人物紹介 / 姜維


姜維

諸葛亮亡き後の蜀にあって、蜀漢の国是であった漢王朝復興のため最後まで戦い続けた武将。

元は魏の武将であり諸葛亮の北伐に対抗する立場であったのだが、出身地である天水太守の馬遵に内通を疑われたことや、
冀県でも入城を拒否されたことで行き場を失うと蜀に降伏。諸葛亮の指揮下で北伐に参加する立場となる。
だがこの頃に天水に母を残したため、その後の姜維は蜀の中ではいつ魏と内通するかという疑いを持たれつづける要因となってしまう。

諸葛亮が死んですぐの頃は、軍権を握っていた費禕が
「亡き丞相(諸葛亮)でさえ北伐を成し遂げられなかったのだから、それよりも劣る我々には無理だ」
として兵1万を預けられるのみであったが、費禕が死んで軍権を握ると大々的な北伐を再開する。
ただし捗々しい戦果は出ず、結果からすると徒に国力を消費するのみであった。

自身が鍾会と対峙している間に鄧艾が成都に迫ったことで劉禅が降伏すると、自身もやむなく鍾会に降る。
しかし鍾会の野心を見抜くと反逆を唆し、鄧艾を反逆者として処断した上で反乱を起こすが、失敗して処刑されている。
この時に魏の兵士が姜維の身体を切り裂いた所、その肝が一升瓶ほどもある巨大なものだったと記されている。


三国志に多い、演義で大きく脚色された人物の一人。

演義では諸葛亮の後継者という設定が追加され、諸葛亮没後の蜀の中心人物となっている。
出会いも諸葛亮が姜維の才能に惚れこみスカウトしたことになっており、天水侵攻が街亭の戦いの前になっていたりするのだが
実際は登山家が街亭で大敗して敗走する際に行き場を失って思わぬ拾い物となったのが彼である。
その後も馬謖亡き後の諸葛亮の後継者として扱われ、物語終盤に蜀が衰退するなか孤軍奮闘する様子が描かれる。
三国志演義は敗者である蜀を中心に描かれ判官贔屓な一面が強いが、彼はそれを象徴するような立場となる。
そのためか、終盤に登場する武将ながらも、三国志の登場人物で一番好きな人物に彼を挙げる三国志ファンも多い。
しかし近年は蜀の国力を著しく衰退させ滅亡を早めた戦犯として槍玉に挙げられることも多く、人によって大きく評価の分かれる人物。


一方、正史では特に諸葛亮と師弟関係がある様子は存在しない(正史における後継者は蒋琬及び費禕である)
軍部指導者としての後任には当たるが、諸葛亮の後任は上述の通り費禕であり、姜維が任命されたのは10年以上も先の事である。

また演義の影響か諸葛亮と比較されやすく、その際に内政を省みなかった点がよく指摘されるが、
丞相という軍務・政務の両方を統括する立場だった諸葛亮と違い、姜維は大将軍という軍部指導者にすぎない。
内政の改善は彼の職責に含まれておらず、むしろ軍の指導者が政治に口出しすると大抵がろくなことにならないのはご存じのとおりである。
最も、国力を省みない軍事行動という意味では責任は逃れられず、強引な北伐が原因で周囲からの信用を失ったことは事実である。
また軍人かつ魏からの降将である彼には成都の中央政権への影響力は乏しく、良くも悪くも中央の権力闘争からは無縁の立場だった。

武官としては、当時の人間は鄧艾、鍾会などをはじめ魏の人間も彼を当世の英雄の一人と評価しており、軍事面での才能のみならず、
人格面でも非常に優れ、その清廉潔白ぶりを評価する者も多い。
北伐を強行した理由としても、その頃の魏も曹叡の死後幼帝を傀儡とした政権が政変や反乱などを繰り返し
司馬一族が皇帝を飲み込みかけている寸前であり決して磐石ではなかったため、反抗するタイミングとしては一概に愚策とも言えない。

彼の軍事面での有能さは疑いようが無いだろう。しかし、戦場で多少勝利したとしても、魏と蜀の国力の差を覆せるはずも無かった。
将としては非凡な才を持っていたが、演義で自らが押し付けられた「諸葛亮の後任たる文官」が不足していたがゆえに破れたというのは皮肉な結末である。