1969 / 02 / 23 庄山仁(当時14歳、男)長崎・佐世保


庄山仁

当時長崎市立花園中学校(2011年3月閉校、現・祇園中学校)二年生。
家族は海上保安官の父(当時52)、母(当時45)、姉、兄二人。仁君は末っ子の三男。
(※「長崎新聞」1969年3月7日による。ほかに親類の女性(兄嫁?)も同居していた模様。
但し後述する朝日新聞の記事では「四人姉弟の次男」とされている。)

1969年(昭和44年)2月23日午後2時過ぎ「玉屋デパートに工作の材料を買いに行く」と言って制服、制帽姿で自宅を出る。
しかし夜になっても帰宅せず、午後6時半頃、仁君の制帽を手にした見知らぬ男Y(当時24)が突然自宅に現れ、
家族に「光月町にある長崎地裁佐世保支部近くの路上で、制帽の持ち主に現金を奪われた」という話をする。

(※詳しいやりとりは後述の「帽子を持った訪問者」、男Yの素性については「仁君は被害者か」を参照。)

家族や学校の教師たちと一緒に行方を捜すも見つからず、午後十時ごろ佐世保署に捜索願を届けた。
同署では捜査員50人を動員し、山狩りや旅館などの捜索を行ったが、全く手掛かりはなかった。

本人からの手紙が自宅へ

翌日昼頃、父親宛に何者かに無理やり書かされたと思われる仁君の自筆の手紙が届く。
手紙には23日午後6時から12時までの佐世保郵便局の消印があり、同6時までに投函されたことが判っている。
内容は強盗事件を詫びる文章で、これを最後に連絡が途絶える。

前略
心配かけてすみません。
悪い友達にさそわれて、人のお金をとりました。
中には四十万以上も入っていましたが、僕は少ししかもらっていません。
学校の方は、僕の気持ちがおさまるまで、病欠にしていてください。
すぐに帰っておわびいたします。
どうかさがさないで下さい。仁

hitoshi.jpg

父親の話によると、これまで外泊や補導を受けるようなことはなく、現場は普段の通り道ではなかったという。
そればかりか手紙の書き方におどおどした感じを受けたと語っていた。
学校の教師は、仁君はおとなしい生徒で、成績もよく学級委員までしており、無断で休んだことはないと語った。
母親は「現場にいたら犯人を追いかけて加勢するはずで、絶対に悪いことはしないと信じている」といい、
手紙の文字がおびえたような感じで、漢字で書くところをひらがなになっているなど、誰かに脅されているような気がする、と語った。

仁君の特徴・事件当日の行動について

仁君は学生服上下に白のビニール靴、身長は163センチ(長崎新聞による。後述の朝日新聞では168センチ)でやせ型。
顔はタマゴ型で下膨れしており、ニキビが多かったという。

当時、仁君の行動にいくつか不審点があるのが判明している。
「工作の材料を買いに行く」と言って家を出ているが、材料は学校から全て与えられており、買う必要がなかった。
家族には玉屋デパート(佐世保玉屋)に行くと告げて外出したが、自宅からデパートまで遠回りになる現場(光月町)を通るはずがない。
失踪翌日に届いた手紙がわずか外出から二時間半ほどの間に書かれており、妙に文章が整っている上「前略」などと中学生とはかけ離れた言葉が使われている。
また、便せんの文字が何かに怯えたように枠を外れて歪んでいた(画像参照)。
後にわかったことだが、失踪前日の22日、動機は不明だが同級生たちに「家出したい」と漏らしていたという。

目撃情報として、仁君の同級生が、失踪当日午後二時半ごろに名切のバス停(名切谷通または花園町入口?)に立っていたのを見たと証言しており、
さらには松浦バス停(松浦町と付く名のバス停は国道204号線沿いに複数あり)に人を待つそぶりで立っていた目撃者も現れた。
だがこれらの他に目撃証言はなく、その後の足取りは全くつかめず未解決となった。

