東洋のポルトガル それも悪くない


(インタビュー)歴史のいま 歴史家、大阪大名誉教授・川北稔さん 朝日新聞 (2011.04.07 東京朝刊)

いま、私たちはどういう時代を生きているのだろうか。歴史は何を教えてくれるのだろう。長い射程で考える歴史家の話を聞きたい。日本の西洋史学界をリードし、世界を一つの体系としてとらえる「世界システム論」の研究者でもある川北稔・大阪大名誉教授に聞いた。

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近代国家でこれだけの規模の災害と事故に襲われた例はありません。世界史的に見ても、非常に特殊な事態が起きています。

アメリカのサンフランシスコ大地震や阪神・淡路大震災、あるいは最近のニュージーランドの震災にしても、地域は比較的限られていました。しかし今回は、日本全体の何分の1という規模です。被災地以外の生活や経済にも大きな影響を与えています。今後、人々のものの考え方を変え、歴史の方向性を変えるかもしれません。

近代とは、経済成長を前提にした時代です。社会の土台に「成長はいいこと」「ゼロ成長なんてとんでもない」という発想がある。私は「成長パラノイア」と呼んでいます。どうやったら経済成長できるか。人々はこれを追い求め、国家が後押しし、学者が研究してきました。

この成長を裏打ちしたのが、地理的な拡大と科学技術の発展でした。

15世紀以降、西ヨーロッパの国々は食料や資源、労働力を求めて、世界のすみずみにまで出かけていきました。しかし地球には限りがあります。やがて成長は壁にぶつかりそうになりました。

それを突破してきたのが科学技術の発展でした。農業の生産性を向上させたのも科学技術。エネルギー問題を「解決」してきたのも科学技術です。石炭から石油、そして原子力へ。科学技術は経済成長を裏打ちする「魔法の杖」でした。自然の脅威から我々の生命や財産を守ってくれるのも科学技術でした。

ところが今回、それがいっぺんに揺らいでしまいました。日本は世界的に見て、もっとも科学技術が進んだ国です。その日本でさえ、巨大な津波に負けてしまったのです。そして科学技術が生んだ原子力発電所が厄災を生み出し続けています。

人間がつくりだしたものによって、人間が大きな厄災を受けてしまう。その意味では、今度の原発事故は戦争に似ているかもしれません。

これまでは、大規模な災害は科学技術で乗り越えればよかった。今は科学技術でも抑え込めない自然災害があること、そして科学技術が巨大な災害を生んでしまうことが、あらわになってしまいました。

もしかすると科学者は「今回は失敗したが、基本的には原発は安全」と考えているのかもしれません。でも一般の人の印象は違います。原発を新たに造ることは、当分無理でしょう。そうすると、「経済は常に成長するべきだ」という考え方を後退させないと折り合いがつきません。科学技術によって支えられてきた近代社会、そして成長信仰そのものに、大きな影響を与えるのではと思います。

科学技術が十分に信頼できるものではないということになると、社会的に、もやーっとした、正体のわからない、妙な不安感が出てくるかもしれません。

自然災害が政治・経済・社会を不安定化させることは歴史を振り返れば何度もありました。たとえば、17世紀のヨーロッパで起きた気温の大きな低下です。ふだんは凍らないテムズ川まで凍るほどで、凶作に襲われ、深刻な経済危機に陥りました。社会が非常に不安定になり、政治的にはイギリスで革命が起こり、フランスでも大きな反乱が起きました。迷信やデマが広まり、いったん消えた魔女狩りが復活したほどです。

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近代世界を一つのシステムとして見る考え方があります。アメリカの社会学者ウォーラーステインが「世界システム」と名付けました。

これによると、世界システムは16世紀の西ヨーロッパを中心に生まれました。その後、大西洋をわたってアメリカに重心が移っていくのですが、全盛期の西ヨーロッパ諸国の中でも消長や興亡がありました。先頭を切ったのはポルトガルとスペインでしたが、やがてオランダやイギリスに抜かれてしまいました。

いま「21世紀は東アジアの世紀」と言われ、世界システムの重心がアメリカから東アジアに移ろうとしています。もともと東アジアで先頭を切ったのは日本でした。しかし今後もずっと続くとは限りません。日本は東洋のポルトガルになるのか。私は以前から気になっていました。

