会長引っ越しの記録


人はいつになったら引っ越しをするのか?

〜日本世捨協会会長、「史上最長期間・最短距離」引っ越しの記録〜


 日本世捨協会会長は、就職2年目以降の日々をずっと東京都某区の会社の独身寮で暮らしてきた。他の会員がどんどん在寮期限満了につき退寮とあいなる中、彼の住んでいるこの寮は入社後満10年まで在寮できるという、現代としては破格の条件である。この寮のおかげで彼は居住費を浮かし、それを財産形成に役立てることなく、日々高級アルコール類につぎこみ、国の税収増と自らの肝臓数値向上に貢献してきたのであった。

 しかし彼もさすがにこのころ↓になるとあせりが出てきたようである。時に2000年1月、これがその後続く長い物語のプロローグになろうとは、いったい誰が予想しえたであろうか…。

あと一年以内に転居 投稿者:O.Y.B.  投稿日:01月25日(火)19時05分59秒 
しなければならない。秋口には決めようと思う。賃貸情報誌を買ってきたが、
不動産屋巡りもしないとな。今日は寒い。腹減った。疲れた。眠い。人生って面倒だなぁ・・・ 

 その後は別に会長の引っ越しについてはさして注目されることなく日々が推移した。しかし何に限らず、期限というものは確実にやってくる。本件の場合、これは2001年3月であった。

 首都圏事業本部長も大急ぎで引っ越したことがあった。2月の中旬に約2週間で引っ越し先を決め、3月最終日曜日ギリギリに引っ越したのだが、それに付随する掃除や荷造りが間に合わなかったため、多くの人々(寮長や引っ越し業者など)のヒンシュクを買った、というのは秘密である。しかしそれでわかったのは、いざというときになれば、そのぐらいの時間があれば引っ越しはできる、ということである。会長もそのぐらいのことはやるのだろう…と思って見ていた。

 そのうちに激動の20世紀は終わりを告げ、新たな千年紀が到来した。会長は年頭にあたって、2001年1月4日、日本世捨協会全会員に次のとおり訓示した。

 21世紀、年頭の辞 投稿者:O.Y.B.   投稿日: 1月 4日(木)19時35分15秒
世捨協会各本部長、賛助会員の皆様、明けましてお目出度う御座います。
本日午後帰京し、電脳生活へも復帰いたしました。
実は14時に帰室していてすぐに報告の書き込みをしようとしていたのですが、
キーボードに故障があり、修繕と清掃を行っていたためこの時間となりました。
さて
世紀は代われども我らが歩みに変わり無し。なお世は乱れるとも我らが志に乱れ無し。
省みれば暗き世相はいささかの明るさも見せず政経変動の展望を持たず。
強き生命力を象徴する巳の年なるこの年、我らは一段のしたたかさを持って
世を笑い、憂い、嘆いて過ごそう。
健全なる「笑い」のため、各人がその職業人としての社会的地位を保持あるいは獲得するため、
今年も全力を尽くされんことを。本年は変革の荒波が各人の社会的地位にさえ脅威を与える
可能性低からざりしものありと思料す。
風立ちぬ いざ生きめやも
以上
個人的に今年の課題を述べるならば、引越と”おんな”ですな。

もちろんではあるが、会長は今年の最重要課題として「引っ越し」を挙げたのである。

この時点であの「人生って面倒だなぁ・・・ 」からすでに1年が経過していた。

 この年、1月および2月は会長の引っ越しについて特段の進展はなかった。首都圏事業本部HPの記録によると、東京都目黒区にあったビヤバア「Pepperman」へ首都圏事業本部長と足繁く通った(同店は2月23日をもって閉店)り、洗髪しない記録が4か月に達したり、ひたすら自分のペースで生活をエンジョイしていたようである。この時点では、他の世捨協会員の中で会長の引っ越しを話のネタにする者はあまりいなかった。常識的に考えても、着々と準備をすすめているのだろうと誰もが思っていたはずである。

