初期日本世捨協会総会の考察


ここでは主に史料にとぼしい第1回〜第5回総会を対象に、そのときどのようなことが起こっていたかを書きとめていきたいと思います。

  • 世捨人諸氏の書きこみを期待します。
  • 各人の記憶により、書きこみの整合性に食い違いが生じえますが、それもよしとします。というか、それはそれでこのページの目的ですから。
  • 日本世捨協会総会のページを適宜ご参照ください。またこのページに書きこまれた事項で決定的なものは上記のページに反映していきたいとも思います。

第1回(1989年)

  • この日北海道本部長や首都圏事業本部長はバイトで、午後9時から午前5時まで仕事をしていた。北海道本部長は僻地での仕事であったため、バスにて澄川駅に向かい、そこから会場に向った。
  • 首都圏事業本部長の北海道本部長との現存する電話メモ(89/12/29 13:30〜)に、「地下鉄入口 改札前 6:30 すすきの」という記述がある。これは翌日に行われるその後「日本世捨協会第1回総会」として記念されることとなったあつまりの待ち合わせ時間を取りきめたものと推測され、すると当時はすすきの駅改札前でまちあわせが行われた可能性が多分にある。
  • 金富士を出た後、狸小路にスリーオンスリーの設備があったところを東に向かい歩いた記憶が。
  • その後ボウリングをしたような気が?
  • 次はBOSSAへ。耳にグラス近づけ「カランカラン」という音を聞き気取る。「ちょっと静かにしてくれないか」「この酒は甘く危険な香りがする」「亜米利加の酒には亜米利加の煙草が似合う」などのフレーズ連発。トイレ駆け込み連発。この頃の会長は後のようなネタとしてではなく、本気で言っていたので面白さは倍増であった。また会長は「スターダスト」とかいう曲をリクエストしたが、その後数年にわたり会長がリクするのはこの曲ばかりだった
  • ここで旧尾張氏スキーインストラクターのバイトということで離脱。
  • その後すすきの「クールバー」へ。ここでも会長が数々の伝説を残す。当時会長の思われ人といわれていた人に電話(夜中1時過ぎ)し、誰も電話に出なかったので、「出ないんだよ〜」と泣きそうな顔で帰ったきた。バーデンダーに「僕は19の頃弁護士になりたかったんだ。今はこんなんだけどね。」と語る。
  • クールバーではさらに会長が何か英語をメモ帳に書き出す。よく見るとElly my loveの歌詞であった。会長はこれから歌う曲の歌詞をメモしていたのだ。しかしカラオケなら歌詞が出るのになぜバアで書いていたのかは不明。
  • 7色のカクテル*1を会長が呑んでいたが、しだいに絵の具を溶いた水のような汚い色になった。
  • その後カラオケの「第3倉庫」。トイレに行って帰ったきたら何やら下手な歌声が。「ゑ〜りいい」。会長だった。その後会長はとある女性客が岡村孝子を歌ったのを聞き、「岡村孝子最高!」と叫んだり、「声が出でねーぞ!」と叫ぶなどノリノリの様子。一番声が出てなかったのは会長だったが。
  • 変なトランプ手品をする男に絡まれる。何度引いてもハートの10?が出てきて「あなたはハートの10にのろわれている」気がついたらその男がへたくそな唄を歌っていた(曲は赤坂小町の「M」
  • 店を出ると既に夜は白んでいた。我々はその中を「ジャバラジャバラバジャバラババーン」(たま「ジャバラの夜」)を歌いながら夜明けの路を歩く。
  • どこかのホテル(グランドホテル?)で時間をつぶし始発の地下鉄が走るまで待つ。北海道本部長が帰宅し、眠りにつこうとしたのは午前8時。ラジオからは「日高五郎ショー」のオープニングテーマが流れていた。
  • 既にこのとき世捨の名を関していたのではという首都圏事業本部長の証言もある。

第2回(1990年)

  • 会場は再び金富士酒場か?
  • BOSSAへ逝ったのよく記憶している。トイレ駆け込みもした。会長が耳にグラスを付け氷の音を聞いていたのを見てトイレ駆け込みをしたのは1回目だったか、このときだったか?「甘く危険な香り」はこの年であったかもしれないと思うように最近なった。
  • 北海道本部長が酒に弱い話をしたとき、「酒に弱い、それはひとつの不幸だね」と会長がつぶやいたのはこの年だったか。

