知事のブログ(8/17)に、
赫々さんが作成された質問を遊鬱さんがメールで送り、その回答が帰ってきたらしく、
その回答内容が載っていました。
Q1.条例で規制する前に、何故自主規制団体に対して活動強化の呼びかけ、
あるいは話し合いの機会を持とうとしなかったのか。
Q13.定例記者会見において、反対意見があろうとも落胆することなく信念に従って努力すると発言したが、これは、
「反対意見になど耳を貸さない。わたしを支持する声だけあればいい」
という意味合いに受け取れるが、そう受け取ってしまっていいのか。
まず、1番目、13番目の質問についてお答えします。条例で規制する前に、 何故自主規制団体と話し合いの機会を持たなかったのかということですが、 青少年保護育成条例の有害指定は既に販売されている「図書類」そのものの内容を条例及び規則に照らし判断するものであり、 個々の指定に関して関係者等と事前に話し合うということはありません。 しかしながら、指定後ゲームソフト関係業界での自主規制の動きも見られ、 条例での規制ももちろん必要ですが、関係業界の自主規制の取組みが何よりも大切であり、 また、望ましいと考えていますので、さらに関係業界の 一層の自主的な取組みを注視していきたいと考えています。
Q2.法律で規制を行う場合、科学的(学術的)根拠が必要不可欠である。
それが証明されていないと自分で言っていながら規制を実行したのは何故か。
Q6.松沢氏は少年犯罪がどんどん増えていると思っているようだが、そんな事実は存在しない。
既にいくつかの資料で裏付けられた通り、日本国内における少年犯罪、
性犯罪の発生率は数十年も昔から減少傾向であり、現在も変わらない。
この裏で残虐・性的ゲームの市場が拡大し続けてきたことを照らし合わせれば、
ゲームの存在が少年犯罪の発生原因でないことは明白であると考えるが、どうか。
Q9.報道の内容を鵜呑みにし、事実であるかどうか検証しようとせず、
「少年犯罪の原因は残虐ゲームである」という自論を支持する内容だけに耳を傾ける。
また、「犯罪を犯した少年は残虐ゲーム愛好者だった。だから少年を犯罪に走らせた原因は残虐ゲームだ」
などという、”強力効果論”と呼ばれる数十年も
昔に死んだ論法で条例を打ち出すことに対してどう思っているのか。
Q16.松沢氏が発表の中で度々ほのめかしている「ゲームの長時間プレイによる
子供の脳への有害性の科学的証明」は時期的におそらく『ゲーム脳』のことだと推測されるが、
この『ゲーム脳』の理論が既に各方面の専門家達から批判を集め、
信頼するに値しないイカサマ理論として定着しつつあることを松沢氏はご存知か。
2番目、6番目、9番目、16番目の質問についてお答えします。 科学的根拠が必要不可欠とのことについてですが、少年事件などの犯罪行為との因果関係を直接問うものではなく、 福祉的教育的な視点から青少年が健全に育っていくための社会環境づくりという視点からの指定です。
Q3.『言論・表現の自由』をどういうものとして受け止めているのか。
Q4.日本は民主主義国家である。いかに過激、あるいは性的、あるいは特殊な内容の作品だとしても、
たとえ少数とはいえそれを欲している人間が存在するのならばそれを侵害する権利は誰にも無い。
特定の誰か(今回の場合は松沢知事)が特定の価値観によって作品を規制することは反民主的だと考えられるが、
松沢氏自身はどう思うのか。
Q5.民主主義国家である日本においては、こういった表現規制関連の問題は国民の自主性に任せられるべきものであるが、
それでもなお松沢氏が規制に乗り出したということは、
松沢氏は神奈川県民を信頼していないということなのだろうか。
3番目、4番目、5番目の「言論の自由・表現の自由」など民主主義に関するご質問についてお答えします。 国民の基本的人権である言論・表現の自由は最大限尊重されなければならないことは当然のことですが、 これは無制限に保障されるものではなく、公共の福祉のために必要ある場合は、 その時、所、方法等につき合理的制限がおのずから存在するものであり、 青少年の健全育成という社会的目的を考えるならば一定の制約もやむを得ず、 憲法21条第1項に反するものではないとの考えは、判例においても示されています。
Q7.審査の方法に問題がある。まず、無数にあるゲームの中からほんの数本しか選ばなかったという時点で公正さに欠ける。