 そのような中、約束の期限は着々と到来しつつあった。それに対して会長はどう反応したのか。首都圏事業本部HPに残る記録から見てみよう。

会長、今年度中の引越不可能に(01/03/26)
 
 この3月末で在寮期間が満了するはずの会長ですが、26日、日本世捨協会掲示板
「帰ってきたYOSUTE.BBS」に「新年度は寮で迎えることになりそう。」
との会長による書き込みがありました。これは、至上命題であった平成12年度中
の引っ越しを、会長自らが否定したものとして注目されます。
 
 なお、ここ数日間曰経平均および主要株価は先々週から一転して反騰を続けており
ましたが、会長の引越に伴う清掃処理の進展を好感したものという解釈が一部でなさ
れておりました。もし今回の掲示板書き込みが事実とすると、投資家による失望売り
が懸念され、会長発世界同時株安懸念の再燃が必至とみられることから、27日以降
の市場の動向が大いに注目されます(藁)。
 
(付記)実際27日の東京株式市場は反落しました。もちろん会長が理由ではない
ようです…。さて、会長は4月以降も寮にとどまりながら引越準備を行っているよう
です。そのような措置が可能となった背景について、会長は4月4日の日本世捨協会
掲示板「帰ってきたYOSUTE.BBS」でにおける書き込みで、「お目こぼし
頂いているのは、単に次に入る予定が無いから。」と説明しています。

 これが多くの世捨人を失望させたことはいうまでもない。それにとどまらず、4月中旬には次のような発言がなされるに至ったのである。

会長引っ越しの真相!?(01/04/17)
 
 会長のGWは年によって帰省したりしなかったりですが、ことしは帰省しないそう
です。当然会長はその期間で引越準備を行うものと思われていたところ、会長は4月
16日の日本世捨協会掲示板「帰ってきたYOSUTE.BBS」で「当方はGWに
帰省はしません。来週の試合で順調に勝てば草野球に勤しんでいるでしょう。負けた
らプロ野球でも見に行こう。」と書き込みをし、GW中は引越に時間をさく意思のな
いことを示しました。これはGW前に引越を完了させるという意思表示なのでしょう
か。それとも文字どおりの(笑)「居直り発言」なのでしょうか。
 
 きたる22日(日)には草野球の試合が予定されていることから、この日に引越決行
という線はなく、その前の土曜日に引越を行わない限り、会長の引越は必然的にGW
にずれることになります。翌日の同掲示板には、この書き込みに対する他の会員の深刻
な憂慮が続出しております。
 
 なお、会長は去る3月上旬に新居の契約締結をすませているはずですが、その詳細は
いまだに中枢会員にも明らかにされておらず、真相は依然として謎につつまれたまま
となっております。
 
 会長の引越準備が遅々としてすすまないこととあわせて、一部には「会長はほんとう
に新居を契約したのだろうか?実はまだ決めておらず、それで引越準備もチンタラや
っているのではないか?」という疑問の声があがりはじめています。

 その後GWに突入してしまうと、5月1日以降会長の動きはぱったりと止まった。ふたたび動きが出てきたのは5月7日以降である。引き続き首都圏事業本部HPから。

会長引っ越しその後(01/05/07)
 
 GW中は5月1日を最後に音信不通となっていた会長ですが、5月7日の日本世捨
協会掲示板「帰ってきたYOSUTE.BBS」において、とりあえず生活必需品
をほとんど移動したこと、本、PC、家電などの大物は、まだ梱包がほとんどできて
いない状態であること、7日夜は新居に滞在予定であることを明らかにしました。
 
 なお、PCについては、去る5月1日の同掲示板における書き込みで「自室のPC
は既に分解済み(本日梱包予定)」とされていたものであり、「9日間の連休も当方
の怠け癖には勝てませんでした。」(5月7日書き込み)という述懐を裏づけている
かのようです。

