実存主義 シモーヌ・ヴェイユ(1909〜1943)は、フランスの女性思想家。キリスト教とマルクス主義を実存的に結びつけ、「赤い処女」と称せられる。
1909年、パリのストラスブールにて、ユダヤ系の医師のもとに生まれる。兄は数学者のアンドレ・ヴェイユ。
1931年、高等中学校教授資格試験に合格、オート・ロワール県ル・ピュイ市の女子高等中学校の哲学教師として赴任。サン・テチエンヌの炭鉱夫、ル・ビュイの失業者を支援、左翼系の雑誌に時事論文を投稿、ナチス台頭への懸念とスターリンの官僚主義を批判する論考を発表。その政治活動によって、教員委員会が干渉、イヨンヌ県オセール高等中学校、ロワール県ロアンヌ高等中学校へと次々と配置換えさせられる。
1934年、1年間の休暇を取り、アルストム電機会社、バス・アンドル鉄工所等で工場労働を体験。 1936年、スペイン内戦が勃発、人民戦線側に加わるべくバルセロナに向かい、アナーキスト系組合C・N・T配下のドゥルティ部隊に配属され、アラゴン戦線に出陣する。炊事中に負傷し、シトヘスの病院に入る。『スペイン日記』『ベルナノスへの手紙』執筆。
1937年夏、イタリア旅行。聖フランチェスコの街アシジの礼拝堂に行く。
1938年、ソレム修道院に滞在、キリストの受難の思想を学ぶ。「キリストが降下して、とらえられた」という神秘体験を得る。
1939年、パリに戻り、『ヒットラー主義の起源』を発表。ホメーロスや『バカヴァッド・ギーター』を読む。
1940年、パリ陥落、南フランスに避難。ヴィシーにて戯曲『救われたヴェネチア』を執筆。マルセイユに移り、『イリアス』、南仏文明の本質、カタリ派について研究を始める。
1941年、キリスト教青年労働者連盟(JOC)の会合に出席。この年、ジャン・マリ・ペラン神父、詩人ルネ・ドーマル、哲学者ギュスターヴ・ティボンと知り合う。10月、マルセイユに移住。
1942年、復活祭にカルカソンヌのアン・カルカ修道院に行く。6月、両親の強い勧めでアメリカ、ニューヨークに亡命。ペラン神父に霊的自叙伝を、ティボンに数冊のノートを託す。11月、自由フランス政府(英国)で働くべく、ロンドンの下宿に住み着く。
1943年、自由フランス政府で働く傍ら、後に『ロンドン論集』『超自然的認識』に収録される論文を執筆。レジスタンスに加わるべく占領下のフランスへの潜入を希望するが許されず、苦しむ。『根をもつこと』を執筆。戦時下のフランスの同胞を思い、食事を取らず、肺結核を発症。8月サナトリウムに入院するが、食事を拒否。8月24日、飢餓状態で死去。

◆主な著作
『自由と社会的抑圧』、『工場日記』、『重力と恩寵』
(文責:T.Harada)