ヒストリー




O氏のブログからヨシバンの歴史を転載

あれは忘れもしない運命の2002年12月・・・何日だっけ・・?

マシャはとある某楽器店に同じ学校の親友と行き某定員にグチッていた。「最近女子強くて吹奏楽肩身狭いッス・・・」とそんな時、違う学校の男子吹奏楽友達がやってきた。 「おぉマサヤ(仮名)じゃん♪♪」 あれれ??いつからこんな仲良くなったんだっけ?? マサヤは思った。こいつらならわかってもらえる!!こいつらみたいな、俺の気持ちをわかってくれそうなやつらは今の吹奏楽社会ならもっといるはずだ!集めよう!!!バンドを作ろう(☆。☆) そのひらめきを一気に某定員に打ち明けた。そう男子だけのバンド。その時某定員は冗談だと思っていたらしいが「よし、俺がそのバンドの指揮をやってやろう」と言った。 そこから某定員吉田さんよりバンド名が『ヨシバン』となった。

2004年3月20日(春分の日)

メンバーを集めたと吉田さんに言った時の吉田さんの顔を忘れられない。 吉:「本気だったの!!?」 そこでマサヤの失恋とともにヨシバンは記念すべき第1回を某楽器店で迎えることになった。参加校は8校20人。お客さんは10人いくかいかないか??ほぼ初見の楽譜に初対面のやつらのコンサート。 曲目・・  ベストフレンド 未来予想図2 アニバーサリ− 青い山脈 楽しかった。男たちはわかりあった。友達になった。

2004年9月26日

もう終わると思っていたヨシバンが、マサヤの失恋のやけくそと、前回出れなかったメンバーの声で復活した。天候が悪いなか楽器店の中で公開リハーサルした後に楽器店の外で演奏した。参加校は12校42人。メンバーが2倍になりお客さんも40人くらいいた。全員親か?笑 たぶん公開リハで楽譜を初めて見た人はたくさんいるだろう。だって俺がそうだったから(笑) 曲目・・  アルセナール ウォーターボーイズ A列車で行こう 未来予想図2 青い山脈 さらに楽しかった。メンバーがドンドン増え演奏面はごまかしがきくようになった。

2005年2月27日

もうそろそろ終わるだろうと思っていたヨシバンが、マサヤの彼女とのケンカと、メンバーの熱い声によって復活した。今度の参加校は16校62人。大編成になった。お客さんも楽器店前に150人くらい集まった。前日に合奏してみた。ちょっとずつレベルが上がっていったと思う。 曲目・・  ブロックM ハイプレッシャー シング×3 ハウルの動く城 新撰組 冬のソナタ 盛り上がった!打楽器のやつらが飛んでた。伊勢丹から出てくるばあちゃんたちもリズムに合わせてぶっとんでた。楽しかった。疲れた。

2005年6月19日

この流れで行くとまた失恋です。笑 もう勢いで市の音楽祭に申し込んでしまった。申し込んだ後に出ていい?ってみんなに聞いた(笑)今まで参加してくれたみなさんすいません!全部俺の彼女のせいでした。 参加校は20校を超え86人もの人数が集まった。本番には初めて合わせる指揮者に、偶然そこにいた上野の森ブラスの方まで参加してくださいました。 曲目・・  ルパン 宝島 シング×3 もうここまでくるとわけがわからなくなった。チューバは11人いるし(笑) あとから思うと無茶したなぁと思った。

ヨシバンの成果はあったと思います。今や静岡市の吹奏楽部員でヨシバンという名を知らないやつは潜りと言われるし(嘘です) 吹奏楽の大会では男たちの中でいつも敵視していた嫌な空気がなくなり、みんなで応援しあうようになった。

これからもいろんな活動を無茶して続けたいと思います。

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2006年の3月、2007年の3月、そして2008年の3月にも同様に大規模ヨシバンがあった。 詳しくは続筆求む。