 5月7日の書き込みは、会長が既に新居を契約済であったことを明らかにしたもの
として注目されます。

 GWを過ぎても会長の引っ越し準備は遅々として進み(進まず)、周囲のイライラは頂点に達しつつあるかと思われた。そんな矢先ある出来事が起こった。北海道本部長殿の来京である。

北海道本部長殿ご来京(01/05/08・09)
 
 北海道本部長殿が、ご出張のため5月8日から10日まで上京されました。
 当本部では、総力を挙げて5月8日および9日の夜、東京および横浜において北海道
本部長を歓待させていただきました。
 
 8日はまず待ち合わせ場所周辺のそば居酒屋へ。その後会長殿と合流し、目黒の外人
ビヤバーへ。
 
 9日は当本部賛助会員3名と一緒に横浜でラーメンを堪能。その後横浜プリンスホテ
ルのラウンジにて談笑。
 
 各賛助会員の皆様は、業務の忙しい折万難を排して参加してくださり、ふだん職場で
は見ることのできない楽しい一面を披露してくれました。横浜プリンスホテル渡り廊下
における、某賛助会員の華麗なパドブレターンは、全参加者を驚愕におとしいれました  (笑)
 
 なお会長は8日は別の飲み会から駆けつけて参加されましたが、その日の所持金は
1,000円也だったようです。また、当初は9日の参加について特にコメントがなかった
のが、8日になって某所属団体における訓練を理由に突如欠席を表明するというハプ
ニングがありました。
 
 ともあれ、各位のご尽力により、きわめて有意義な夜となりました。ありがとうござ
いました。この間の画像は「本部写真館」をごらんください。

 この期間当本部は、賛助会員も動員して全力で北海道本部長殿を歓待した。もちろん引っ越しを控えた会長も例外ではなかったが、この記録によると相変わらずわずかな所持金で参加したり、ドタキャンをこいたり(もちろん引っ越し準備のためではない)と会長らしさを遺憾なく発揮していたようだ。そしてその席でその宣言はなされた。

会長5月19日に引っ越し決行!(01/05/08)
  
 8日の北海道本部長との会合の席で、会長は、5月19日に新居への引っ越しを完了
させる旨明らかにしました。その後会長は、5月11日に首都圏事業本部長に対して
送付したメールの中で、20日のわさび田見学については遠慮したいとの意向を伝え
ました。19日に引っ越しすると決めたら、20日早朝の集合は困難と思われてきた
ためというのが理由のようです。

 この宣言がどれだけ世捨協会幹部を震撼させたか。実はあまりその資料がない。もしかしていたらみんなフンフンと聞いていたのかもしれない。あの「狼少年」がはじめてあげた真実の叫びを人々が無視したように。

 当本部長は、5月20日(日)に静岡県の某わさび田を見学に行くことにしており(世捨認定店「Pepperman」の主人とのあつまり)、会長にも声をかけていたのであった。それを遠慮したいと言ってきたのである。もちろん事前キャンセルとして問題はなかった。しかしそれは会長の意気込み、そして事態の切迫を十分に語ってあまりあるものであった。ここに至って関係者たちははじめて「会長は本気だ」と思うに至ったのだった!

 引っ越しを5月19日(土)に決行する旨宣言した会長であったが、その後の動きを外部から知ることはいっこうにできなかった。そればかりか、引っ越しを土曜に控えたその週の16日(水)および17日(木)の連日飲み(「プロジェクトX」を視るのを忘れたらしい)やカラオケ(札幌オリンピックの唄など歌い、翌日遅刻しそうになったとか)が続き、他の会員をはらはらさせたのだった。ただそんな間にも期日は迫ってくる。そして会長はいよいよ前日18日(金)に午後休暇をとり、「最期の荷造り(テレビ、冷蔵庫、机など)」にとりかかったのであった。

