農民の出ながら、大臣にまで上り詰めた人物。
崔林に才を見いだされ、魏に仕えると江夏太守に昇進。
この頃母からは「お前はもう十分出世したのだからこれ以上の地位は望むな」と言われるも従わず、後日雍州刺史となる。
雍州刺史として姜維の北伐でも戦った後、中央に召還され司隷校尉、尚書に任命される。
曹髦からは信頼されており、司馬昭に対するクーデターを画策する際に相談を受けるが、
「羊を虎に向けるようなものだ」と諌めている(ただし却下されるが)。
同様に計画を打ち明けられた王沈、王業が司馬昭へ密告する中で曹髦への忠義を貫くも、
曹髦が弑逆されたため反逆罪として家族ともども処刑されてしまう。
最期に母へ忠告を聞かなかったことを詫びるが、母からは
「かつて引き止めたのは相応しい死に場所を得られないと思ったからだ。
今、相応しい死に場所を得られたのだから思い残すことはない」
と称えられている。
晋の時代になると、司馬炎から「法により処刑されたとはいえ、忠義を貫いたのは立派だ」として王経の孫を取り立て、名誉を回復している。