人物紹介 / 馬謖


馬謖

『泣斬馬謖(泣いて馬謖を斬る)』という故事で有名な武将。
三国志ファンからは、後述の失敗から揶揄の意味を込めて『登山家』と呼ばれる事も。

「馬氏の五常」と呼ばれた荊州の名門・馬氏の末弟で、すぐ上の兄が「白眉」と称えられた馬良である。
軍略に明るいことから諸葛亮からは高く評価されていたものの劉備からの評価は低く、劉備が死去する際には「馬謖は口先の男だから、重要任務を任せないように」と遺言されている。
その後南蛮平定では的確な軍略を示し、諸葛亮ほか周囲からも信用を得ていくが、劉備の予言のとおり彼の軽率な行動は蜀軍を痛恨事に巻き込むことになる。

第一次北伐時、諸葛亮の巧みな情報戦と陽動行動により魏の北西領土を征圧しながら蜀軍は長安に迫るが、蜀軍の拠点・漢中と北西の武威方面を結ぶ進軍の要衝・街亭を任された馬謖は強引に高台に布陣した挙句、麓を占拠されたのちに包囲戦からの大敗北を喫してしまう。
結果、長安へ西回りから本軍を進めるという戦略の要を失った蜀軍はそれまでの有利な攻勢から一転、全軍撤退の憂き目にあってしまうのであった。
その後、諸葛亮は敗戦の責任を明らかにするために目をかけていた愛弟子を処刑し私情を封じた事から『泣斬馬謖(泣いて馬謖を斬る)』の故事が生まれたといわれる。

以上のように、机上の兵法にばかり執着し重要な戦いを敗戦に導いた人物として、戦国時代における趙の将軍・趙括との類似性もよく語られている。

史書によっては、経験の浅い馬謖の戦術やそれを知っていてなお要地を任せた諸葛亮の起用法を批判するものがある一方、人材が豊かとはいえない蜀の陣営で一度の敗戦からの再起の機会を与えず若い将を処刑した事が結果として蜀軍のいっそうの弱体化を招いたとして、諸葛亮の判断に反論するものもある。
ただし敗戦の責任を明らかにするためとはいえ一度の敗戦で処刑される、という事は本来あり得ない事であり、敗戦そのものが処刑理由ではないという説もある。
馬謖本人の伝によれば敗戦後に馬謖が投獄されたという記述があり、向朗伝ではさらに脱獄を企てたとされている。
つまり、敗戦の罪で処刑されたのではなく、脱獄の罪で処刑することになったということである。


演義では南蛮征圧の後に曹叡が若いながらも魏の皇帝に立った時、その際に諸葛亮に献策して司馬懿に謀反の意志があるという噂を流させ司馬懿を一時左遷させるという謀略家の一面を見せるシーンが追加されている。
その後の彼の扱いは、大筋は正史と同様である。

三国志関係の創作でも晩節の汚しぶり故かろくな扱いを受けていないのが実情である。
ゲーム『三國志孔明伝』では三章「北伐・前編」で街亭の戦いの際、馬謖が無事に脱出するor退却すると漢中退却戦を経て敗戦の原因となった馬謖を処断するか許すかを選択できる。
処断すると自軍のほぼ全員のレベルが5上昇するが、許すと馬謖が生き残るのみなので「処刑した方が得」などとコーエー刊行のハンドブックに書かれる始末。
さらに追い討ちをかけるように「泣くのは孔明の役目、プレイヤーはレベルアップの機会を喜べ」などと身も蓋もない事を書かれる羽目に。
生き残らせても出撃前に話しかける役目は姜維に取られ、最終章まで進んだ場合、「函谷関の戦い」にて作戦次第で因縁の相手である張郃と一騎打ちをする事もできるがその場合だと負けて戦死するという具合で、割と酷い扱いではある。
コンシューマ移植版では馬謖を許した場合、司馬懿の策により劉禅からの勅命で帰還せねばならなくなったとき、馬謖がなんと謀反をそそのかしてくる。
それに乗ると諸葛亮は蜀に攻め込み劉禅を退位させ皇帝になるのだが、馬謖の口車に乗せられた後の展開は推して知るべしなので素直に処断した方が賢明である。
なお、コンシューマ移植版では街亭の戦いで敵を全滅させて勝利すると馬謖も生き残る代わりに謀反フラグも立たないので、少しはましな扱いになっている事も追記する。

Menu

最新の20件

2024-04-15 2024-04-05 2024-04-03 2024-04-02 2024-03-25 2024-03-15 2024-03-14 2024-02-22 2024-02-15 2024-02-14 2024-02-13 2024-01-26 2024-01-25 2024-01-19 2024-01-09 2023-12-06 2023-11-26

今日の20件

  • counter: 9713
  • today: 2
  • yesterday: 1
  • online: 17