬昭と被るので文姫と、後に書かれた史書で名前を変えられている。)
ちなみに先述の孫ワンは雨の下に單と書くのだが、彼らの名前に使われた字が後世に活かされることはなかった。