越後から米搗きという言葉があるように、江戸時代から越後(新潟県)は江戸の労働力供給地であり、とくに冬期の季節労務者は、越後出身が圧倒的に多かったといわれる。 雪国の長い冬、子どもといえども遊んではいられず、角兵衛獅子として曲芸を身につけ、諸国の街角を舞台に稼がされていた。その角兵衛獅子の風俗を舞踊化した作品。
\打つや太鼓の音も澄みわたり、角兵衛/\と招かれて、居ながら見する石橋の、浮世を渡る風雅もの、唄うも舞うも囃すのも、ひとり旅寝の草枕、おらが女房をほめるじゃないが、飯もたいたり水仕事、麻よるたびの楽しみを、ひとり笑みして来たりける。
\越路潟、お国名物はさま/\あれど、田舎訛りのかたこと交り、しらうさ(ししうた)になる言の葉を、雁の便りに届けてほしや、小千谷縮のどこやらが、見え透く国のならいにや、縁を結べば兄やさん、兄じゃないもの夫じゃもの。
\来るか/\と浜へ出て、見ればの、ほいの、浜の松風、おとや増さるさ、やとかけの、ほい松風とな。
\すいた水仙、すかれた柳のほいの、心石竹気はや紅葉サ、やとかけの、ほい、まつかとな。
\辛苦甚句もおけさぶし。
\なんたらぐちだえ、牡丹は持たねど越後の獅子は、おのが姿を花と見て、庭に咲いたりさかせたり、そこのおけさに異なこといわれ、ねまりねまらず待ち明かす、ござれ話しましょうぞ、こん小松の蔭で、松の葉のよに、こんこまやかに/\、弾いて唄うや獅子の曲。
\むかい小山の紫竹だけ、いたふしそろえて、きりをこまかに十七が、室の小口に昼寝して、花の盛るを夢に見て候。
\見渡せば/\、西も東も花の顔、いずれ賑おう人の山/\。
\打ち寄する/\、女波男波の絶え間なく、さか巻く水の面白や/\、さらす細布、手にくる/\と、いざや帰らんおのが住み家へ。
\そこのおけさに異なこといわれ〜の部分が、オペラ「蝶々夫人?」に使われている。