第3回(1991年)

  • 1次会の場所はよく思い出せない。やはり金富士なのか。しかし、3年連続同じところに行くだろうか。他にジンギスカン屋なども思い出されるが、別に機会かも知れない。初期に北海道本部長がよく利用していた「明治の館」に会長とも行った記憶があるような気もする。この第2回・第3回の1次会がどこへ逝ったかがやはり日本世捨協会協会史の中の最大のなぞである。
  • この年は首都圏事業本部長が風邪の為途中リタイヤしたように思う。か、首都圏事業本部長を含め数人で「京王プラザホテル」に流れ、1500円のラーメンを食し、朝を迎えたのはこの時か、第2回目か。怪鳥の「やっぱりグランドホテルのラーメンがいいな。これも旨かったけど。」が耳に残る。旧尾張本部長は一人ラーメンを食べることを拒否し、サンドイッチかなにかを食していたようだ。
  • 旧尾張がたしかスキー場のバイトとかで第1回・2回と連続で1次会のみ参加だったと思われるので、おそらくこの3回目が旧尾張の初フル参加だったのでは。となるともしかすると、首都圏本部長リタイヤ後、3名で京王プラザに向ってラーメンを食ったのか。しかし、「これも旨いけど」を聞いてあきれたときは首都圏本部長もいたような気がする。もしかすると2・3回と最後はホテルで締めたのか。京王プラザの記憶については首都圏殿の記憶によるレビューを待ちたい。ただし、グランドホテルのラーメンは総会では試されてないような気がする。
  • (首都圏)このあたりについては札幌グランドホテルでラーメンを食うもあわせて参照されたい。なお、京王プラザホテル1Fでラーメンが食されたのはグランドホテルの話が出た総会(第X回)の翌年の総会時(第X+1回)でおり、このときは首都圏事業本部長も参加している。そして会長の「うまかったけど」発言がきかれたのはその次の総会(第X+2回)と思われる。
  • (道)わしのキヲクでは京プラのラーメン(当時1350円)を食した後、「やっぱりグランドホテルのラーメンのほうがいいなー、ここも旨いけど」と発言したのを聞き、その場で首都圏殿と閉口したというものであったのだが・・・。

第4回(1992年)

  • 実は総会前日、北海道本部長が首都圏事業本部を乗せ、交通事故を起こしてしまった。幸い怪我はなかったが、そのショックで北海道本部長は総会の中止を申し出た。しかし午後になり、「この日のために生きてきた(旧尾張の発言)」とまで言ってるメンバーがいることを考慮し、実行を決意。結果計7名(6名の説も)が参加する歴史的総会が行われることになった。
  • 一次会は「五醍」。
  • 史上はじめて7人(6名の説も)が出席。
  • 会長のスマッシュな発言が多数聞かれた。(当時の経営者蹴飛ばしてやりたい。、ソ○○ヤなんて心じまえ等)
  • 会長が「法と哲学の接点をついに見つけた」と発言。全員が耳を傾けると「それはない。」全員が大いに気を抜かれた。
  • 会長がスマッシュ発言をしているとき、北海道本部長は某会員の迎えに行っていた。BOSSA前で待ち合わせをし、五醍に帰ってくると会長の発言で場がたいへん盛り上がっていた。
  • またカラオケはすすきののカラオケBOX「トマト」で行われた。もしかしたらこれが日本世捨協会総会における初のカラオケBOXセッションかもしれない(それ以前は、カラオケスナックによる歌合戦が行われたり行われなかったりしていた)。
  • このカラオケセッションで会員による「元祖高木ブー伝説」が初演された。
  • 1993年1月18日付の怪鳥発北海道本部長宛の年賀状に「今年の12/30には是非グランドホテルのラーメンに間に合うようにスケジュールを組んでおいて下さいませ。」とのメッセージがあった。ということはこの回(1992年)には行こうとしたが間に合わなかったということか(行こうとしたのが0時過ぎなどの遅い時間ですでに閉まっているだろうと断念した可能性もある)。この意向をうけ1993年12月30日に挙行されたかどうかは定かではない。

第5回(1993年)

