曹操の娘。献帝に嫁いだ姉妹の中では中間子だと予想される。
献帝に嫁いだ翌年には貴人に昇格する。
伏皇后が父・伏完に曹操誅殺を要求していたことが発覚したことで廃されると、程なく皇后に立てられた。
正史ではフレーバーテキストに書かれる通り兄を非難し嘆いているのだが、演義では版本によっては逆に曹丕に付き献帝に禅譲を催促するという逆のエピソードを与えられてしまっている。
なお、演義の方も清代に正史(後漢書)寄りに修正されており、現在は概ね正史通りに扱われている。
旧版の三国志大戦においては、単独で「曹皇后」として出演したことがある他、同じく献帝に嫁いでいた姉の曹憲、妹の曹華と3人で一名義の「曹三姉妹」として登場したこともある。
献帝の夫人となった三姉妹の出典は正史『後漢書』にあり、そこでは曹節が曹操の次女だと書かれる。
だが曹操の長女は清河長公主であり、彼女と曹憲より年少なはずの曹節が次女では矛盾が生じる。
そのため曹節は時に曹操の三女だと言われたり、他の史料物が献帝の皇后を曹憲とすることから実は皇后でなかったと指摘されたり、いろいろと不確か。
ちなみに順帝〜霊帝にかけて朝廷に仕えており、三国志演義では十常侍の一人とされる宦官に同名の人物がいるが、沛国譙の生まれではないため、本人や曽祖父・曹騰と直接の関係はないと思われる。