正史と演義で、大きく人生が異なる事で知られる武将。
演義では夷陵の戦いであっさり討ち取られているが、実際は夷陵の戦い後も長きに渡り対魏戦線を支え続け、呉はもちろん敵国の魏にさえその勇名を轟かせた良将。
正史と演義で扱いが変わる武将は少なくないが、27年も没年が異なっているのは彼ぐらいのものである。
テキストに書かれている通り、朱治は養父の関係であるが、朱桓は同姓の別族。
近年某無双ゲームをはじめ、様々なメディアで
夷陵の戦いで陸遜の大火計の実行犯は彼であることが非常に多い。
確かに夷陵の戦いで彼は先鋒を務め、劉備の退路を断つ戦功を挙げたが
火計の実行犯として暗躍したかは、正確には分かっていない。
しかし三国志大戦以外でも、朱然=火のイメージが強いようだ。
後漢の頃には他人の家を訪問する際に名刺が使われていたことが史書にも記されているのだが、彼の墓から現物が発掘されており「世界最古の名刺」として知られている。