人物紹介 / 賈ク


賈詡

生涯で、董卓→李傕→段煨(元董卓配下。同郷の誼で一時的に賈詡の主となる)→張繍→曹操→曹丕と
6人もの主君に仕えた流浪の知将。
ただ、主君を裏切った事は無く、仕えた相手が勝手に自滅したり、より大きな勢力に編入されたり、
その才を危険視されて免官されたりした結果、主君が変わっていったという経歴。
相手を選ばず、それでいて的確なアドバイスを重ねた人生から、三国志ファンからは「先生」という愛称で呼ばれることも。
董卓配下時代にすでに40代とこの時代にしてはかなりの晩成であり、以後表舞台で披露する老練な知略の数々も納得か。

若い頃、異民族に捕らわれたことがあったが、当時異民族討伐で有名だった段熲の名を出し
「私は段公の身内です。私を殺した後に手厚く葬ってくれれば実家がお礼をしてくれますよ」
とハッタリをかまして難を逃れたことがあり、撤退時の「せめて手厚く葬れよ」は、この逸話が由来と思われる。

また軍師・参謀としての軍略兵法だけでなく一個人としての処世術にも長けていたようで、
曹操に仕えてからは自身が降将であることを弁え、他者との個人的な付き合いを控えるだけでなく、
子女の結婚相手も名門層からは選ばない、と徹底してあらぬ疑惑を掛けられないよう努めていたという。
後漢末という乱世に主君を変えつつ天寿を全うするというのは一つの生き方ではあるが、賛否両論なのは確かなようで、
正史を書いた陳寿からは賈詡 (と荀攸の二人)を「前漢の謀臣である張良や陳平に次ぐ」と評するなど、
魏の謀臣では最大級の評価を受ける一方で、注釈を書いた裴松之からはなぜか嫌われており、
李傕の件について「董卓が死んでやっと平穏が訪れたのにコイツのせいで台無しになった」と批判されたり、
「荀彧や荀攸と同じ伝に記されているのはおかしい。郭嘉や程昱と同列だろう」と評価されたりしている。

演義では圧巻の知略で曹操や馬超を手玉に取る「不敗の軍師」としての活躍の他、後継者選びに悩む曹操に最後の一押しを決めるという場面も描かれる。
跡継ぎを曹丕か曹植か決めきれず、このままでは派閥抗争にも発展しかねないと憂慮した曹操は賈詡に相談を持ち掛けるのだが、
いつもは打てば響くが如き完璧な返答をする賈詡が、この時ばかりは明言せずひたすらに頭を捻り続ける。
さすがに心配になった曹操が尋ねると、「袁紹・劉表のことを考えておりました」とボソリと呟く。
これで長子を後継から外すことの愚に気づかされた曹操は曹丕を正統後継者とする、という顛末である。
逸話自体の信憑性は定かではないが、曹操が没し曹丕が魏王となると賈詡は兄殺しの降将であるにも関わらず
太尉という超高位に抜擢されており、実際に曹丕派の重鎮であった・功を認められていた・感謝されていた可能性は高い。
(なお、賈詡を太尉に抜擢したことに対し、孫権はあまりに不適格・不適任な人事であるとして批判・嘲笑していたという)。

三国志の登場人物の中ではかなり年長の人物なのだが、何故か大戦シリーズでは見た目が若く描かれる事が多い。

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