ヴィクトリア朝のロンドンを恐怖に陥れた連続殺人犯、切り裂きジャック。彼は快楽殺人犯の先駆的存在として位置づけられる。1888年の数ヶ月に連続的な猟奇殺人をしながらも、逮捕には至らなかった。そのことから、切り裂きジャックの正体をめぐって、さまざまな研究者や作家たちが自論を展開したり、小説の題材として使われたりしてきた。コリン・ウィルソンは『暗黒のまつり?』で題材として以来、切り裂きジャックをめぐる諸説に深い関心をよせて、論じてきた。
この項目では、CWとロビン・オデールの共著『切り裂きジャック』の内容紹介、および、切り裂きジャックの殺人事件、の両方を扱うことにする。
コリン・ウィルソンがロビン・オデール?との共同執筆で、過去の切り裂きジャックに関する諸説を網羅的に考察した著作。訳者は仁賀克雄?。単行本と文庫本で邦訳は出版された。(目次では、執筆を分担している章についてはコリン・ウィルソン(CW)あるいはロビン・オデール(RO)と示した。この他の章は両者の共同執筆。)
目次
序 章 切り裂きジャックの心理学的肖像(CW)
第1章 事件のあらまし(RO)
第2章 事件のその後と分析(RO)
第3章 医師ジャック説
第4章 女ジャック説
第5章 紳士ジャック説
第6章 貴族ジャック説(CW)
第7章 黒魔術師ジャック説
第8章 その他のジャック説
第9章 真犯人はだれか?(CW)
補遺1 ジャックの後継者たち(CW)
補遺2 メルヴィル・マクノートン卿のメモ
補遺3 切り裂きジャック書誌の100年
切り裂きジャック(Jack the Ripper)は、1888年8月31日から11月9日までの2ヶ月間にロンドンのイーストエンド近辺で売春婦5人を殺害した(この他にも余罪がある可能性もある)。9月25日付で27日の消印の「切り裂きジャック」という署名の入った最初の手紙が新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシー(Central News Agency)に送られたことから、犯人は切り裂きジャックと呼ばれることになった。彼の残虐性は、数人の被害者の腸や子宮を取り出したり、最後の事件では、原形をとどめないほどに入念な遺体損壊をしたことが如実に示している。目撃者の証言によると、切り裂きジャックは30代中盤。まばらな口ひげはカールして、髪は黒。中折れの黒っぽいフェルト帽を被っていた。誰が犯人なのか、さまざまな諸説が論じられてきたが、最終的な結論は得られないままになっている。
切り裂きジャックはCWが殺人研究の中で注目するようになった無目的殺人の先駆者である。1972年に、CWは切り裂きジャック研究のことをリパロロジーと命名した。
1888年に切り裂きジャックが喉を切って殺害した5人の売春婦。8月末から11月初めまでの3ヶ月という短い期間に犯行に及んだ。切り裂きジャックは売春婦を単に殺すだけではなく、殺害後に腹部を切り裂いて内臓を引き出している。9月30日には、二重殺人を起こすことになる。最初に、エリザベス・ストライドを殺害したが、人がやってきたことから腹部を切り開くことができなかったため、その一時間後にキャサリン・エドウズを殺害して腹部を切り裂いている。もっとも凄惨な遺体は唯一室内で殺害されたメアリー・ケリーのもの。
(殺害時刻はおよその時刻)
五人の殺害事件の中で、一番最後のメアリー・ケリー殺しでは、切り裂きジャックは多くの手掛かりを残すことになった。メアリーの知り合いが切り裂きジャックと思われる人物を目撃して、30台半ばで黒のフェルト帽を被っていたなどの特徴を証言した。また、メアリーは自室で襲われたときに「人殺し」と叫び声をあげ、その声を周辺の三人の住人が耳にしていた。だが、残念ながら、彼女はそれ以上の声を上げることができなかったため、誰も切り裂きジャックのその後の残虐な行為をとめられなかった。 この事件の後、ロンドンではしばしば男性が切り裂きジャックと疑われて、人々に襲われるということがたびたび起こった。だが、切り裂きジャックの凶行は終わりを告げ、ロンドンは再びもとの静けさを取り戻した。
Casebook - Jack the Ripper(英語)−容疑者や研究者などの写真を掲載。