帽子持った訪問者

※以下は朝日新聞1973(昭和48)年11月16日夕刊の「人間蒸発」の記事より抜粋。
それは、昭和44年2月23日、日曜日。佐世保市内で起こった。
その日、午後2時すぎ、仁君は「ちょっと町へ行く」と、自宅から出た。
縁側にやりかけの工作の道具を広げたまま。制服、制帽姿だった。
庄山家とは見ず知らずのクリーニング店員Aさん(当時24)が、仁君の
制帽をつかんで現れたのは、同夜6時半ごろ。仁君の母親に驚くべきことを言った。

「午後3時半ごろ、場所は市内の道路。側溝に車輪を落としたバイクを、
2人の少年がひきあげようとしてい。
手伝おうと、ジャンパーを脱ぎ、道路わきに置いた。
少年の1人が、いきなりジャンパーを奪って逃げ、中学生も続いた。
ジャンパーの内ポケットには、46万が入っている。
遅れた中学生を追いかけ、ズボンのポケットにはさみこんだ制帽を取ったが、
2人とも取り逃がした。
制帽の名前をたよりにここへ訪ねてきた。」

仁君は被害者か

男が持ってきた制帽は、仁君のものだった。
翌日の手紙も、何かが起こったことを裏付けた。
にもかかわらず、このひったくり事件は存在しなかった、と信じる捜査員はいまも少なくない。
理由は

  • 疑問1
    Aさんの金の出所が不明。
    自宅の床下に埋めておいたというが、家族も知らない。
    わずか4ヶ月前、2年間の少年刑務所を仮出所してクリーニング店員で働く彼に、この金額は不似合い。
  • 疑問2
    白昼、街中の事件なのに目撃者がいない。
    日曜に銀行に行くのも不自然。
    少年たちが、なぜ大金に気づいたのか。
    現場検証の結果、バイクが側溝に落ち込んだ跡もなかった。
  • 疑問3
    手紙の「前略」、仁君は使わない。
    自分の名前を書き間違えたのもおかしい。強制的に書かされた疑いも。
    警察は誘拐殺人とにらんだ。事件の翌日にはおおがかりな山狩り。
    次の日に、仁君の公開捜査。Aさんを厳重に調べ、ウソ発見器にもかけたが、「クロ」の決め手はなかった。
    Aさんがなんらかの理由で仕組んだとして、事件後数時間の間に、どこかで誘拐し、
    手紙を書かせ、庄山家に現れるのは、1人ではかなり困難に思われた。
    警察はこれまでに何回か洗い直しに着手したが、関係者の記憶は薄れていった。

「いつかは話すが」

事件のカギを握るAさんを、奈良県に訪ねた。
事件後間もなく、佐世保を去り、各地を転々として、奈良県内に身を寄せていた。
いまはダンプの運転手、2児の父である。
夜。「明日は早い」といったん取材をことわったが、起きてきた。
小柄、がっしりとした体つき。
慎重に考えながら、強い関西弁で早口に話す。が、かんじんな点は言わない。

「金の出所か。とくに言えん金、というわけじゃない。言うと不利になる、
ということは、ちょっとはあるがな。いつかは言わんならん、思うけどな。」

ではいま、言ってくれないか。

「わしは情にもろいからな。そういわれると、言いたくなるんや。けど、警察のメンツがたたんものな」

ジャンパーの大金に少年たちが気づいたのも、不自然だが…

「そやな。外から見えんしな。そう言われれば不思議やな。」

「逃げた」仁君の身長を聞いた。キッと詰まって、

「わしと同じか、ちょっと大きいくらい。」

仁君は年の割に大きい168センチあった。
小柄な彼とほとんど同じ、ということはない。
話のあいまいさは最後まで残った。
捜査はいま、振り出しに戻った。
Aさんが庄山家を訪れるさい、道を聞いた近くの商店で、その30分ほど前、
別の3人組が庄山家を訪ねた事もはっきりしてきた。
これは誰か。Aさんとの関係は・・・
庄山家は1年後、佐賀県藤津郡(現・嬉野市)に引っ越した。少年は、この新居を知らない。

仁君失踪から23年後の1992年(平成4年)、家族により失踪宣告の届け出がなされ、7月3日に確定している。
1961〜1970

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