ルーマン 社会システム理論
第I章 序論 †
ルーマンと社会学 †
ルーマンの関心 †
- 彼は、宇宙論や世界に関する理論を書き、世界についての社会学的な公式を展開して、社会学の精神を自己自身に立ち戻らせ、新しいものがもはや生まれえないようにしようとしているわけではない。むしろ、彼の関心は、ありとあらゆる社会的な結びつきを、すなわち社会学の対象領域全体を、社会システム理論の概念装置を用いて記述できるようにすることにある。
既存社会学(経験的な社会研究と理論社会学)に対するルーマンからの批判 †
- 経験的な社会研究は全体として豊かな成果を産み出しており、われわれの知識を増大させてはいるけれど、統一的な理論の形成には何ひとつ寄与していない。
- 経験的な社会研究は、その対象への眼を方法論的に鍛えるだけで理論的に鍛えることを怠れば、「自己産出的なデータ」の世界から脱け出すことができなくなる。
- 理論社会学に対しては、彼は、テキストにしがみついているばかりで、テキストについてのテキストを産み出しているだけだと言って非難している。
- 上記のことはすべて「興味をひかないことではないし、不毛でもない」(SoSy:8)。けれども、それは社会学的な営みを継続していくのには役立つだろうが、ルーマンの求めるもの、すなわち社会学理論の発展にとっては大して役に立たないだろう。
ルーマンの社会学的思考の推進力・動機 †
- ルーマンの社会学的思考の推進力は、伝統と結びついて結局は伝統に権利を取得させざるをえないようなものではない。
- 彼の動機は、宥和のユートピアや無傷の間主観性、あるいは少なくとも倫理的要請の保全手続といったものではない。
- 近代社会をよりよく視野に収められるところまでその解明能力と再結合能力を前進させるような、理論への関心
- 理論を統一からではなく差異から始めるほうがみのりがあるし、また、(宥和という意味での)統一で終わらせるのではなく、言うなれば、よりよい差異で終わらせるほうがみのりがあると思っています。だから、例えばシステムと環境との関係は、私にとって重要なことですし、機能主義もそうです。なぜかというと、機能主義は、異なるものを相互に比較することができるということを意味しているからです。
社会学の一般理論の構築に向けて †
パーソンズとの出会い †
- ハーバード大学でタルコット・パーソンズのシステム理論と取り組み、「どのようにしてパーソンズの理論のような巨大な理論が構築されるのか、そして、もしそれが破綻に陥るとすればどこでなのか」を、個人的な接触を通じて知ろうとした(AuW:l33)。
批判理論とルーマン(ハーバーマスとの論争) †
- フランクフルトの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスとの論争で、ルーマンが保守的思想家だという評判が定着。このことに対するルーマンの反応。
政治的スペクトルの右側に、そもそも他のさまざまな理論を読もうという姿勢をとっているような理論があるという感じがしない。そこにあるのはむしろ理論喪失の状態。
自分を鼓舞すると感じられるような理論を持っている左翼のほうが、感覚的なものや特定の文学的な色合いの強い指導理念をうまく利用することばかり考えている右翼よりも真剣に理論を読み取っているのは、もともとまったく当然なこと
- 批判理論家に対するルーマンの態度
右にも左にも与しない。そこに規範性の過多と理論の過少を見いだすから。
どうすれば社会がよくなりうるか、あるいは、よりよくなりうるかということについての考えを、私はまったくもっていません。私は、私たちの社会が、先行するそれぞれの社会に比べて、より肯定的な特性とより否定的な特性をもっていることを知っています。だから、今日では、善くも悪くもなっているのです。このことを、普通に行なわれているよりももっと適切に記述することはできますが、判断全体につけ加えることはできません。
(続く)
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