太平道という宗教の教祖にして、黄巾の乱という農民反乱の首謀者となり向こう1世紀続く騒乱の時代の嚆矢となった人物。
乱そのものは皇甫嵩や朱儁、そして曹操、劉備、孫堅と言った官軍の活躍や、
自身が反乱を起こして1年を待たずに病死したことから大掛かりな反乱軍は鳴りを潜めるようになった。
しかし各地で散発的な反乱は続くようになり、特に青州では100万を超える大規模な集団となっていた。
これを降伏させ「青州兵」として自軍に取り込んだのが曹操であり、その強さから「魏武の強、これより始まる」と評されている。
だがこの青州兵、元が首領を失い無頼と化した武装集団だけあって、性質は山賊と変わらぬ荒くれ軍団。
黄巾の時代から生き延びてきた強さは本物だが、素行の悪さも折り紙つきだったらしく、軍法にうるさい于禁が見かねて処罰してしまうこともあったという。
演義では南華老仙という仙人から「太平要術」なる仙術を授けられ、その術で信徒を集め太平道を興したことになっている。
しかしその最期は史実同様で、物語の発端となる人物でありながら、主要人物と直接戦うどころか表舞台に姿を現すことすらほとんど無く、
いつの間にか病死していたという形であっさり退場してしまう。
やはりこれではあまりに物足りないためか、各種創作では曹操や劉備らと顔を合わせる場面が設けられることも多い。
なお、太平道そのものは張魯の五斗米道とともに道教の源流となっている。
関聖帝君(関羽)を祀っているのも道教なのだが、黄巾賊を討伐した男が黄巾党の末裔に祀られるというのはいささか皮肉か。