皇甫嵩の甥。名前は「こうほり」と読まれることも。
霊帝期から伯父に付き従っていたらしく、董卓が并州牧に任命された際に軍権のことで揉めると、董卓殺害を伯父に持ちかけている。
(ただし却下され、朝廷への上奏に留められている)
献帝の時代になると謁者僕射に就き、外交能力を評価されていたことから李傕、郭汜の争いに際し和睦の使者となる。
郭汜は大人しく勅令を受け入れるものの李傕には呂布撃退の功績を盾に不遜な態度で反発されてしまう。
この結果を報告すると、李傕派に属する胡邈と口論する事態になったため、その身を案じた献帝により逃されている。
実際に李傕は王昌に皇甫酈暗殺を命じていたが、王昌は彼の正しさを知る人であったため追いかけることはなかった。