Wikipediaには、次のように記述されている。
地域社会とは地縁関係にもとづく社会集団。 日本の場合、農村であれ都市であれ、神社を中心に成立し、 先祖代々の付き合いをするものとされた。 部外者に対しては極めて閉鎖的で、 結婚や公務員としての赴任など正当な理由なしでは新規参入は困難である。 地域社会は、相互扶助や防犯には有効であった反面、 私生活への不必要な干渉や不合理な義理人情の強制など、 マイナス面も多く抱えていた。
・・・不合理な義理人情の強制など、マイナス面も多く・・・・ とは、随分とんがった記載がなされているではありませんか。こう思うのは私だけかな・・・。 果たして地縁組織の当事者たちは「不合理」とか「強制」とかと受け止めているだろうか。 ここに問題は隠されているような気がする。さらに続けて、
しかし、高度経済成長以後、都市近郊の農村には大量の新中間層が転入し、 地域社会は事実上崩壊していると言えるだろう。 近年は犯罪や隣人トラブルの激増等による影響を受けて、 地域社会の復活を訴える声が各方面から多く上がっている。
これまた、「事実上崩壊」とは悲しい記述である。
あまりこう言う風に批評めいたことを書くと陰湿な攻撃を受けたり、 執筆者にも失礼になると思いますのでこの辺でやめておきます。
・・・地域社会の復活を訴える声が各方面から多く上がっている。・・・・ これは、その趣旨を察すれば、わからない訳でもない。
ただ、地域社会は訴えの声をあげて復活できるものではないと思う。 これは論理的に考えても明らかだろう。
私だったら「地域社会へ回帰している」と結びたいところだ。 換言すれば、 ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変遷から、再び伝統的社会形態に回帰している。 こういったところか。
地域社会はその地域の人たちで形成されるもので、訴えによって復活するのではない。
これまでの伝統とか不合理なものを、ありのままに受け入れることの大切さを、 地域社会は、細々と、そして綿々と継承してきた。
そうして再び今、私たちをして思い出させてくれているのだ。 こういう私も思い出させてもらっている一人なのだが・・・・。