人物紹介 / 于禁


于禁

曹操に仕えた武将。
フレーバーテキストに書かれている通り歴戦の将として名高いが、樊城の戦いで関羽に降伏し
評価を落としてしまったことで知られている。
新参の龐徳が降伏を拒んで処刑されたことと対照的になってしまい、なおさら曹操を悲嘆させてしまった。

荊州が呉に押さえられたことで彼の身柄も呉に移ると、孫権からは厚遇されるも虞翻からは徹底的に罵倒され、
ついには「処刑してしまいましょう」とすら言われたという。
(しかしなぜか、于禁自身は魏に戻った後虞翻のことを高く評価している)

曹丕の代になって魏に戻ると将軍に復職するが、曹操の墓参りに行くと墓には自身が関羽に降伏する姿が描かれていた。
これを見たショックで病死したとも自害したとも言われている。
さらに「匕堯廚箸いΠい意味の諡(劼砲蓮⇔蕕鮗困Α⊆戮鮟け正道を損なう、などの意が込められている)を付けられており、曹丕の仕打ちは死後まで続いている。

ただ、残されている各種の伝では、于禁の場合は降伏こそしたものの、于禁一人が関羽軍に降ったというわけではなく、
水難の中で孤立した3万の将兵とともに関羽軍の捕虜となった、とあり、身柄を預けられた蜀、その後の呉に奉仕した記録は無い(魏に帰還するまで一貫して捕虜扱いに留められている)
どちらかというと、軍を後退させる場を失って捕らえられたという形が正しく、実際に、先述した曹操が嘆いた際には、
司馬懿ら群臣の何人かは「于禁殿は洪水という災いに遭いやむを得ず降ったのです。戦いの困難を前に道を誤ったわけではありません」と曹操に説諭している。
このようないきさつから、曹操の幕僚には他勢力から曹操陣営に帰順した将も数多くいる中、
積極的に忠節を曲げたわけではなく、名誉挽回の機会を与えられなかった不運の将とする声も根強い。

後世の複数の歴史家からは、そういった機会を与えずに辱めた曹丕を批判する研究もなされており、
たとえば北宋の時代に司馬光は『資治通鑑』にて
「曹丕は于禁を罷免することも殺すことも出来た。にも関わらず墓に降伏する姿を描いて辱めたのは君主のすることではない」
と非難している。
曹丕は人物の処遇に私情を挟む傾向が強く、あるいは于禁も曹丕から大いに嫌われていたのかもしれないが、
曹丕と于禁が険悪な仲になっていたという記録は特に見当たらず、真意・真相は歴史の闇の中である。

今作でのキャラ付け同様に軍法を何よりも重んじるお堅い武将だったようで、
彼の同僚や部下は彼の厳格さを恐れ敬うものもいれば、嫌うものもいたという。
曹操への反逆に失敗した昌豨(本作では昌覇の名で登場している)という将が、旧友である于禁を通じて再び帰参しようとした際に、
于禁は「包囲されてから降った武将は許すな」という軍法に則って、泣いて彼を斬ったという。
落城時の「法によりて処す。旧友とて、例外ではない」というセリフは、これを踏まえてのものであろう。
後に彼自身が包囲されてから降伏してしまったのは皮肉というべきか…

演義では降伏の場面をさらに誇張されており、関羽に対して自分から命乞いをするという惨めな人物として描かれる
(英語で「臆病者」を意味する「チキン」と名前の「于禁」を掛け合わせて「チ禁」と呼ばれる事もある)。

そのような末路を迎える伏線なのか、荊州を差し出して降伏した劉琮と蔡夫人を曹操の命令で暗殺する、
謀殺された蔡瑁・張允の後任として毛玠と共に水軍都督に任命されるも、周瑜からは蔡瑁より遥かに
相手しやすい凡将と見られてしまうなど、
主に赤壁前後において陰険かつあまり冴えないヒールとして登場している。

史実では左将軍にまで昇進し曹操存命時に唯一仮節鉞(独断専行・軍法執行権)を与えられており、曹操からの信頼の厚い名将であることは間違いない。

三国志の武将たちが全員女性として書かれる作品があることに先駆けて…というわけではないと思うのだが、
かつて日テレ系で三国志がアニメ化された時には女性武将として登場している。

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