東日本大震災にからんでメディアで語られるのが、18世紀半ばにポルトガルの首都リスボンを襲った大地震と津波です。人口の約3分の1が亡くなったといいます。これがポルトガル没落の直接の契機だとみるのは正しくありません。重要なのは、震災前から地位が低下していたところを襲われたことです。大災害は、すでに起きていた流れ、特に後退ぎみの傾向を早めてしまうことを、ポルトガルが教えてくれます。

日本の場合も「中国に追い越されてしまった」「東アジアの盟主の地位が危ない」と思っていたところに、大災害が来た。今後、ポルトガルと同じような経緯をたどるのかどうか。まだわかりませんが、心理的なダメージを受け、国力やステータスがずるずると落ちていってしまわないとも限りません。

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電力の問題も今後の国のありようを変えるでしょう。首都がしょっちゅう停電する大国、などというものはありません。電力不足が長く続くとしたら、いまの東京の姿ではやっていけません。

ではどうするか。これからも「田舎で電気をつくり、都会で電気を使う」構造でいくのでしょうか。

周波数変換所を増設し、西日本からの送電をもっとできるようにすべきだという議論があります。しかしさらに「地方」から引き出してまで東京の電力消費を維持・拡大することでいいのでしょうか。

現代の企業は電力がなければやっていけません。このまま首都の電力の回復が遅れたら、他の地域への移転が進むでしょう。こうした動きを逆手にとって、むしろ企業や役所や大学の一部を「地方」に分散して東京の電力需要を減らすことが大事です。バランス回復の早道であり、そうすれば全体としての日本の姿もいくらかよくなる、と私は思います。

18世紀当時、近代世界システムの真ん中にあったロンドンは、政治・経済・文化すべてが一極に集中していました。一方、当時の世界システムの外にあった日本では、政治=江戸、経済=大坂、文化(権威)=京と中心が三つの都に分かれていて、安定した、いいかたちだったと私は見ています。開国後、世界システムに巻き込まれるなかで日本も一極集中が進んでいったわけですが。

予期せぬ事態が人々を移動させ、国や都市の姿、経済の形を変えたことは世界史の中でも例があります。

想起するのが17世紀のロンドンです。大陸から入ったペストが大流行し、人口が大きく減ってしまいました。当時ペストは黒死病と呼ばれ、治療法のない伝染病でした。ロンドンでは毎週、教会の教区ごとに死亡した人の数を集計していて、それが増えると金持ちたちは地方へ逃げ出しました。

逃げた先の一つがリバプールでした。当時のリバプールは今と違って田舎の港町でしたが、ロンドンから商人がいっぱい逃げてきて、それで発展していきました。

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被災地ではあまりにたくさんの犠牲者が出て、いまも見つからない人たちが大勢います。この段階で復興を語ることには躊躇もあります。ただ、近代国家で、大規模な被災があった後に復興しなかったところはありません。長い目で見れば必ず復興しています。阪神・淡路大震災も、関東大震災も。どうか、そこは希望を持ってほしい。

たしかに日本は、かつてのポルトガルのようになるのかもしれません。あるいはスペイン、オランダのように。世界のトップ、アジアのトップではなくなるかもしれません。

ただし、それが不幸かというと、話は別です。いくら落ちるといっても江戸時代のレベルまで戻ることはありません。低開発国になるわけでもありません。現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送っているのではないでしょうか。

もっとも、それを「安定」と受け止めるためには、我々の価値観、メンタルな部分が変わる必要があります。以前と同じ、「ずっとトップを走らないと不安」ということでは、「被災後」をうまくやっていくことはできないでしょう。

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かわきたみのる 40年生まれ。イギリス近代史。阪大文学部長などを歴任。著書に「工業化の歴史的前提――帝国とジェントルマン」「民衆の大英帝国」など。

●取材を終えて

暗い東京を歩きながら考えた。我々は次の時代に入ったのでは、と。

川北さんに電話したら「いま考えていたところです」。

今日や明日を語ることを避ける歴史学者は多い。だが川北さんは「歴史学は本質的に未来学」と明快だ。昨春出した回顧録の副題は「歴史家の役割」。それを担ってもらった。

大阪の街が明るく見えた。

(編集委員・刀祢館〈とねだち〉正明)