 金曜日から土曜日にかけて、会長は引っ越しに専念するわけであるから、周囲は会長とのコンタクトはもちろん避け、事態を見守らざるをえなかった。そして誰もが、しばらく〜少なくとも月曜日までは〜会長との通信は途絶するだろうと思っていた。休日における会長の外部との唯一の交信手段であるPCは引っ越しのため梱包されたまま、当分開梱されることはないだろう。だから、月曜日に会長が職場から掲示板にカキコするのでもない限り、引っ越しの首尾を知ることはできないものとすべての人があきらめていたわけである。

 当本部長もそう思ったひとりである。遅く目覚め、重い腰をあげてPCの前に向かい、なにげなく掲示板にアクセスした。飛び込んできたのは次のようなカキコであった。

荷物の移動まで 投稿者:O.Y.B.  投稿日: 5月19日(土)12時58分20秒 
 
完了しました。只今移転した部屋から自己PCによりカキコミを実施しております。
これから旧宅に戻り、部屋の掃除です。通常の生活がこの部屋で出来る様になるのに、
あと何週間かかるのでしょうか?自分でも予想がつきません。

 会長自身による引っ越し完了コメントが。引っ越し当日、それも直後に。これは全世捨協会会員を驚倒させるに十分なものであった。各世捨人からのコメントで「帰ってきたYOSUTE.BBS」は沸騰した。

 九州本部長からは「新居の整備など『その気になれば』何とかなるものです。今回の荷物移動だってさうだったぢゃないですか。」、北海道本部長からは「怪鳥の荷物移動とPC接続の神速さに驚きです。おめでとうございます。これで自宅からの書き込みも期待できます。今度状況の折には怪鳥のご自宅を拝見したいと思いますのでよろしくお願いします。」とのコメントがあいついで発せられた。当本部長も引っ越し当日のPC通信開通を祝するコメントを投稿するとともに、これは会長の行動に変化が生じる契機ではないかとの期待を寄せたのであった。

 ちなみにもとの住所であった寮と転居先とは500mほどしか離れておらず、徒歩数分で行き来できる場所である。彼が生活の本拠を移すための、わずかな距離。しかし、この距離を移動するのに、なんと1年半弱を必要としたのであった。世界でもっとも長い時間をかけた、もっとも距離の短い引っ越しといえるのではないだろうか。

 その後会長は、5月30日(水)、各世捨人にあてて転居通知はがきを発送する旨を発表した。このはがきは25枚限定で作成され、6月に当本部にも着信した。  ここにその文面を掲げ、長かった、あまりにも長かったこの闘いをふりかえり、そしてあまりにも完結まで長くかかったこのレポートのしめくくりとしたい。

拝啓 初夏清澄の頃、皆様にはご健勝の事とお喜び申し上げ候。
さて 私儀、今度目出度く勤務先の独身寮退寮期限に至り、左記住所へ転居致し
たり。通常「お近くにお寄りの節は是非お立ち寄り云々」と記す処なれど、未だ家
具、荷物の整理も相整わず、「お立ち寄り」頂いても何らの接遇も致しかねる事ご
承知置き頂き度、不調法をお詫び申し上げると共に状況をご覧察賜り度、宜敷お
願い申し上げ候。
末筆ながら皆様のご健康、ご多幸、家内安全、気運隆盛、武運長久、その他諸々、
一切合切お祈り申し上げるもの也。
右、御挨拶方々転居の件、お知らせ申し上げる。           敬 具
 
  皇紀二六六一年、平成十三年、西暦二○○一年 六月
                         (住所・氏名・勤務先省略)

〜日本世捨協会会長、「史上最長期間・最短距離」引っ越しの記録〜 SIZE(30):完  


(エピローグ)
 転居から1年を経て、たしかに会長には主にその思考において変化がみられるように思われる。しかしそれが「世捨」にかなっているかどうかについては、大いに議論のあるところではあろう。
住む場所の人を変えること、かくのごとしである。そして世捨はどこへ行くのか…。