以下、「雨漏りは欠陥じゃない!?」http://www.path.ne.jp/baumdorf/knowhow/amamori2.htmより抜粋転記。
「熱がある」からといって、解熱剤を処方しただけで、患者を帰す医者はいない、というか、むしろ、そんなことをしたら、それ自体が医療過誤といってもよいほどのことなのです。
その理由は実に簡単なことで、「熱がある」というのは病気それ自体ではないからなのです。
つまり、人間が熱を出す原因は、ただの風邪のせいの場合もあれば、内臓に感染症があることもあり、あるいは、筋肉が傷んでいるためかもしれないといった具合に、それこそ山のようにあるのですから、医者は、単に熱を下げる治療をするのではなく、「なぜ熱があるのか」という原因を探し、その原因を除去するための治療をしなければいけないのです。
実は、'家の雨漏りも、この「熱がある」ということに非常に似ています。
たしかに、雨漏りの原因は、
家の外側の屋根か壁のどこかに水の入る穴があいている
という一言に尽きるのですが、問題は、なぜそのような「水の入る穴」があるのかにあるのです。
なお、誤解のないように書いておきますが、「穴」があることが問題なのではありません。
単に、「穴」というだけならば、核シェルターみたいな特殊なものは別として、通常の建物は穴だらけです。
それらの穴のうち、ある種の条件を満たした「水の入る穴」があることが問題なのです。
この「水の入る穴」ができる原因は、人が熱を出すことほどではありませんが、挙げ出すと切りがなさそうなので、とりあえず両極端だけをあげておきますと
本来工事の完成までに塞いでおかなければならない穴を塞ぎ忘れた
といった単純ミスから、
建物の不同沈下によって建物が変形したために最初はなかった穴(隙間)ができた
という深刻な事態による場合まで、かなりのパターンが考えられますし、当然のことですが、その原因次第で補修工事の内容もかわってきます。
ここから、何等かの欠陥の本体というものがあって、雨漏りは、それが具体的な形で外に現れた「症状」でしかないことがわかります。
このことを逆にいえば、「雨が屋根や壁の内側に入ることを防止するために本来行わなければならない施工(防水・雨仕舞)をしていないこと」が欠陥なのであって、本当は、現に雨が漏っているとか、特に室内に漏っているかどうかは関係ないということになります。
私たちが、相談をうける雨漏りの実例としては、このような話がよくあります。
2年ほど前に建築業者から引き渡しを受けて入居した 入居後半年ほど経って雨漏りが始まった 最初は、電話をすると業者が来て、コーキング剤とかいうものを隙間に詰めていった 修理の当座は雨漏りが止ったが、またしばらくすると雨が漏り出した その都度業者を呼ぶのだが、半年前位からはいくら呼んでも来なくなった 何とか業者に補修させる方法はないか
さて、この事例への対処を考えてみましょう。
結論を先に言いますと、
まず、普通の交渉ごとで、その業者に修理させようとしても、無駄に終わることがほとんどです このような場合は、その業者に修理させることが、かえって家に有害な場合すらあります まず、「なぜ業者は、呼んでも来なくなったのか」を考えてみる必要があります。
実は、以下の3つ位しか理由は考えられません
要するに、その業者は、「直す能力がないか」「もう直す気がない」のです。
このような業者に無理に呼び付けたところで、要するに、いやいや直したり、だめと承知で形だけの補修をするだけのことですから、もともと、まともな修理をするわけがありませんし、雨漏りが止らないだけならばともかく、これから述べるように、かえって家が傷んでしまうことも多いのです。
修理とは、悪いところを取り除いたり、正常な状態に直すということですから、前よりもよい状態になる、少なくとも、今より悪くはならないと錯覚しがちです。
たしかに、雨漏りの修理の中には、本当は一種の対症療法にしかすぎないのですが*1、雨の入口になりそうな隙間に、コーキングといって、弾力のあるプラスチック系の薬剤を流し込む(というよりも「押し込む」といった方が正確かもしれません)方法がとられることがあり、その場合は、少なくとも「前より悪くはならない」とだけはいえます(もっとも「見た目」が多少悪くなることはあります)。
しかし、多少なりとも本格的な補修工事となると、ほぼ例外なく、
といった、「一旦壊す」作業が必要になります。
そして、このように一旦壊した物を作り直す場合、その部分の強度が従前より落ちたり、修理の痕跡が残ってしまったり、あるいは、まわりの部分と耐久性つまり「保ち」に差が出来てしまうなど、何らかの形で性能が劣化することが多いのです。
つまり、名前は「修理」といっても、もともとは、建物にとって好ましいことではなく、ただ、修理によって生じる弊害と、雨漏りによる弊害をはかりにかけたときに、通常は雨漏りの弊害の方が大きいために、いってみれば「仕方なく」することなのです(つまり、医療でいえば手術と同じことです)。
したがって、雨漏りが止まるという成算もないのに、ましてや、所詮無駄かもしれないことがわかっているのに、「修理」という名前の建物をわざわざ痛める作業をするのは、まさに「百害あって一利なし」ということができます。
最初に述べたように、
雨漏りは、建物のかかえる「本当の欠陥」の症状にすぎません。
つまり、もともと、本当の意味での欠陥を見つけ出すことをせずに、どこをどう直せばよいかが決まるはずがないのです。
先ほど述べた両極端の場合を例にとれば、
本来工事の完成までに塞いでおかなければならない穴を塞ぎ忘れた
というだけの話ならば、もともと使うはずだった材料を使ってその穴を塞げば大抵の場合は済むのに対して、
建物の不同沈下によって建物が変形したために最初はなかった穴(隙間)ができた
ような場合は、最悪の場合は家自体を取り壊さなければ本当の意味での補修ができないこともありますし、少なくとも、家の土台から上の部分(上物)をいったんジャッキで持ち上げてから、基礎を作り直したうえ、上物を新しい基礎の上に降ろす(実際には、それだけでは済まず、持ち上げたことによって痛んだ上物の補修も必要になります)といった工事をしないがぎり、雨漏りの原因である欠陥を除去することにはならないことになります。