  • 1次会は定番「金富士」通知という史料の裏づけもある。
  • この年の開催通知(首都圏事業本部長作成)が現存している。
  • この年は首都圏事業本部長がつぶれたらしいことが、第6回の感想における北海道本部賛助会員の証言および別の賛助会員の年賀状から推測される。
  • となると、会長がお金が足りなくなり、首都圏事業本部長に五千円を借りようとしたときに壱万円を差し出し、会長が「こんなにいらないよー」というとさらにこれでどうだと壱万円を差し出し、BOSSAのビルの廊下でゲラゲラ笑い出したのはこの時か。
  • 首都圏本部長をタクシーに乗せ(MOJO "Psychedelic" MOJO前)、第5回が終了したあと、会長はみずから「COOL BAR」に飲みに行かれたという。
  • しかし、「COOL BAR」は休みだった。
  • 当時の怪鳥は飲み会に1万円しか持ってきてなくていつも金が足りなくなっていた。

第6回(1994年)

  • この年はその年の重大事件「新宿ソー乱事件」の余波で、開会前から不穏な空気が流れる。開会前に首都圏事業本部長・北海道本部長で打ち合わせのため早く集まったが、立ち寄ったデパート(西武?)のトイレで店内に流れていたクイーンではない外人の世捨な「ボヘミアンラプソディ」を聞き、床に転がりそうになった。
  • 待ち合わせは北12条駅外。出席者が現れるたび笑いに包まれ、大地に身を委ねる者も。
  • 出席者は、会長、首都圏、北海道、旧尾張、北海道本部K氏の5名
  • 1次会(総会)は「寿司の正本」。企画として、会長挨拶、祝電披露等で盛り上げる。特に好評だったのは、相撲ネタ。この年横綱となった貴乃花の口上を真似、「世捨道に不惜身命」と言ったところで、序内は大爆笑。この店の名物の「梅ジャン」等を食し、盛況のうちに膜を閉じる。
  • この年もやはりBOSSA(改装前)へ行き、首都圏事業本部長が大暴れ大活躍。BOSSAでトイレ駆け込みを行ったとき、大便器の便座を激しくたたきながら、「明日から俺はどうすればいいんだ〜」と絶叫していたらしい。それほど「新宿ソー乱事件」の余波は大きかったということか。
  • あの時は3名でトイレに駆け込んだが、この翌年からトイレが狭くなり、トイレ駆け込みは不能となった。
  • 歌合戦は南6条のカラオケボックス(プレイボックス?)。結構大きな部屋を取る。オープニングは会長の「街が泣いてた」。これがかなり世捨で、歌いだしたとたん全員が大爆笑。最大の盛り上がりにつながる。その後会長の「オンリーユー」「アンチェインドメロディ」が炸裂。北海道本部長は替え歌「野合のあと」で応酬。首都圏事業本部長の「人間なんて」「ラブミーテンダー」「勇者ライディーン」「侍ジャイアンツ」、旧尾張の「ボヘミアン」「いけないルージュマジック」、北海道本部K氏の「ドリフのズンドコ節」「サスケ」「鋼鉄ジーグ」等各人が最大限の力を発揮し、今後これを超える歌合戦はないという伝説の会となった。各人が必ず誰かの歌に参加し。叫び、肩を組み、踊り、頭にネクタイを巻くという姿はまさに世捨人の神々しい痴態というべきものである。このとき北海道・首都圏で「ボヘミアンラプソディ」を疲労したが、首都圏殿は歌い終わった後、泥酔した声で「あのトイレ聞いた歌を超えられなかった」と呟いた。結局カクテル29杯を飲み干し、グラスを割ったり大騒ぎで、4時間の利用で料金は35000円であった。なお、この年に初めて音声が記録され(残念ながらテープは現存せず、昔一部をデジタル化したものが現存するのみ)、スナップ写真も写されるなど、日本世捨協会総会を記録し始めた嚆矢となる総会でもあった。
  • その後「モジョモジョ」に向かうも、首都圏殿は泥酔。モジョモジョ内でもどうしようもなくなったため、1時間程度休んで外へ出る。そのとき会長が店の外で歩くこともできない首都圏事業本部長の介護を旧尾張に命令していた姿(茶を買わせるなど)はまさに会長というべき風格に満ち溢れていた。その後首都圏殿を無事タクシーに乗せることに成功。

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*1 このとき会長が飲んでいたのは「レインボー」というカクテル。レインボーのように、比重の違いを利用してリキュールの層をつくるやり方を「プースカフェスタイル」という。これを参照。