次に、ゲームをプレイした映像を10分に編集したビデオを使って審査しているという点。
ゲームは自ら遊んでこそゲームである。たった10分の映像だけを観てゲームを審査するなど笑止である。
また、その映像が恣意的に編集されていないという保障が無い。
意図的に残虐なシーンだけを集め、審査員の印象を操作することを狙っている
可能性があるため、やはり公正さに欠ける。
松沢氏はこのような問題だらけの審査の方法をどう思っているのか。
Q8.審査における指定の基準にも問題がある。
「自主規制を待つだけでは状況は悪化するばかり」などと言っておきながら、
県が提示した審査基準は”残酷””性的”の定義もはっきりさせておらず、
いくらでも拡大解釈が可能な非常に不明瞭なものである。
自主規制団体CEROのそれと比べても、粗雑な内容であるとしか言いようが無いと考えるが、どうか。
7番目、8番目の審査方法、審査基準についてお答えします。 審査方法につきましては、限られた一定の時間内に審査するため最初から終わりまでの全てを見るわけではありませんが、 これは特定の場面を恣意的に拾い出すのではなく、最初の場面から連続して提示しており、 ゲーム全体の内容を判断するに相当なものと考えています。 また、審査基準につきましては青少年への現実的な影響を重視し、 場面設定が現実社会に近く、暴力性や残虐性が極めて高いことを指定の基準にしたところです。
Q10.残虐な内容のゲームを規制するのであれば、同様に残虐、非人道的な内容を含むドラマ作品、
映画作品、報道番組なども規制されて然るべきではないのか。
何故ゲームだけが有害扱いなのか。
Q11.確かに過度に残虐、性的な内容を含む作品は青少年の精神に悪影響を与える可能性がある。
しかし、同時に抑圧された欲求の捌け口として機能する場合もあるはずだ。
松沢氏はこういったことは考えなかったのか。
Q12.安易に過激な内容の作品を子供から遠ざけるよりも、
「そういうものがこの世の中にはあるんだ」ということ、
そしてそういう過激な内容の作品との上手な付き合い方を教えることこそが
真の意味で青少年の健全育成に有効なのではないか―という意見が多く出ているが、
松沢氏はどう思うか。
10番目、11番目、12番目の質問にお答えします。 ゲームソフトに限らず青少年の健全な育成を阻害する残虐的、非人道的な内容の テレビドラマや映画なども規制されるべきであり、既に一定の自主規制もなされています。 なお、ゲームソフトは自らが操作するという特徴がある故にテレビと比べ青少年への心理的影響は一層深刻であると考えています。 また、欲求のはけ口として機能するというご意見や過激な内容の作品との上手なつきあい方を教えるべきとのご意見につきましては、 優れた芸術や健全な野外活動などが青少年に必要であり、そのような考えには賛同しかねます。
Q14.ゲームの内容は全て例外なくフィクションである。
現実で体験できない事を擬似的に体験できることこそがフィクションの醍醐味である。
無論、それらの疑似体験の中には犯罪行為が含まれる場合もあるが、
現実ではないので問題はない。現実と虚構を混同しているのは松沢氏の方ではないのか。
14番目のご質問ですが、 青少年の人間形成における影響にとっては、現実の空間であろうとバーチャルな空間であろうと同様ですが、 特に、今日ゲームソフトの表現は、大変リアルになっており、その影響はより一層大きくなっています。
Q15.安易な規制強化は、日本独自の文化であり同時に大きな経済効果を発揮するアニメ、
ゲーム産業を衰退させる危険性があるが、松沢氏はこれについてどう思うか。
15番目のご質問ですが、 ゲーム産業が世界に向けて継続的に産業として発展していくためにも、作品の内容が健全で良質なものが求められているものと考えます。
Q17.ゲーム規制よりも、地域社会の育成や性教育の見直し、家庭問題、
世代を超えた交流の推進などの問題に取り組んだ方がよっぽど有益であるとの
意見が多く上がっているが、松沢氏はどう思うのか。
17番目のご質問ですが、 地域社会の育成や性教育の見直し、家庭問題、世代を超えた交流の促進などの問題につきましては、 ご指摘のとおり重要な課題であり、同様に取り組んでまいりたいと考えています。