このページはのちのちコンセプトについてまとめることがあったときのために作りました。議事録に書いたコンセプト関係の記事をコピーしています。
各コンセプトの詳細な内容・イメージはブリーフケース内の各レジュメを参照
「日本人が着る“洋”服」(合田) − 日本人として“洋”服を考えなおす
「絵羽 平面と立体」(奥山) − 衣服における立体と平面
「皮相上滑り」(奥山) − 異和感
後日ブリーフケースにup。 ※以降は、コンセプト提案者は前日の24時までにup
これまでのfabのショウ・展示会では、観念的なコンセプトをまず決定し、コンセプトありきの中で、個々のデザイナーがコンセプトを作品に具現化する・おとしこむというような形で進めてきたが、コンセプトの具現化がデザイナーにとっての最終目的となってしまい、さらに、抽象的、難解、不透明なコンセプトになりがちだったため、組織内での理解の共有が円滑にできない・ショウ全体としての明確な目的を提示できない・来場客にとっては「何をしたいかわからない」といった結果に終わっていたと言える。
そこで、今回は、一つのコンセプトを各々のデザイナーが具現化することを目的とするのではなく、素材・加工・作り方など、制作のプロセスに関わる具体的な方向性についての、新たな視点やアイデアをコンセプトとしたいと思う。ただしその具体的な方法は日仏という枠組みを意識したものでなくてはならないだろう。
従来、そうした方法は各デザイナーの個性を規制すると考えられがちであったが、むしろ何度かの経験を通して感じられることは、以前の観念的なコンセプト、発想の方向性を規定するようなコンセプトの方がデザイナーの発想を狭めるのではないか、ということである。
以降、コンセプト案を提出するメンバーはこの点をふまえて考えてきてください。
日「仏」のフランスをどうとらえるのか。
「ドレス」は「仏」を「西欧」に押し広げすぎか。
「西欧」として拡大解釈するのではなく、「仏」としてとらえるべきか
⇒ 「モード」としての「パリ」のイメージ ~
具体的コンセプトとして
・ “日本のフォーマル”→技術的に難しすぎる
・ “日本いろ”→ 色の見直し
「パリに住んで仕事をはじめて、日本の色の美しさを認識しました」=文化交流の価値
日本の色を集めてきてパレットにする
もともとは日本、フランス両国共に折り紙の文化はあった。日本の開国と共に両者は融合、しだいに複雑な日本の折り紙が主流となっていく
平面から立体を生み出す"折る"という手法を服の造形に活かしてみてもおもしろい
日本で黒田清輝が活躍しているときにフランスに渡って日本の技法を油彩画に取り入れつつ、絶賛を浴びた。現在においても、フランスにおいてもっとも有名な日本人画家。日本人からみた西洋人、日本人の感覚で描いた西洋、西洋に受け入れられた感覚をインスピレーション現にしてもおもしろいのではないか
※目的が決まっているコンセプトよりも、始まりが定まっているコンセプトの方が縛られない?目的を決めてしまうと、そこに近づけなければという思いが働いてしまうのでは?自分で正解が分からないのが嫌
昔の美をカットして、今の美意識にペーストする、のではなく今の美意識(要素)を昔の美にペーストしたらどうか
例)Tシャツ素材のコルセットや着物が出てきたらおもしろいんじゃないか
fabはいつから伝えることを目的にしたんだろう。期待に沿っちゃうのは面白くないよね
スタイルが変わっていくのは洋服の方、和服は変化しない。洋服が入ってきたときに和服の改変は起こらなかった。手をつけない存在になった。それゆえここで和服の改変を行おう
←じんべえや浴衣をミニスカートみたいに短くしたものは改変とは違うの?
服を隠す。あいまいにする。あいまい→日本的
秘密を持たせることで作品の表現の完成を被表現者の手にゆだねる。被表現者は表現者として加わり、作品が完成する。
←フランスの要素は?←洋服で日本を表現するというのは日仏交流では?ファッションショーがフランス要素になっている?
日本人はフランスに対してあやしい(妖しい・怪しい)イメージを持っている ~ 日本がフランスに対して持っている勘違いの"あやしい"を表現してみては? ~ →パリコレのジャポニズムが日本に対するイメージであったように
→→日本の中にあるフランスを見てみるのも、コンセプトを考える上で役に立つのでは?
コンセプトのページ2へ