数年後に「山に男児の遺体を埋めた」と書かれた手紙が届き、
それに書かれた場所を捜索するも見つからず。
(※一部略称・伏字あり。年齢は6歳ではなく5歳が正しい。)
三日午後八時、菊池郡菊陽町、会社員猪原さん(42)は、長男の修ちゃん(6)が
行方不明になったと大津署に届け出た。
猪原さんの話によれば、修ちゃんは同日午後三時ごろ、猪原さんが妻のA子さん(42)
の出産のため大津町N医院に一緒に行きA子さんの診察中行方不明になったもの。
届け出とともに大津署員、高遊原消防署、大津町消防団員ら約40人が出動して午後十一時
ごろまで町内一帯を捜したが見つからず、四日午前七時から同病院近くの用水路や町内を
捜しているがまだ見つかっていない。迷子になっているとの見方もある。
修ちゃんの服装は、白い半ズボン、白の半そでシャツで、素足と思われる。
二年前、熊本県菊池郡菊陽町で、長男が行方不明になった両親のもとに16日、
「お宅の坊やは、私が車でひき殺し、死体は山中に埋めた」という”犯人”からの告白の
手紙が舞い込んだ。差出人名や、正確な死体の遺棄場所はわからないが、指紋を消すため
の細工をした形跡もあり、同県警と大津署は道交法違反、死体遺棄事件ともみて
十七日から捜査を始めた。
(中略)
16日午前10時ごろ、猪原さん宅に差出人不明の一通の封書が届いた。内容は
「私は19歳だが、二年前、大津町内の旧国道57号線で、雨のために車がスリップし、
お宅の坊やをはねて殺した。当時は免許を習得したばかりで、車も買って三日目。
親に叱られるのが怖くなり、死体は近くの山中に埋めた。」
とあり、修ちゃんを事故で死なせたことを告白したものだった。
あて先、あて名、通信文とも、ボールペンでのカタカナ書き。通信文は、大学ノートの
一ページ切り抜き、その片面に書き込まれていた。
消印は同県阿蘇郡阿蘇町内の赤水郵便局で、封筒やノートの紙は、指紋を消すためか、
ともに油につけたような形跡があり、白い二重封筒はロウびき紙のように黄変(注:黄色く変色)
し、ツヤを持っていた。
大津署は、手紙の内容も修ちゃんが行方不明になった前後の模様と一致するため
”犯人”が自責の念にかられて投函したとみて、県警捜査一課とも協力。
文面からの免許証交付時期などを手がかりに捜査に乗り出した。
(※前半の概要などは省略。)
「僕は二年前の雨のひどい日、大津町の東の方でお宅の坊やを車ではね飛ばした。
こわくなって三キロ離れた所に埋めた。
当時は十九歳で、車の運転も未熟だった。一度手紙を出そうと思ったができなかった。
ご両親に対して、ただただ頭を下げるのみ」
手紙は大学ノートに黒ボールペンで筆跡を変えたカタカナ(一部漢字)で書かれており、
投函前に油にひたした形跡があった。
差出人は不明で、封筒の差出人名個所には”TYCK”とだけかかれてあった。
手紙は、十四日阿蘇赤木局の消印があり、十六日朝猪原さん宅に届いた。
警察庁は(先月)31日、殺人などの犯罪の被害者となっている疑いのある所内不明者が
全国で98人もいるため、六月を不明者の捜査強化月間に指定。発見に全力を挙げるよう
全国の警察本部に指示した。
(中略)
熊本県の2件は、46年(1971年)7月5日、荒尾市の理容店主M子さん(当時37)が
血まみれのシーツを残し、扇風機も回ったまま店から蒸発した事件と、
48年(1973年)7月3日、菊池郡菊陽町の店員、猪原さんの長男修ちゃん(当時5)が
父親と一緒にお産で入院している母親を見舞いに行って病院から突然姿を消した事件。
修ちゃんの場合は二年後に「自分が車ではね杉山に埋めた」という手紙が両親あてに
二回来たため、手紙に基づいて捜索したが発見できなかった。
1971〜1980